39 会いたい
ソウサ邸の広間は、ラーラ誘拐事件の対策会議室になっていた。
ソウサ商会にはもっと広くて使い易い会議室があるが、ラーラが攫われた事をほとんどの従業員に対しては秘密としていたので、そちらは使えなかった。
また既にラーラは助け出されているが、今後の対策なども話し合う為に、広間はそのまま対策会議に使われていた。
今もラーラの祖母フェリと父ダンが対策会議室で情報を整理している。
他の家族はこの場にはいない。
祖父ドランはソウサ商会で通常通りの業務をしていた。母ユーレは体調を崩して寝込んでいる。次兄ワールはラーラが攫われてから、三兄ヤールは行商に西に戻る途中で連絡を受けてから、二人ともほとんど睡眠を取っていなかったので今は寝ている。
ドランとフェリはトラブル対応の経験が豊富な為、そしてダンはラーラが見付かってからも大変な事が分かっていた為、三人はラーラが見付からない間も小まめに睡眠を取っていたので、今も普段と変わらない程度に活動出来ていた。
一方、東部を巡っているラーラの長兄ザールには、まだ連絡が届いていない筈だった。ラーラが見付かった事も追って連絡したが、その報せを受け取ってもザールはソウサ邸に帰って来るだろう。しかしそれはまだまだ先の見込みだ。
対策会議室には後ほど、バルの祖父ゴバと祖母デドラも訪れる予定だった。
ラーラ救出の現場指揮を取っていたゴバも、貴族対応が必要になった時の為に当日はソウサ邸で控えていたデドラも、助け出されたラーラの事は遠目にしか見ていない。
その後も対策会議室を訪れる事はあっても、ソウサ邸内にいるはずのラーラを見掛ける事はなかった。
そしてもう一人、遠目にさえラーラを見る事が出来ていない男がいた。
ラーラが攫われた事をバルが知ったのは、当日ではあったがかなり時間が過ぎてからだった。
喚び出された店からラーラが自発的に馬車に乗り込んでいたので、攫われたと決断するのが難しかった。それが出来たのは、ラーラが最初に連れて行かれた建物が、愛を交わす為の場所だった時だ。
その後もラーラの救出が優先され、ソウサ邸とコードナ侯爵邸に誘拐として状況が報告されたのは、一部の犯人達を捕らえてからだった。
コードナ侯爵邸に帰っていたデドラがその報告を受け、バルに連絡を送った。そして連絡を受けたバルはコードナ侯爵邸ではなく、直接ソウサ邸に向かった。
そのままソウサ邸で夜を明かしたバルは、ラーラと二人して欠席をすると悪い噂を立てられると説得されて、学院に一人で登校した。
クラスメイト達はバルの様子がおかしいのには気付いたが、特に構ったりはしなかった。
それはバルがラーラとの交際練習を始めてから、バルはクラスメイトと一緒の時間を積極的には持たない様になっていたし、バルとリリの関係が冷えている様に周囲には思えていたので、余計なトラブルに巻き込まれない様に二人との距離を注意深く意識していたからだ。
それなのでクラスメイト達は、ラーラとの間に何かあったのかも知れない程度にしか、バルに対しては思わなかった。
クラスメイトの中でもパノは、バルとラーラに何かあったに違いないと考えていた。
それは祖母ピナにラーラ宛ての手紙を書いた事があるかを確認されたからだ。ラーラが喚び出された店を最近使ったかどうかも訊かれた。
パノが質問に答えた後も、コーハナル侯爵である祖父ルーゾとピナが何やら話し続けていた様だけれど、それきりパノは何も言われていなかった。
パノはラーラには興味がなかったし、パノと最近は疎遠なバルが機嫌が悪そうなら近付かないだけだ。
そしてリリは、ラーラに何かがあった事だけは知っていた。
バルのクラスメイト達がラーラに何かあった事を確信したのは、ラーラが休み続けている理由を知らないかと、ラーラのクラスメイト達がバルを訪ねて教室まで来たからだ。
無表情で知らないと返すバルは、覚悟を決めて貴族上級生の教室を訪ねた平民1年生達にはとても怖ろしかった。日に日に機嫌と見た目を悪化させていたバルのその時の雰囲気は、クラスメイト達にも恐怖を感じさせた。
そして何日も休んでいると言う情報に、ラーラには興味がなかった筈のパノとリリは驚いた。
ラーラの居場所が判明して救出する事になった時、当然バルは救出に同行する事を主張した。
コードナ家の家族の説得に応じないバルは、祖父ゴバに殴られ父ガダに殴られ、長兄ラゴに締められ次兄ガスに投げられ、母リルデに頬を張られ、喚び出されて嫁ぎ先からやって来た姉ヒデリに蹴り飛ばされて気を失った事で、やっと止まる事が出来た。
ずっと寝ていなかったバルが目を覚ました時には、ラーラは助け出されてソウサ邸に戻っていた。
今度はソウサ邸に向かおうとするバルは、「ラーラの気持ちを考えなさい」と言った祖母デドラの言葉が押さえ込んだ。
そのバルに会いたいと、ラーラから連絡が来た。
喜んで良い筈はない状況にも関わらず、自分の中に湧き上がる感情に、バルは背徳的な愉悦を覚えた。
バルはソウサ邸に駆け付けて、対策会議室になっている広間に駆け込んだ。
ラーラの父ダンに状況を伝えられ、またラーラに会うに際しての注意事項を告げられる。
ラーラの祖母フェリの案内で、ラーラの私室の前に立つ。バルを入れて良いかとのフェリの問い掛けに、室内から「はい」と小さく応えが返った。
バルが待ち望んでいた声だ。
もうとても長い間聞いていなかった気がするけれど、一瞬も忘れた事はない。
室内にはフェリは入らず、バルだけがドアを潜った。後でフェリがドアを閉める。
ラーラはベッド上で上半身を起こしていた。腹部から下には掛け布団が掛けられている。
バルは、ほっそりとして透き通りそうに見えるラーラの姿に、声が出なかった。
ラーラは、げっそりとやつれて顔色の悪いバルの姿に、掛ける筈の言葉を失った。




