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悪いのは誰?  作者: 茶樺ん
第一章 バルとラーラ
40/637

40 ばか

 バルは激しい感情に揺さぶられて何も言葉を口に出来なかったが、ラーラは自分が決めたやるべき事を思い出して口を開いた。


「喚び出してごめんね」


 声は少し掠れたけれど、ラーラは微笑みを作ってバルに向けた。

 笑みにはバルに会えた本物の喜びも混ざっている。不謹慎なのは分かっているけれど、ラーラは自分が喜んでいる事は素直に認めた。


 バルの唇と舌と喉は僅かに動いたけれど、声にはならない。結局ラーラの表情に釣られて、口角を少し上げただけだった。


「良かったら掛けてくれない?」


 ベッドから離れて置かれている椅子をラーラが指し示した事で、バルはダンから注意を受けた、しなくてはならない事を思い出した。

 今のラーラは男性に傍に立たれると恐怖を感じる。

 椅子の脇に座り込んで、バルは胡坐をかいた。


「え?椅子に掛けて。床だと汚れるわ」

「いや、この方が楽だ」


 反射でやっと出せたバルの言葉は、思い付きの適当なものだった。ラーラに会ったら最初に何て声を掛けようかと、散々考えていたはずなのに。


「ピクニックでも座っていたろう?」


 また反射的に、楽しかった思い出を出して雰囲気を明るくしようとしたけれど、その時は敷物を敷いていた事を思い出す。しかしラーラが「そうね」とバルの言葉に同意してしまった。


「剣の練習では地面に這いつくばったり寝っ転がらされたりするし」


 言わなくても良い事までバルが口にすると、ラーラは「そう」と返して口角を少し上げた。

 バルの剣の練習を見てみたかったとラーラは思う。


 バルの窶れた顔を見て、バルにどれだけ心配を掛けたのか、そしてどれだけバルの心を傷付けたのか、それを今まで考えなかった自分に絶望しながらも、ラーラは更にバルを傷付ける事を決心する。

 その為にバルにわざわざ来て貰ったのだ。


「忙しい所来て貰ったのは、バルに教えて欲しい事があるからなの」

「教えて欲しい事?」

「私のメイドと護衛の事」


 バルが感情を隠そうと奥歯を噛み締めるのがラーラには分かった。


「二人は元気だ」

「そう」


 無感情の声で告げられたバルのその答も想定していたラーラは、同じく感情を乗せずに返した。


「私はバルの親友も失格したのね」

「はあ?!何言ってんだ!」


 思わず大きな声を出したバルに、ラーラは目を見開いて体を硬直させた。

 バルは自分の失敗を悟った。

 今のラーラは大声や大きな音に恐怖を感じる。


「申し訳ない。俺の方が親友失格だ」


 そう言ってバルは頭を低く下げた。

 それは、本来なら直ぐにも退室した方がラーラの負担が小さいのだろうけれど、ラーラを襲ったりする意思がない事を分かって欲しいバルの我が儘だった。


 かなり時間が経って、ラーラの身動(みじろ)ぎする気配がバルに伝わる。


「お互いね」


 そのラーラの小さな声は少し震えていた。

 怒鳴られて反射的に怯えもしたが、それは治まった。けれど気持ちが落ち着いて来ると、自分が言わなくても良い事を言って、八つ当たりで、余分にバルを傷付けた事にやっと気付いたのだ。

 それでも言うべき事は言わなければ、何の為にバルを喚んだのか分からない。これは自分の口から伝えなければならない。他の誰かから言って欲しくない。

 自分では、バルからは聞きたくない、なんて思ったのに。


「私がこんな事になったので、交際練習は終わりで良いわよね?」


 バルは勢い良く顔を上げたが、また荒い声を出しそうになり、出さない為に息を止める。


「お互い親友失格だけど、バルとの時間はとても楽しかったわ」

「え?」

「ありがとう。忙しい所お呼び立てして申し訳ありませんでした」

「ラーラ?」

「今後は身分を弁えて接する事を心掛けますが、本日はこの様な姿でお(いとま)を告げる事をお許し頂きたいと存じます」

「何を」

「申し訳御座いませんが、体調が思わしく御座いません為、これにて休ませて頂きたいと存じます」


 ラーラはベッド上でバルに向かい頭を下げた。

 二人きりの今この場で、その硬い口調がバルを傷付ける事をラーラは分かっていた。そうせざるを得ない自分が情けない。自分の情けなさで泣きたくなるんだと、ラーラは心の底から湧き上がる自分の感情に理由を付けた。


 こんな別れをラーラが望んでいない事は、その細かく震える肩を見なくてもバルには分かる。

 バルは一呼吸置いて、ゆっくりと話した。


「ラーラ。交際練習は終了で良い。親友が失格も仕方ない。ただ俺からも話をさせてくれ。ただの友人でも異性の知人としてでも良い。体調が悪いのは本当だろうから、横になって聞いてくれ」


 ラーラはふっと息を吐くと、目元を袖で(ぬぐ)って顔を上げた。


「そうね。私だけ言いたい事を言ってお(しま)いなんて、フェアではないよね」


 そう言うと苦笑を浮かべる。


「本当に横になっても良い?」

「ああ」

「それなら椅子に掛けて。顔が見えないから」

「まずは横になってみろよ。見えなければ膝立ちするし」


 ラーラは枕の高さを調節して掛け布団の端も折り捲り、ベッドに横になっても胡坐をかいているバルの顔が見える様に調えた。


「異性の知人を寝室に入れるのは外聞が悪いから、今は家族の様なとても親しい友人と言う事で良い?」


 そう言うラーラの表情が以前と変わらずに見えて、「ああ」と返したバルの声には安堵が含まれた。


 しかし今から伝える話が、ラーラを深く傷付ける事はバルには分かっていた。それでもいつか誰かから聞かされてラーラが傷付くなら、今自分が傷付けるとバルは決意する。

 その決意には、ラーラに会える事に感じた愉悦と同じ種類の、昏い喜びを伴っていた。



「これから俺が話す内容は、ラーラを深く傷付けると思う。それが分かっているのに」

「ごめんね」

「うん?何が?」

「私を傷付ける事で、バルはもっと傷付くもんね。そんな話をさせるのごめん」

「いや。話せば俺が多少救われるんだ」

「そう。それなら聞かせて」


 バルは「ああ」と低い声で返し、一旦目を閉じた。


「あの日、ラーラに付いていた護衛のキロとメイドのミリは亡くなっている」


 その事は今のラーラに伝えてはならないと、バルは何人にも言われていた。


「そう」


 ラーラは目を閉じるとそのまま動かない。ラーラが呼吸をしているのかバルは不安に感じる。


 やがてゆっくり目を開けたラーラは、視線をバルに向けずに尋ねた。


「二人が苦しまなかったかどうか知ってる?私はそれが知りたかったのだけど、みんなは二人が元気だなんて嘘をついて、教えてくれないの」


 ラーラの呂律は少し怪しくなった。


「二人が元気なら私の所に来ない筈ないのに。みんな私にお葬式の参列もお墓参りもさせない気なのね。私が二人に謝るチャンスを与えない積もりなのよ」

「葬儀は済んで既に埋葬された」

「え?」

「亡くなった時は安らかな顔だったと聞いている」

「うそ!」


 ラーラは肘を突いて上半身を起こし、怒りを浮かべた瞳をバルに向けた。


「あんな事に巻き込まれて、安らかになんて、そんな訳ない!」


 バルは決意の籠もった目で、ラーラを静かに見詰めた。


「あの日、ラーラが連れ去られたと思われた建物に踏み込んで、キロとミリを発見したのはコードナ家の護衛達だった。その時はまだ二人は生きていた」

「え?」

「キロは大怪我を負っていたが、ミリは命には別状がない様子だったそうだ」

「それなら何故?」

「犯人達が逃げるのに二人を人質にしようとした。そして首に突き付けられた剣に、二人共自分から向かっていったそうだ」

「え?どう言う事?」

「犯人達は首から血を流した二人を放して、逃げようとする所を取り押さえられた。護衛達が二人を治療しようとすると、自分達は放って置いて良いからラーラを先に助けてくれと言ったそうだ」

「え?なにそれ?」

「キロは顔も大怪我をしていた所為か喋らなかったけれど、ミリが言った言葉に肯いたらしい」

「もしかして犯人を早く捕まえて、私を早く助ける為に、人質にならない様に自分から死んだって事?それも私の所為?」

「ラーラ」

「こんな事に巻き込んだだけじゃなくて!私が!」

「続きがあるから、ラーラ。少し落ち着いて」

「あ・・・うん。ごめん」

「ただし話の続きの方がラーラは傷付くと思う」

「それは、構わない。うん。本当の事なら隠さず教えて」

「ああ。治療しようとした護衛にミリがラーラへの伝言を頼んでいる。キロも声を出さなかったけれど、ミリの手を握ってミリを見詰めていたから、同じ気持ちだったんじゃないかと護衛は言っていた」

「・・・ミリは、なんて?」

「ずっと一緒だって約束したのに、傍を離れてごめん」

「ぅ」


 ラーラの瞳が滲む。


「これから大変なのに、助けられなくてごめん」

「ぅ~」


 声を出すまいと唇に力を入れたら、顔が歪んで目頭から涙が零れる。


「ラーラを守れなくてごめんね、と」


 ラーラはベッドから肘を離してバルとは反対側を向き、俯せになった。しばらく肩を細かく震わせながら小さな泣き声を漏らしていたが、枕を叩くのと一緒に「ばか!」と叫んだ。


「ばか!ミリのばか!ばかミリ!私が悪いのに!私の所為なのに!ばかミリ!ばかキロ!なんで死んじゃうのよ!ばか!お兄ちゃんとお姉ちゃんが馬鹿だから、ラーラが馬鹿になっちゃったのよ!責任取ってよ!ばか!ばか!ばかばかばかばか!」


 叫びが嗚咽に替わるまで、ラーラは枕を叩き続けた。


 バルはラーラを傷付けはしても慰められない自分が悔しくて、少し俯いてラーラから視線を外した。

 やはりこの話はもっと落ち着いてから伝えるべきだったかも知れない。そんな判断も自分を責める。しかし自分の事よりラーラの事を今はまず考えなければ。自分の事は後回しで良い。今は自分を責めたり自分を憐れんでいる場合ではないんだ。

 そう考えてバルは顔を上げ、ラーラの姿に目をやった。


 しばらく漏れていたラーラの嗚咽が止まり、肩の震えも止まった。

 その背中にバルは話の続きを語る。


「ミリの言葉を聞いて、生きる力をなくしていると思った護衛は、ラーラは助かったとミリに言ったそうだ」

「え?」


 うつ伏せのままのラーラが顔だけバルに向ける。


「無事に家に帰ったから安心しろと」

「嘘を?」

「ああ。咄嗟に嘘をついた。そうしたらミリは目を一度見開いてから目を瞑って、微笑みながら良かったと呟いた。キロもその時に強ばらせていた体の力を抜いたそうだ」

「そう」

「そのまま二人は意識を失くし、目覚める事はなかったと聞いている」

「それで、安らかな顔だったって言うのね」

「ああ」


 バルは続けるか一瞬躊躇う。この先はいつかラーラに伝えれば、今ではなくても良い。

 しかしバルの躊躇を感じたラーラが、目で続きを促す。


「だが護衛はとても後悔している」

「嘘を?」

「もっと他の言葉があったのではないかと、生きようと思わせられる他の言い方はなかったのかと」

「そう」

「二人を見付けた時にその場にラーラが見当たらなかったから、ラーラは何処だと犯人達に尋ねたそうだ。それで二人がラーラはまだ助かっていない事を知ったから、自分達の人質としての価値を失くす為に、自ら喉を切らせたのかも知れないとも思っている。ラーラもさっき同じ事を言っていたな」

「でも、ミリは私が無事と聞いて良かったと言ったのでしょう?」

「ああ。それも助けようとしていた護衛達に気を使ったのかも知れないと」

「そう」


 ラーラはバルから視線を外し、もう一度「そう」と言ってからバルを見た。


「その護衛の方達に私からの感謝を伝えてくれる?二人の心が最期に安らかだったのも、ミリの最期の言葉が良かっただったのも、その方達のお陰だから」

「ああ、分かった」

「それにミリもキロも単純だから、私が助かったと聞いて満足していたのは間違いないって伝えて」

「ああ」

「それと二人は私が別の場所にいたのを知っていたし、私を囲む犯人の方が人数が多いのを知っていたわ。だから私の場所を護衛の方が訊かなくても、私が助かってはいないと絶対に思っていた」

「そうか」

「あいつらが私にしたのと同じ様に二人にしていたなら、簡単には私が助け出されないと絶対に思っていたわよ。だから間違いないわ」

「分かった。そう伝える」

「二人の分も含めて、私が三人分感謝していると伝えてね?」

「ああ、分かった。ラーラの言葉を伝えれば、きっと心が救われるだろう」

「バルも?」

「俺?ああ、そうだな」


 バルの浮かべた微笑みに、ラーラは本当を感じた。


「そう。なら良かった」


 そう言うとラーラは枕に顔を付けた。


 バルはこれで護衛達の気持ちが少しは軽くなるだろうと考えた。ラーラからの感謝の言葉もだけれど、護衛達の為にミリとキロの気持ちを説明してくれたラーラの気持ちに、護衛達は救われる筈だ。

 自分と同じ様に。

 バルは心の底から改めて、キロとミリの冥福を祈る。



 しばらくして、ラーラは顔をバルに向けた。


「さっきは取り乱してごめんなさい」

「謝るなよ。全然だ」

「全然ってなによ。それで、何故話してくれたの?最初は二人は元気だって言ってたでしょう?」

「もう少し落ち着いてから話す積もりだったよ。俺が伝えなければならないとは思っていたからね。でも先に話して置かないと言うタイミングを失くしそうだった」

「先に?」

「ああ。体調悪いのにごめんな。でも続けさせてくれ」

「まだ続きがあるの?」

「あ、いや、続きじゃない。今の続きじゃなくて別の話。いや話し合いか?」

「え?なんの話?」


 ラーラの顔に警戒の表情が浮かぶ。


「俺とラーラの二人の話だ」


 そう言うとバルは胡坐をかいたまま、背筋を伸ばした。


 ラーラはイヤな予感がして、上半身を起こすと同じ様に背筋を伸ばし、姿勢を正して座ってバルを向いた。

 そしてバルに変な事を口に出させない為に、ラーラは威圧する様にバルを睨む。


 ラーラが何故そんな表情をしているのかはバルには分からなかったけれど、バルはそんなラーラの姿にいじらしさを覚えて、可愛いらしさを感じていた。

 バルがこんな時にそんな事に気持ちを緩めているのは、ただこれから話す内容にヘタレていたからだった。この期に及んでの現実逃避だ。

 しかしその事に自分で気付いたバルは、ホッコリした気持ちは奥の方に大事に取って置いて、もう一度気持ちを引き締めて、改めて姿勢を正した。


 そのバルの気配に、ラーラは更に警戒を強めた。

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