信じられないミリ
ミリは頭を少し下げて、ソロン王太子に答える。
「領地を一手で繁栄させる様な案は、わたくしにはございません」
「いや、何も一手ではなくて、何手でも良いのだけれど、それなら何かあるかな?」
領地繁栄が一手で出来るなら、ソロン王太子もそんな方法は知りたい。もちろんレントも知りたかった。
しかしそう言う事ではない。
ミリは顔を上げてソロン王太子を見た。
「それでしたら先ずは、正しい現状把握が必要かと存じます。それにより、取れる手と取れない手が分かるかと考えますので」
「やはり、その資料だけでは足りないか」
「対象がコーカデス伯爵領に付いてなのでしたら、はい」
レントは良く調査をしている。これは確かに脱税の証拠となるが、しかしこれだけでは犯罪も領地の状況も、全体像は掴めない。
「他にどの様な調査が必要なのか、それは分かるだろうか?」
ソロン王太子の言葉に、ミリは小さく肯いた。
「わたくしでしたら先ずは、商人達の売買記録を確認いたします」
「それは、存在しない人間に売っていないかどうか、売買記録から分かると言う事だね?」
「はい」
ミリは肯くけれど、ソロン王太子は今ひとつ納得が出来ない。
「しかし商人達も、そう言った取引は隠すのではないのだろうか?」
犯罪に携わっている証拠を堂々と公開する筈がないと、ソロン王太子には思える。公開してくれているのならば、不正調査に苦労したりする筈がない。
「ですが、利益の出ない筈の場所で行商に回っていたり店を構えていたりしておりましたら、その先には何かが隠れている事が分かるのではないかと存じます」
「なるほどね」
「あるいは売買を正直に報告している商人がいれば、把握はもっと容易いかと」
ミリの言葉にまた、ソロン王太子は納得がいかなかった。
「正直な商人が、密造している者を相手にするのかい?」
「密造などと知らなければ、普通に売買はすると考えます。取引相手がどの様に利益を得ているかなど、一介の商人には中々分かりません。そう言う事はやはり、領主や文官など、分析を行える立場の人間ではないと、判断するのは難しいのではないかと存じます」
「そう言うものか」
「はい」
ソロン王太子はミリの返事に肯いたが、少し顔を傾げる。
「売買記録の読み解きは、レント殿にも出来るのだろうか?」
そう言いながらソロン王太子に見られ、ミリにも視線を向けられたレントは、無意識に唇に少し力を入れた。
商人の売買記録など、レントはこれまで見た事がない。
ミリはソロン王太子に視線を戻して答えた。
「それは、わたくしには分かりかねます」
「ミリ殿は出来るのかな?」
「わたくしでしたら、はい」
「それはつまり、特殊な技能が必要と言う事なのだろうか?」
ミリ殿の事だから才能なのかも知れない、ともソロン王太子は思いながら、そう尋ねる。
「商人が付ける帳簿を読み書き出来る方でしたら、それらの商人達の遣り取りから、矛盾を見付ける事は可能です」
ミリはラーラの祖母フェリやソウサ家の面々から、帳簿の記載の瑕疵を一瞬で見分ける様に求められていた。それを普通ではないと言ったのは、ソウサ家ではラーラの母ユーレだけだ。
あれは難しいかも知れないけれど、帳簿を見比べて判断するのなら普通は出来る筈、とミリは思っていた。
「領内で商売をする全商人の帳簿を見ると言うのかい?」
「はい。それが確実ですので」
「とんでもない量に思えるけれど」
「一日二日では無理ですが、十日もあれば出来るかと考えます」
「十日で出来るのかい?」
ソロン王太子はミリが、自分の才能を誇る為に誇張したり、況してや嘘を吐いたりはしないとは思っている。ただ純粋にソロン王太子は、ミリの言葉が信じられなかった。
「コーカデス伯爵領の経済規模で一年分でしたら、帳簿が集まってからでしたら、はい」
「それは、コードナ侯爵領やコーハナル侯爵領でも?」
「はい。どちらの領に付いても、七日で可能でした」
「でした?やった事があるの?」
「はい。数年前から、毎年やっております」
「やっている?ミリ殿一人で?」
「チェックは、はい。ですが普段からソウサ商会の帳簿付けを行ったりしておりましたので、コードナ侯爵領にしてもコーハナル侯爵領にしても、それほど時間が掛かってはいないのです」
フェリが亡くなってから、ミリは帳簿付け自体は行わなくなった。その代わりにソウサ邸に帰ってから、ソウサ商会のその日の帳簿の記載に誤りがないかのチェックを担当している。
時間が掛かる記帳を行わなくて済むので、チェック自体は直ぐに済んでいるが、取引の一部を記帳していた以前に比べて、最近のミリはソウサ商会全体の取引内容を把握していた。
それなのでコードナ侯爵領もコーハナル侯爵領も、ソウサ商会の売買に付いては調べ直す必要がなく、今後は五日で終わるんじゃないかな?とミリは思っている。
「ソウサ商会との取引のない地方の場合には、もう少し時間が掛かるかと考えます」
「それでも、凄いね」
感心した表情のソロン王太子を見て、これは褒められたのだとミリは思った。
「お褒め頂き、恐縮にございます」
ミリはそう言って、頭を下げる。
「だが、属人化は避けたい」
ソロン王太子の言葉に、ミリは顔を上げた。
「ミリ殿一人に全てを確認してもらうのは避けたい。コーカデスの事で、コードナに借りを作る事になるのは、まあ、今こうして、ミリ殿に話に加わって貰って置いて、何だけれどね」
ミリは何と返せば良いのか言葉が浮かばず、ソロン王太子に向けて小さく肯いてだけ返した。
「その確認は、他の人でも出来るのだろうか?」
「はい。帳簿が読み書き出来る方なら、問題はないかと存じます」
ミリの答えにソロン王太子の眉根が寄る。
「・・・それが出来そうな人に、心当たりはある?」
「それは、はい」
肯くミリに、ソロン王太子は肯き返すけれど、その表情には納得が見えない。
「それはソウサ商会の人かい?」
「はい。ソウサ家の者でしたら、皆、出来ます」
「う~ん。ソウサ家に頼むのも、避けたいのだけれどね」
ソロン王太子の眉尻を下がり、ミリの眉尻も釣られて僅かに下がる。
「あの、王太子殿下?帳簿の読み書きが出来る方なら、わたくしではなくても、ソウサ家の人間ではなくても、誰でも出来ると思うのですか?」
ミリの言葉にソロン王太子は首を左右に振る。
「残念ながら、ミリ殿。私にはミリ殿の言葉は、信じられないのだよ」
ソロン王太子に信じられないと言われ、少なくない衝撃をミリは感じた。




