お忍び視察の提案
宿の談話室で二人きりになると、レントは廊下で待つ護衛達に聞こえない様にと、小声でミリに話し掛けた。
「ミリ様?もしかしますと、ソロン王太子殿下の御言葉を預かっていらっしゃったのでしょうか?」
「いいえ」
ミリも小声で返した。
「そちらに付いては、私が王都を出るまで、特に動きはありませんでした。王太子殿下からも、ご連絡やご命令は頂いておりません」
「そうなのですか。それですと人払いをしたのは、どの様なお話なのでしょうか?」
「レント殿は脱税関連の件に付いて、秘密裏に調査をなさったのですよね?」
「はい」
「そして今はまだ王太子殿下から何の指示もないのですよね?」
「はい。仰る通りです」
肯くレントにミリも肯き返す。
「私は今回、干し魚の件をメインとしてコーカデス領に参りましたが、脱税関連に付きましても、現地を確認させて頂こうと思っています」
「それは、ありがとうございます」
「それですので、秘密裏の視察に同行させて下さい」
レントは想定外のミリの申し出に驚いた。
「え?ミリ様をですか?」
「はい」
「商人達の帳簿の確認とかではなく?」
「それは王太子殿下のご指示があってからですので」
「それは、そうでしたね」
「はい」
「いや・・・しかし・・・」
「何か不都合がありますか?」
ミリは不都合があるだろうと思いながらも、視察への同行を願い出ていた。
まさにコーカデス領の弱味を曝す事になるのだから、他言無用の上にソロン王太子の判断に拠ってなければ、あの資料をミリに見せる事はレントが望んでいなかっただろうと考えている。あの場でミリが話に加わる事をレントが望んでいた様な雰囲気になったのは、ソロン王太子への忖度の所為だろうと今のミリは考えていた。
困った様子を見せるレントを見て、ミリはその思いを強くする。しかし、折角コーカデス領まで来たのだから、ミリは是非、現状を自分の目で確認させて欲しかった。
それに対してレントは、ソロン王太子に会う前から、ミリに相談したいと思っていた。しかし今は、違う事で困っていた。
「不都合と言いますか、わたくしが内密に視察をしておりました時には、平民の格好をして身分を隠しておりました」
「それが何か?身分を隠すのは、私も理解していますけれど?」
ミリには空き地のミリの経験があるので、平民の服装をするのも一切抵抗がない。ソウサ商会での帳簿付けもその為に、事務仕事がし易い格好との名目で、街に出ても目立たない服装をして行っていた。実は変装の為の服もコーカデス領に持って来ている。
一方で、一大決心の下で平民の格好をしていたレントの心には、ミリの言葉が何も考えていない様に響いた。
「わざと汚れた汚い格好で、領民の中に紛れ込むのです。ミリ様にその様な真似をさせる訳には参りません」
レントは首を左右に振りながら少し目を細めて、ミリの理解しているとの言葉を受け流した。
しかしミリは護身術や乗馬の練習もしているので、汚れた格好にも抵抗がない。ダンスの練習の後などは、汗で酷い有様だ。もちろん、あれはレントには見せられないとは、ミリも思っている。
「汚れた格好をわざわざするのは何故ですか?」
「それは、その、仕事を探しているとの設定にしましたので」
「なるほど。お金がないので身綺麗に出来ない事を装うのですね。しかしそれなら、仕事が見付かった事にすればよろしいのではありませんか?」
「仕事がですか?」
「はい。レント殿はどの様な仕事を探している事にしていたのですか?」
「それは、護衛二人とわたくしが兄弟と言う設定で、三人で一緒に働ける仕事としていました」
「それでしたら、行商人に雇われた事にしましょう」
即座にミリが提案したのは、ミリの慣れ親しんだ職業だった。
レントはミリがミリ商会を営んでいる事を知っている。しかしミリの様にまだ幼いとも言える商会主は、この国には他にいない。
「それは、ミリ様が行商人と言う事ですか?」
それなら直ぐに身元が探り当てられてしまうと、レントは危惧する。
しかしミリも当然、その事は考えていた。
「いいえ。私は行商人の娘とかですかね?私の護衛も同行させなければならないと思いますので、世代が合う人に私の両親役を務めて貰います」
「なるほど。ではなく!その様な事が許される筈はないではありませんか?」
「それは、どう言う意味ですか?」
「ミリ様に平民の格好をさせるなんて」
「でも、レント殿はやっていますよね?」
「わたくしは、そうですが、仕方なくと言いますか」
「私も秘密裏に現状を確認する必要があるのですから、仕方はありません」
「いえ、ですが、お付きの方達が許されないのではありませんか?」
「確かに、嫌がりはするかも知れませんね」
「そうですよね?」
「ですが、王太子殿下のご意向を汲む為なので、仕方はありません」
そう微笑むミリに、レントは思わず素で返す。
「いや、駄目ですよ」
「え?」
ミリが驚いたので、レントは自分の言葉遣いこそ駄目だと気付いた。
「申し訳ありません!」
頭を下げるレントに、ミリは慌てて唇に人差し指を当てて「シーッ」と囁く。
「外に聞こえます」
「申し訳ありません」
レントは今度は声を潜めて、一度上げた頭をもう一度下げた。
「ミリ様に対して、無礼な言葉を使ってしまい、申し訳ありませんでした」
レントは漁村での特訓で、平民の様な言葉遣いが少し出来る様になっていた。それがここで咄嗟に出てしまったのだ。
「いいえ。二人きりの時には構いませんよ」
「いえ、しかし」
「変装して領民の中に紛れるのですから、その時にはそれなりの言葉遣いをして頂かないとなりませんから」
「して頂かないと、とは、ミリ様に対してですか?」
「ええ。同年代なら、タメグチですよね?」
「タメグチ?とは何でしょうか?」
レントはまだ、タメグチと言う言葉を知らなかった。
「タメとは同等と言う意味で、お互いに気を許した話し方をする事です」
漁村のお嬢様ビーニの言葉遣いが、レントの頭に浮かんだ。いいえあれは上から下への話し方でしたね、とレントは小さく肯く。
「お忍び視察で身元を悟られない様に、二人きりの時はタメグチを練習しましょう」
視察に同行させない積もりなのに、タメグチの練習をミリに提案されて、レントは観念をした。
それは、レントがソロン王太子に報告した密造と脱税の詳細資料にミリも目を通しており、それなので場所を覚えているかも知れず、同行をしないとレントを置いて行きかねないと、レントはミリの事が心配になったからだ。




