ラーラの狙いと嵌まるバル
寝室に入って直ぐに、バルはラーラに話し掛けた。いつもの様に一緒のソファに腰掛けたり、ベッドに入ってからではなく、ドアの前に立った状態でだ。
いつもの様にしてしまうと、最近のいつもの様にの甘い雰囲気に自分が浸ってしまって、必要な話をし切れない事をバルは警戒していた。
「ラーラ」
「え?どうしたのバル?恐い顔をして?」
「え?恐い?」
バルは自分の顔に手を当てる。
ラーラはソファから立ち上がるとバルの隣に来て、バルの頬に手を添えた。
「ほら?顔が強張っているけれど、何か、怒っているの?」
「いいや、怒ってはいないけれど」
「そう?それなら良かった」
ラーラが微笑むとバルも釣られて微笑んだ。それを見てラーラがバルの胸元に顔を埋めたら、結局いつもの様な甘い雰囲気が漂ってしまった。
「もしかして、ミリへの命令の事?」
ラーラはその話をバルがする事を分かっていて、バルと揉めない様に自分が話をリードしようとしていた。しばらく前まで人を怖がって、バルにも余り触れる事が出来なかったラーラの取る手段とはとても思えず、バルはすっかり油断をしていてラーラの思惑に既に嵌まっていた。
嵌まっているバルは、ラーラの体を包む様に腕を回す。
「そうだね。それに付いてはラーラの狙いを訊きたかった。どうしてあの様な命令をミリにしたのだい?」
「それなのだけれど、バル?」
「うん?」
腕の中で見上げて来るラーラをバルは見詰め返す。
「ミリが自分の意見を言わないのは、問題だと私は思っているの」
「ああ。俺達の言う通りにしようとする事だよね?」
「ええ。それだけではなくて、パノやチリン様が止めるからと言って、文通を止めようとしていたでしょう?」
「ああ、確かに」
「だから少し、失敗をさせようと思って」
「え?失敗?」
バルの眉間に寄った皺に指を伸ばして、ラーラは「ええ」と答えた。
もみもみとラーラに揉まれるけれど、バルの眉間の皺は却って深くなる。
「いや、ごめん。失敗させると言う事が良く分からないのだけれど?」
「そう?」
「ああ。説明して貰える?」
「もちろん」
そう言うとラーラはバルの手を引いて、ソファへと導いた。
バルを先に座らせて、ラーラはその腿に腰を下ろす。つまり最近のいつものポジションなのだけれど、失敗の理由に気を取られているバルは、寝室に入った時の警戒をもう忘れていた。それはラーラを腿に乗せる事をバルが意識せずに行えるほど、二人が毎日繰り返しているからこそではある。
「デドラお祖母様もピナお養母様も、ミリが失敗しないようにと教育をして下さったでしょう?」
「ああ、そうだね」
「フェリお祖母ちゃんも多分そう。帳簿付けなんて失敗を許す筈がないし、目利きも失敗して良い訳がないから」
「ああ、そうなのだろうな。でもそれが?」
「だからミリは失敗した事がないのではない?」
「その様な訳はないだろう?ミリがいくら賢くても、どんな事でも教わっていきなり出来たりはしないと思うよ?」
「ええ確かに、勉強や護身術の訓練では失敗もあると思うわよ?ダンスの練習でもきっとそうよね?」
「そうだな。礼儀作法だって、一度でピナ様に合格を貰えたとは思えない」
「ええ。でもそれは本番で失敗しない為にでしょう?」
「それはもちろんそうだよ。本番で失敗したら大変だろう?」
「ええ。だからミリは、本番では失敗した事がないのではない?」
「本番?と言うとサニン王子の懇親会の事?」
「それもそうだし、ソロン王太子殿下や国王陛下と王妃陛下にも、お目に掛かっているでしょう?」
「確かに、それも本番だな」
「ええ。それでチリン様の話では、礼儀作法も確りと教育の効果が出せていたと言うし」
バルは元王女チリンがミリに甘い事を思って、チリンのミリへの評価が甘いのかも知れないと考えていた。
それなのでラーラの意見にバルは首を傾げる。
「チリン様の評価はあてになるのか?」
「それって、ミリがチリン様に気に入られているから?」
「ああ。ミリに対しての評価は甘いのでは?」
「それはないと思うわよ?だって甘い評価をされて困るのはミリだもの。直すべき所があるなら、チリン様も確りと指摘をして下さる筈よ」
「う~ん、そうだろうか?」
「例えば護身術。護身術の訓練でミリの問題に気付いたら、バルはそれを放って置く?」
「いや、問題を放置したらミリが危険だろう?そんな事はしないよ」
「バルはミリに甘いけれど、そう言うのはちゃんと直させるでしょう?」
「ラーラに言われるほどミリに甘い積もりはないけれど、確りと指摘はするな」
「私に言われる程も何も、バルはミリに甘いと思うけれど?」
「確かに甘いかも知れないけれど、ラーラだってミリに甘いじゃないか?それを言ったんだよ」
ラーラは首を少し傾げて「そう?」と返す。
ラーラはバルの方が絶対にミリに甘いと思っているし、バルに甘いと指摘されるのは納得出来なかった。しかしバルとの間のこの手の話はいつも結論が出ないので、今は流す事にする。
「それでね?それだからチリン様も、可愛がっているミリに確りと指摘を下さると思うの」
「う~ん、なるほどね」
「それでね?本番で失敗した事がないから、ラーラは私達の意見に従うって言うのではないかと私は思うのよ」
「失敗した事がないから?」
「ええ」
「失敗するのがいやで、他の人の考えを聞くと言う事かい?」
「それもあるかも知れないけれど、自分で判断しない事の危険性が、ミリは分かっていない様に私には思えるの」
「人に判断を委ねる危険性?」
「委ねるって言うか、私もバルもパノも多分チリン様も、ミリには信用されているのだと思うのよ」
「多分、そうだろうね」
「だから言われた通りにしても、間違いはないと思っているのだと思うの。それで言われた通りにしたらどうなるのか、余り考えていないのではないかしら?」
「う~ん、それはそうかも知れないけれど、それと失敗させる事が、俺には一向に結びつかないのだけれど?」
「それなので今回、私の命令で失敗させて、命令をきく危険性を覚えさせようと思うの」
「わざと失敗させて?」
「大失敗はしないかも知れないけれど、上手くいかない事は多いと思うわ。そうすれば言われたからやるのではなくて、自分でも考えて納得してからやる様になるでしょう?」
「う~ん、そう言われると、そんな気もしてくるけれど」
「そうして次には、目の前の状況に対してちゃんと目を向けて、自分の考えを口に出来る様になると思うのよ。どう?」
バルは今でもミリが自分の考えを確りと口にする時があると思っているし、人の言う通りにする時には何か隠れた原因があるのではないかと考えていた。
しかしそれは何か思い付かないし、それがあるとしてもどうしたら見付ける事が出来るのか、今の所はアイデアがない。それにラーラのやろうとしている事の意味も理解出来て、ミリの為にもなりそうに思える。
それなのでバルは、ラーラに向けて「なるほど」と肯いた。
バルはもう、ラーラとの間の甘い空気に浸ってしまっていて、必要な話をし切れているかどうかの判断をする事を忘れていた。




