側近にしたい
ソロン王太子はソファから立ち上がり、ベッドに向かう。
そして閨係の臭いがしない事を確認してから、ベッドに横になった。
まだ眠れそうにはない。しかし体を休めないと、明日の執務に差し障る。
ソロン王太子は目を瞑り、妻のニッキ王太子妃の事を考えそうになって、そうすると眠れなくなりそうなので、他の事に意識を向けようとした。
そこで頭に浮かんだのは、ミリとレントの事だ。
二人が絡むのは難しい話ではあるが、頭を疲れさせれば眠くなりそうには思える。
レントから報告されたコーカデス伯爵領の密造を起因とする脱税に付いては、コーカデス伯爵領とは分からない様に概要資料を書き写して、国王に見せてから宰相に渡してある。
今日、元王女チリンの手紙を持ったミリが、レントと共にソロン王太子を訪ねて来た事は知られているから、どこの領地の話なのか、直ぐに気付くだろう。しかしわざわざ領地名を伏せて説明したし、現時点では情報が漏れない様にとの指示も出したのだから、その意図は汲み取って貰えるだろう、とソロン王太子は考えていた。
国王と宰相には概要資料と共に、レントとミリのアイデアも伝えた。ソロン王太子の意見も添えてある。この後は宰相の指示の下で文官が実際的な対応を考えて、対策案を上げて来る事になっている。その内容次第では追加の状況説明が必要になるかも知れない為、ソロン王太子はレントに王都に留まる様にとの指示をしていた。
脱税の件は大きな問題ではあるけれど、解決するに当たって難しい点はない様に、今のソロン王太子には思えていた。
確かにレントから聞いた瞬間には、国が揺らいでしまうかとの不安に駆られた。しかしレントとミリの話を聞いている内に、光が見えて来た様にソロン王太子には思えていた。まだ小さく遠くにではあるけれど。
それなのでソロン王太子の意識は、脱税問題よりはその二人自身に向いていた。
レントもミリも、ソロン王太子の息子サニン王子と同世代だ。学年で言うとレントは一つ上で、ミリは同学年になる。
ソロン王太子は自分の息子サニン王子について、穏やかな気性で素直な性質だと思っている。将来の国王としても、平和な世なら望ましい性格だと評価していた。
それなので自分の役目は、平和が揺るがない様な国をサニンに引き渡す事だ、とソロン王太子は考えていた。
「その為には、あの二人がサニンの側近になってくれれば良いのだが」
そう呟いて、ソロン王太子は自分の独り言の内容に苦笑した。
レントは将来、コーカデス家の跡を嗣ぐ。そしてそれは現状を鑑みると、遠くはない将来となりそうだ。
コーカデス領は領政の失敗で勢いを落とし続けているが、本来は侯爵領としても豊かな土地だ。災害に見舞われた訳でもないので、適切な治政を行う事が出来る様になれば、いずれは侯爵領に相応しい土地になるだろう。
そしてレントなら、それほどの時間を掛けずに侯爵領に戻すのではないかと、ソロン王太子は感じていた。
そのレントを領主とはさせずに、サニン王子の側近に引き抜くと言う事は、コーカデス領の為にも結局は国全体の為にもならないと、ソロン王太子にも分かってはいる。分かってはいるけれど、サニンの側近に欲しいな、とソロン王太子の父親としての部分がそれを望んでいた。
「しかしもしレント殿をサニンの側近にするとしても、その事に賛成するのはろくでもない者達になる筈だな。まともな人間なら、賛成はしない」
ソロン王太子は再び自分の独り言に苦笑をした。
「仕方ない。レント殿は諦めよう・・・だが、だからと言う訳ではないが、ミリ殿はやはり諦め難いな」
ミリを側近にしたいと言うソロン王太子の望みは、ソロン王太子の妹であるチリン元王女に反対されていた。
確かに未婚の女性を王子の側近にしたら、違うと言っても婚約者の様に周囲には受け取られるだろう。
「私としてはサニンと結婚させても良いのだが、公爵三家が必ず反対するだろうしな。いや、それより問題なのはバル殿か。サニンとの結婚を匂わせたりしたら、バル殿とラーラ殿ならミリ殿を連れて、この国を出て行ってしまうかも知れない。コードナ家もコーハナル家もそれを後押ししそうだし、何よりチリンに怒られそうだ」
関係者達の顔を思い浮かべ、ソロン王太子は苦笑いしながら首を小さく左右に振った。
サニン王子もミリも結婚してからならミリを側近に迎えても良いと、ソロン王太子は最初は考えていた。ミリの結婚相手は出来たら王宮や王家の文官で、それならサニンの側近になる事も家族の理解や協力が得易い筈だ。
しかしその場合に問題になるのは、ミリの出自だ。ミリを国政の中央に迎えたとしても、ミリに存分に腕を振るって貰う事が出来ないかも知れない。優秀であればあるほど、ミリ殿を邪魔をする者は出て来るだろう、とソロン王太子は思った。そしてその者達がミリを邪魔をする理由として使うのが、ミリの出自の筈だとソロン王太子は考えていた。
だが、だからと言ってミリ殿を諦めるのは惜しい、とソロン王太子は思っている。充分な資質を持つ上に高度な教育を受け、多様な経験を積んでいる。貴族としての常識を持ち、為政者としての知識を持ち、商人としての視点も持つ様な存在は、やはり手に入れたいし手元に置きたかった。
「一層の事、宰相にでもしてしまうか?」
国政の中央に迎えると妨害をされると考えていたのに、国政のど真ん中に置こうと考えてしまった事に、そしてそれがとても良いアイデアの様に思えてしまう事に、ソロン王太子はまた苦笑いをしながら、首を小さく左右に振った。
側近にするのはともかく、ミリとレントをサニン王子と交流はさせたいと、ソロン王太子は思う。そしてそれに付いては無理ではないと考えていた。
「その為には、学院に通う様になる前にも、交流会の様な物を度々催す必要があるな。しかし、サニンの誕生会には、二人とも参加していない。まあ、不参加は二人だけではないが、やはり王都で開催する方が、出席し易さはあるのだろうな」
王家直轄領を訪れた事のある貴族は少ない。知らない土地への旅だと移動の手配も宿泊の手配も中々に大変なのだろう、とソロン王太子も思っていた。だが王都への旅なら、どの家も馴染みがあるし慣れている筈だ。
「王都の復興も一段落して建材の価格も落ち着いて来ているし、貴族達が王都を訪れる機会を増やせば王都の邸の再建を促す効果もあるだろうから、そろそろ良い時期ではあるな」
貴族達が王都に戻って来れば、今は直轄領で社交を行っているニッキも王都で社交を続ける事が出来るし、とソロン王太子は思って肯いた。
サニン王子の就学より前に、やはりニッキ王太子妃にも王都に帰って来て貰う為の理由が作れそうで、ソロン王太子の気持ちは緩む。
一人きりの暗い寝室には、その日の最後の音として、ソロン王太子のあくびが小さく響いた。




