更なる望み
ミリがコーカデス領まで干物を取りに行く事が決まり、レントは頭を下げた。
「ありがとうございます、バル・コードナ様、ラーラ・コードナ様。よろしくお願いいたします、ミリ・コードナ様」
今更反対は出来ないと思って、バルは「ああ」と肯いた。そのバルの表情からバルの心情が良く分かったラーラは、苦笑気味の微笑みを頭を下げたままのレントに向けた。
「いいえ。これからが大変だと思います。コーカデス領の干し魚がまた港町で販売される事は、わたくしも楽しみにしていますので、よろしくお願いしますね?」
レントはもう一段頭を下げて、「はい」と返す。
「精一杯、努力をいたします」
「はい。期待させて頂きますね」
「はい。ありがとうございます」
レントは更にもう一段、頭を下げた。その姿にラーラの微笑みから苦味が消えて、代わりに慈愛が滲み出す。
「それとわたくしの事はラーラと呼んで頂いて構いません」
バルは反射的にラーラを見た。その目は少し細まっている。
レントは返事を一瞬躊躇した。
ラーラがレントに向ける好意がレントには理解出来ず、どうしても何かの罠の様な気がしてしまう。しかし断る訳にもいかないので、レントはラーラの申し出を受ける決意を固めた。
「ありがとうございます、ラーラ様。わたくしの事はレントとお呼び下さい」
「分かりました、レント殿」
レントに対するバルの好感度は下がったので、強ち罠ではないとは言えなかった。
ラーラがレントに名前呼びを許した事に、レントは単純にヤキモチを焼いた訳ではない。
ミリもレントに名前呼びを許している事は、バルも報告を受けて知っていた。この場ではミリもレントも家名を付けて呼び合っているが、それは公の場だと弁えているからだろう。それは良い、当然だ、とバルは心の中で肯いた。しかしそれは、裏を返せば、ミリとレントが名前呼びをしている時は、プライベートな時間扱いをしていると言う事だ。それに気付くとバルの気分は下がる。
いやつまり、良く考えたら、単純なヤキモチだった。
しかしバルはそれを真っ直ぐに認める事などはせずに、こう言うのは俺が名前呼びを許してからラーラが許すべきだろう?などと考えていた。しかしそれをラーラの所為ではなくて、レントの所為だとバルは思っていた。
ちなみにラーラは、バルが前回レントに会った時に、レントの事をバルが気に入ったと感じていたので、ミリもレントに名前呼びを許しているし、男同士のバルとレントも当然名前で呼び合っているとラーラは思っていたりする。
その様な事を知らないバルは、余程の事がない限りレントには名前呼びを許さない、とヘソを曲げての結論を心に決めていた。
一方で、罠を覚悟してラーラの申し出を受けたレントの心には、ヤケクソが広がる。そのヤケクソを自分で利用して、言い出すのが難しい筈の話題をレントは口にした。
「実は別件で、コードナ家の皆様に、お願いさせて頂きたい事がございます」
「願い?」
そう呟くバルの眉間に皺が出来る。
ラーラは、顔を伏せたままのレントの表情が読めず、ミリの様子を見た。ラーラの視線に気付いたミリはラーラを見返して、疑問を浮かべるラーラの顔に向けて小さく左右に首を振って返す。
二人の様子を視界の端で見て取ったバルは、声を低くしてレントに尋ねた。
「コーカデス家の願いとは?」
「わたくしはソロン王太子殿下に、報告と相談をさせて頂きたい事がございます。しかしコーカデス家としてではございません。レント・コーカデスとしてでございます」
「個人的な話だと言う事か?」
「いいえ」
「いいえ?」
「はい。わたくし個人とは言い切れず、内容はコーカデス領に付いての事で、将来当主を継ぐ立場のレント・コーカデスとして、ソロン王太子殿下との謁見を望んでおります」
「領地の事なら、コーカデス伯爵が国王陛下に報告なり相談なりする筈だが、違うのか?」
「事情がございまして、先ずはわたくしからソロン王太子殿下に、話をさせて頂きたいと思っております」
「その事情と言うのは、我々には話せないのだな?」
「はい」
レントはヤケクソ状態ではあったけれど、ミリには相談に乗って欲しいがバルとラーラには知られない方が良いと、その判断は冷静にしていた。
「申し訳ございません。皆様にお伝えして良いかに付いても、先ずはソロン王太子殿下のご意見を伺いたいと考えております」
バルはラーラとミリを見る。
ラーラは少し首を傾げてバルに返した。貴族の立ち回りに関して、ラーラも習ってはいる。しかし社交界が機能しなくなっているので、ラーラは実践経験が少ない。それなので生まれ付き貴族であるバルに、この件の判断を委ねる事にラーラはしていた。
ミリはバルの視線に気付くと、真っ直ぐにバルを見詰め返した。バルにはそれが、バルとラーラの言う通りにすると言うミリの意思表示かと思えてしまう。
バルは心の中で溜め息を吐くと、レントの姿に顔を向けた。
「ソロン王太子殿下に直接取り成す事は、我が家の者では出来ない」
バルの言葉にレントは、ミリなら出来る筈だと思ったけれど、一旦は「はい」とバルの意見に譲った。




