チリンへの説明
ミリから頼みがあるとの連絡を受けて、元王女チリンは機嫌が良かった。
他の誰でもなく自分への頼みと言う事は、王家が絡む話に違いない。しかしバルとラーラからではなくミリからなら、話の規模は小さい筈。
そう考えたチリンには、甥であるサニン王子との個人的な話しか思い浮かばず、でも恋愛の話をミリがするとも思えず、トラブルの予感を感じて、少しワクワクとしていた。
妊娠の経過は順調だけれど、日々大きくなって行く腹部によって、チリンが出来る事は日に日に制限を受けて行く。散歩もし過ぎてはいけないだの、花を摘もうとしゃがんではいけないだの、少し高い所の物を背伸びして取ろうとする事さえ止められてしまえば、窮屈で仕方がない。針を使うのは危ないからと刺繍も禁止され、やることと言ったら編み物と読書くらいしかなくて、チリンは退屈もしていた。
その様な状態のチリンに取って、ミリからのお願いと言うイベントは、良い退屈しのぎではあった。
ミリがコーハナル侯爵邸を訪ねると、パノと並んでチリン自らが出迎えた。
「いらっしゃい、ミリちゃん」
「いらっしゃい、ミリ」
陰り無い笑顔のチリンに対して、パノの顔には苦笑が混じっていた。
「こんにちは、チリン姉様。今日はお時間を頂き、ありがとうございます。パノ姉様も、ありがとうございます」
「ミリちゃんの為だもの、構わないわ」
チリンのテンションの高さに、パノは更に苦笑を深める。
「ミリ?」
「はい、パノ姉様」
「あなたの到着をお母様に伝えて来るから、チリンさんをお願いしても良いかしら?」
「はい、パノ姉様」
「よろしくね、ミリちゃん」
「はい、チリン姉様」
ミリはパノからチリンの手を引き継いで、チリンの歩みに合わせてゆっくりと邸の中に入って行った。
チリンはミリを居室に連れて行く。そのドアの前にはチリンの夫スディオが立っていた。
「いらっしゃい、ミリ」
「こんにちは、スディオ兄様」
「今日は私も話を聞かせて貰うよ」
「あの、お忙しいのではありませんでしたか?」
「ミリが来るって聞いたから、仕事は急いで終わらせて来たよ」
スディオはミリからチリンの手を受け取る。チリンは手をスディオに預けながら、ミリに顔を向けて目を細めた。
「ウソよミリちゃん。スディオったら今日の予定を明日に回していたのよ?」
「一件だけだろう?わざわざミリに言い付けなくても良いじゃないか」
「一件だけだけれど、本当の事でしょう?」
仲の良い二人のいつもの様なじゃれ合いをミリは微笑みながら見ていた。
「ほら、母上が待っているから、中に入ろう」
「そうね。お義母様を待たせる訳には行かないわ」
「お母様なら待ってないわよ」
居室のドアが開いて、パノが顔を出す。
「二人の声が聞こえて、笑っていらしたわ」
「微笑んだだけですよ」
パノの後ろからパノとスディオの母ナンテが姿を見せた。
「ようこそ、ミリ」
「こんにちは、養伯母様。本日はお時間を頂き、ありがとうございます」
「いいえ、構いませんよ。さあ、中にどうぞ」
ナンテはミリに微笑みを向けて、室内に導いた。
レントをソロン王太子に謁見させると言う話は、ミリからチリンに対しての個人的なお願いの形を取らせる事になっていた。しかしコーハナル侯爵家に何も報せずに、その様な事をチリンに相談する事は出来ない。
それなのでミリはコーハナル侯爵家の女主人であるナンテの同席をお願いしたし、パノにも出来たら話を聞いて置いて欲しいと依頼していた。スディオにはミリから頼まなかったけれど、チリンの夫だし、コーハナル侯爵家の跡取りでもあるので、聞いて置いて貰えるなら、ミリに取ってはありがたかった。
その四人にミリから事情を説明をすると、しばらく誰も言葉を出さなかった。
チリンはミリとレントの文通にも反対の立場を取っている。それはミリも含め、この場の皆が知っていた。
それなのにそのレントの為に、ミリはチリンにお願いをすると言う。チリンはミリを可愛がっているので、他の人を謁見させるのなら直ぐに引き受けたかも知れない。しかし相手はリリ・コーカデスの甥レントである。ラーラの誘拐へのリリの関与は、疑われたままで晴らされてはいない。
ナンテもパノもスディオも、チリンがどう答えるのか、予想が付かなかった。
しばらく考え込んでいたチリンが口を開く。
「この事はバルさんとラーラさんはご存知なのよね?」
「はい」
「お二人は賛成しているの?」
「チリン姉様にお願いする事ですか?」
「それもそうですけれど、レント・コーカデス殿の頼みをきく事はどうなの?」
「はい。お父様もお母様も反対はなさいませんでした」
「反対なさらないと言う事は、もしかして私を頼るのはミリちゃんの案なのかしら?」
「はい、チリン姉様」
チリンの眉根がより、眉尻は下がった。
「ミリちゃんはコーカデス家とコーハナル家やコードナ侯爵家の確執を知っていたのよね?」
「お母様の誘拐に絡んだ事ですね?」
「それもそうだけれどその後も色々とあったし、ソウサ家ともそうでしょう?」
「はい」
「それなのにミリちゃんは、レント・コーカデス殿の手助けをするの?」
「私が行うのは、チリン姉様にお伺いを立てる所までです。ソロン王太子殿下との謁見が実現するとしても、その先はレント殿が自分で進めるでしょうから」
「謁見の口利きをして上げるのは、かなりの事よ?」
「はい。理解している積もりです」
「ミリちゃん?」
「はい、チリン姉様」
「ソロン王太子殿下とレント・コーカデス殿との謁見を実現する事に、あなたは何かメリットがあるの?」
ミリなら何かを考えているのだろうとは、この場の皆が思っていた。
「実現しなくても、チリン姉様に頼んだだけで、私には得があります」
「どんな得が?」
「私はお母様の命令で、コーカデス伯爵領に行く事になりました」
「え?ラーラさんの命令?」
「はい」
「何をしに行くの?」
「コーカデス領の干し魚が売り物になるかどうかの見極めにです」
「魚って、ラーラさんの命令と言う事は、ソウサ商会の?」
「いいえ、ソウサ商会には頼らずに、ミリ商会として対応する様に命じられました」
「それは、どの様な狙いで?」
「お母様には聞いてはおりませんけれど、商人としての経験を積む為ではないでしょうか?」
「そうなの?」
「はい。私はミリ商会を作りましたけれど、あの後は売買をしていませんので、それでなのだと思います」
「そう・・・それで?ソロン王太子殿下の謁見を仲介する事と、干し魚がどう関係するの?」
「直接は関係しませんが、レント殿に恩を売って置けば、コーカデス領に行った時に、多少はワガママも通るかと思いました」
商人としてのラーラとミリの判断なのかと思うと、チリンは「そうなのね」と納得するしかない。そしてそれは他の三人も同じだった。