ミリの通訳
船長のワは食料責任者ラッカの肩に手を置いて、「後は頼んだ」と言いながらポンポンと肩を敲く。ラッカは片手を挙げて「ああ」と応えた。それに返す様にワも片手を挙げてその場を後にする。ラッカと一緒にミリも手を挙げて返して、ワの後ろ姿を見送った。
そしてラッカが「さて」と振り向く。
「あれが干物だ」
そう言いながら傍に置かれたテーブルを手で示した。テーブルの上には籠が載せられていて、その上を布巾で覆っている。
「あれに干し魚が入れてあるそうです」
そう言うとミリはレントを促して、ラッカの後からテーブルに向かった。
ミリとレントがテーブルの傍に来るのを待ってから、ラッカは籠から布巾を外す。籠の中には魚の干物が数種類、入れられていた。
「この船に積んでいる干物はこんな感じだ」
「これがこの船に積まれている干し魚を代表するものだそうです」
ラッカの言葉をミリが訳してレントに伝える。
「手に取ってもよろしいでしょうか?」
「触っても良い?」
レントの言葉もミリが訳す。
「ああ、構わない。どうぞ」
「構わないとの事です」
「ありがとうございます」
「ありがとうだって」
ラッカはミリの様子が、レントに良い所を見せようと張り切っている様に見えた。その事からラッカの顔に苦笑いが浮かぶ。
「いや、俺もこの国の言葉なら、大概は聞き取れるから、ミリがそんなに細かく通訳しなくても良いぞ?」
「そう?それもそうよね」
「ああ。分からないところがあったら訊くから」
「うん」
「あの、ミリ様?手に取っても大丈夫なのですよね?」
「はい。どうぞ、レント殿」
レントは手を伸ばして、一枚の干物を手に取った。顔を近付けて、臭いを嗅いでみる。
「買ってくれるなら、食べても良いぞ」
「え?コーカデス様は貴族の子息よ?食べたりはしないわ」
「まあ、そいつはそうだろうけど、ミリは?」
「私?」
「もしかしたら商会で扱うんじゃないのか?」
「そうなるかも知れないけど」
「扱う商品がどんなものか、知らずに売れないだろう?」
「それはそうだけど」
「ソウサ商会でも干物を扱ってた頃は、従業員達はちゃんと味を知ってたぞ?」
「それは、知ってるけど」
「あの、ミリ様?何かありましたか?」
ミリとラッカの遣り取りで、ミリが困っている雰囲気を察して、レントが口を挟んでミリに訪ねた。
「いいえ、大丈夫ですよ」
ミリはレントに笑顔を向ける。
「大体、そいつは魚の干物に何の用なんだ?」
「昔はコーカデス領でも干し魚を作ってたのよ」
「知ってるよ。ラーラやソウサ商会の邪魔をした所為で、売れなくなったんだろう?あ、ラーラ様か」
「邪魔をしたって言うか、あれだけど」
「あの時はこっちだって、凄く迷惑を掛けられたんだ」
「それは、ごめん」
「いいや。ミリが生まれるかどうかの頃の話だろ?それに、ソウサ商会は良くフォローしてくれたさ。干物の代わりに干し肉や干し果実を納品してくれて、お陰で無事に航海できたからな。だから今でも俺達は、ソウサ商会を頼りにしてるんだし」
「うん」
「ラーラ様やバル様やソウサ商会への嫌がらせをしてた領地のやつらが、その後苦しんだってのは、俺達ソウサ商会と取引のある船乗り達は、みんな喜んだんだ。天罰だってな」
「う~ん、それも聞いてるけど」
「それなのにミリ?お前はまた、コーカデス領の干物を売ろうってのか?自分じゃ食べもしないのに?」
ミリはラーラに命じられて干物を売る計画を立てる事にはなったけれど、その事自体には乗り気でいた。
だが、過去の経緯を知っていて、それによって迷惑を受けていた人を相手に、「面白そうだから」を理由として口には出来なかった。
そしてラーラに命じられた事を言い訳にもしたくない。切っ掛けはそれでも、今は自分でやりたいと思っているのだ。
「あの、ミリ様?大丈夫ですか?」
ミリとラッカとの雰囲気だけではなく、二人の遣り取りの様子にミリの護衛達も緊張を見せ始めた事を感じて、レントはミリに声を掛けた。
「ええ、大丈夫です」
ミリはそう答えるが、レントは納得は出来ていない。
「先程からコーカデスと聞こえるのですが、もしかしてわたくしの事を言われているのではありませんか?」
「いいえ、主に私に対してですから」
そのミリのレントへの返しに、ラッカはカチンと来た。
「いいや、こいつの事が気に入らないのはあるぞ?」
「その頃、コーカデス様もまだ生まれてないわよ」
「だから何だ?そうは言っても、こいつの祖父さんだか曾祖父さんだかが、ラーラを陥れたんだろう?なんでミリがこいつを庇うんだよ?」
「違うってば」
「違う?ラーラに手紙を送って、誘い出したのはコーカデスじゃなかったか?」
「微妙に違うから」
「あの、ミリ様?ラーラ様の名前も聞こえますけれど、もしかして、叔母のリリの事を言われているのでしょうか?」
「そうそう、リリだ。バル様に横恋慕して、ラーラを傷物にした悪女だったよな?もしかして、こいつはその息子か?」
「違うってば。レント殿、こちらは心配なさらないで大丈夫、問題はありませんので」
「いえ、しかし、何やら揉めていらっしゃいますよね?」
「なに他人事みたいに言ってんだ?」
「ラッカさん?母の誘拐事件にコーカデス家がどの様に関わっていたとしても、コーカデス様には罪はないでしょ?私が通訳してないからもあるけど、そう言う意味なら他人事なのよ」
「なんでだよ?ミリだって被害者じゃないか?」
「なに?あたしの父親が誰だか分かんないって言いたいの?」
声を低くしてそう訊いて来るミリに睨まれて、ラッカは唾を飲み込むと呟く様に「そうじゃないって」と返した。




