言葉への対処
漁村が見えなくなってから、レントがミリの前で頭を下げた。
「ミリ様、申し訳ございません」
レントの護衛達も、レントに合わせて頭を下げる。それをミリの護衛達は表情を変えずに見詰めていた。
ミリは首を小さく左右に振る。
「頭を上げて下さい、レント殿」
「いえ、我が領民が失礼な事を申しまして、誠に申し訳なく存じます」
ミリはレントの肩に触れた。
「あのお嬢様が言ったのはミリ・コードナにではなく、行商人夫婦の娘ミリにです。レント殿が私に頭を下げる必要はありません」
そのミリの言葉に、ミリの護衛達の口角が下がる。
「私も大人げなかったですし」
続いたミリの言葉に、護衛達は心の中で首を傾げ、レントは「いいえ」と言いながら顔を上げた。
「ミリ様は大人の対応をなさいました」
レントの言葉に護衛達も心の中で首肯する。そもそもミリ様はまだ子供だし、と護衛達はみな思っていた。
「そして何故止めたのですか?わたくしとしてはあの者達を裁きたいと思っておりました」
「お忍びを止めて、正体を教えてですか?」
「はい」
「そうしてしまうと今後のレント殿の調査が、行い難くなるのではありませんか?」
「しかし、ミリ様にあの様な言葉を投げ付けるなど、許せません」
「それであの者達が謝罪したとして、レント殿の気持ちが収まりますか?」
「わたくしの気持ちの問題ではございません」
「それでは、何が問題なのですか?」
「ミリ様とラーラ様の名誉です」
「あの場で私の身分を明かしたとして、それをあの者達が信じたとして、そしてあの者達が謝罪したとしても、私達が去ればまた、あの者達は母と私の悪口を言う事でしょう」
「いいえ。言わせません」
「それはどの様にしてですか?」
「不敬罪として収監します」
「あれくらいで、大袈裟ですよ」
「あれくらい?あれくらいとは何ですか?充分に罪に当たるではありませんか?!」
「あれくらい、王都では良く耳にします」
この言葉にレントとレントの護衛達は驚いたけれど、ミリの護衛達も驚いた。その様な言葉が交わされる場に、ミリが立つ事があるとは思えなかったからだ。そしてミリの護衛達は、王都ではないけれどコウグ公爵領での神殿信徒による騒動を思い出して、無意識に緊張を高めた。
その護衛達の様子から自分の失言に気付いたミリは、言葉を足す。
「王都での噂話は、コードナ侯爵家でもソウサ家でも集めています。コードナ侯爵領でも、あの程度は言われています」
「え?コードナ侯爵領でもなのですか?」
「ええ。王都ほどではありませんけれど。中には口にするのも憚れる様なものもありますので、それに比べたら」
「しかし、最低なものと比べて、それよりはましだからと赦す訳には」
「レント殿?」
「はい、ミリ様」
「個々の噂にどの様な対処を行っても、母や私を悪く言う人はいなくなりません。対処の仕方に拠っては、更に悪く言う人が増えます。それが分かっているからコードナ侯爵家もソウサ家も、表だっては特に対処をしないのです」
「いえ、ですが」
「いいえ。コードナ家の者としては、この件には対処しない事をレント・コーカデス殿に求めます」
「・・・ミリ様」
「レント殿」
「はい」
「母を悪魔と言わせなくする対処方法も、実は存在します」
「え?それはどの様な方法なのですか?」
「母を悪魔と呼ぶ人達と母とに取って、共通の敵を作り、それに悪魔と名付ければ良いのです」
「共通の敵?」
「ええ。母と協力しなければ共通の敵に大切なものが奪われるとなれば、母を悪魔などとは言ってはいられませんでしょう?」
そう言って微笑むミリの姿に、護衛達は寒気を感じた。
レントは何か言葉を返さなければと思うが、何も思い付かずに、ただ唾を飲み込む。
周囲の人達の様子に言い過ぎた事を感じ、「行いませんけれどね?」と口にしたミリの表情には、僅かに苦笑いが混ざった。
「それより、レント殿?」
「え?あ、はい、ミリ様」
「あ、違った。キロ?」
ミリが口調を切り替えたけれど、レントはそれに直ぐに反応が出来ない。
「え?あの?」
「この道だけど、ずっとこんな感じの砂地が続くの?」
「あ、うん」
「そうすると、馬車では商品は運べないね」
そう言うとミリは歩き出した。ミリの護衛達もその後を歩き出す。
レントは小走りでミリの隣に並んだ。
「うん。この先の漁村では肥料を作ってるけど、それを人が背負って運んでる。さっきの漁村からは馬車らしい」
「それって、大変なんじゃない?」
「そうだろうね」
「橇とか、使えないのかな?」
「そもそも馬が走れないらしいから」
「そうなの?どう思う?」
ミリは護衛隊長を振り返った。
「軍馬なら大丈夫だとは思います。しかし、普通の馬に荷を運ばせるのは、厳しいかも知れません」
「そう?牛とかの方が良いのかな?」
ミリの言葉に皆が疑問を顔に浮かべる。
「ミリ様?牛ですか?」
「ええ、キロ。牛も力があるでしょう?開墾に使ったりするし」
「そうですが、馬で駄目なのですから、牛でも駄目なのではないでしょうか?」
「牛の種類に拠るのかも知れませんけれど、他国では沼地で植物を育てるのに、牛で耕したりする事があります。それなので馬よりは牛の方が、足を取られる様な場所でも、前に進めるのかも知れません」
沼地で植物を育てる事も、それに牛を使う事も、レントは聞いた事さえない。
「牛の方が力があるのですか?」
それを知らない事もレントに取って悔しかったが、祖父母も叔母も知っている様には思えない。それなので、知らない事が恥ずかしくはあったが、知っていであろうミリにレントは尋ねる。
「概ね、そうだと思いますが、キロ?口調がレント殿になってるよ?」
「あ、うん」
「馬の方が早いけど、牛の方が強そうじゃない?」
「そうで、ね」
口調がキロではなく、どうしてもレントに戻り掛かるレントに、ミリは庶民の笑顔を向けた。




