37 わかれ
死亡者が出ます
学院に向かう馬車の中、先に話を切り出したのはバルだった。
「実はマスト上りの日に他に予定が出来てしまって、日にちを変えて貰えないか?」
「え?そうなの?」
「済まない」
そのバルの口調に、ラーラは少し隔たりを感じた。その空気を追い払う様に、ラーラは少し早口で告げる。
「実は私も外せない用事が出来てしまって、バルに相談しようと思ってたの」
「外せない用事?誰と?」
「う~ん、ちょっと言えないんだけど」
「言えない?親友の俺にも?」
バルの機嫌が悪くなる。でもラーラは大分慣れて来ている。
「そう」
そう一言言って、バルの目をしっかりと見た。
別に勘違いされたって良いのだ。バルへの思いは諦めるのだから。でも、親友としては信じて欲しい。ラーラには決して疚しい事などないのだから。
察したバルが訊く。
「貴族か?」
ラーラはバルの目を見たまま、肯定も否定もしなかった。
「危なそうなら俺に言えよ?ウチの誰かでも良い」
「ええ。頼りにしてるわ、バル」
苦笑いするバルの機嫌は少し良くなっている事がラーラには分かった。
馬車の中では替わりの日をいつにするかが話し合われ、バルの用事に付いてはそのまま話題に上らなかった。
パノの手紙で指定された日。
ラーラは指定された店に来ていた。
ソウサ家から送った質問の回答はパノからは届いていないけれど、メイドも護衛も連れて来ている。
店員に案内された個室にも、メイドと護衛とラーラの3人で入った。
時間を少し過ぎて、個室に男達が入って来た。皆、良い身なりをしている。
ラーラが前に立ち、会釈をしてから口を開いた。
「申し訳ございません。わたくし共は部屋を間違えた様で御座います」
「お前がラーラ・ソウサか?」
一番前に立つ男が言った。
自分の容姿が知れ渡っているとは思えない。そうするとこの貴族らしい男はパノの知り合いなのだろうか、とラーラは考えた。
「はい。そうで御座います」
「許可無く口を開くとは、教育がなってないな」
「申し訳ございません。平に御容赦を」
「それはお前の今後の態度次第だ。だが、後の男は私に向かって剣を抜いたな?」
護衛は剣の柄に手を掛けただけで、抜いてはいなかった。
「お約束した方と別の方がいらっしゃいましたので、わたくしを守ろうとしたまでで御座います。責はわたくしに御座いますし、護衛はソウサ家の使用人で御座いますので、後日改めてソウサ家よりお詫びさせて頂きたいと存じます」
「そんな自分の都合だけを押し付けて、通ると思っているのか?」
「申し訳御座いません」
「まあ良い。場所を変えるぞ」
「申し訳御座いません。わたくしは本日、こちらに喚ばれて参りました次第で、その方とのお約束を違える訳には参りません」
相手はパノの知り合いの可能性が高い。もしかしたら代理でこの場に現れたのかも知れない。
しかし相手の素性がまだ分からない。違っていたら付いて行く訳には行かない。
「約束の事は人に話すなと書いてあったろうに、口にするとは駄目な奴だ」
「え?」
「まあ約束の相手は私なのだから、その件だけは赦してやるか。パノ・コーハナルからの手紙は私が出させたのだ。お前に用があるのは私だ」
手紙を出す事を侯爵令嬢に命じられるとなれば、かなり上位の貴族あるいは王族の筈だった。
ラーラの背中には先程から冷や汗が流れていたが、相手を刺激しない為に表情は努めて冷静を保った。
「申し訳御座いません。貴方様はどなた様なのでしょうか?」
「私を知らないのか?不勉強な奴だ」
「申し訳御座いません」
「まあ良い。それもしっかりと教えてやる。良いから付いて来い」
相手はこの場で名乗る気もなさそうだ。これ以上この場で情報を集めるのは難しいとラーラは判断した。
「畏まりました」
そう言うとラーラは、護衛とメイドにはその場に残る様に手で合図をする。
護衛もメイドもそんな命令には従いたくないが、声を出したり体を動かしたりしたら主人の立場を悪くするかも知れないと思うと、勝手は出来ない。顔も歪ませない様に堪えた。
「その二人も連れて来い」
「いえ、この二人は御容赦下さい。この二人はわたくしの使用人で御座いますので、責はすべてわたくしが」
「私は連れて来いと言ったのだ」
「・・・はい」
相手が誰だかも分からずに、ラーラ達は店の別の出入り口から、知らない馬車に載せられて連れて行かれた。
公爵家主催のダンスパーティーの帰り道。
バルはコードナ侯爵家の馬車に、リリと一緒に乗っていた。
「結局バルは、一度しか踊らなかったのね」
リリは正面を向いたまま、斜向かいに座るバルに視線だけ送って、独り言の様に呟いた。
「ああ」
バルは少し俯いたまま、視線は前の座面に下げたままで応えた。
「噂では最近のバルは、何曲も続けて踊ると聞いたのだけれど」
「そうか?」
「それも同じ少女と」
「ああ」
「交際練習のお相手?」
「ああ」
「確か、ラーラ・ソウサさんだったかしら?」
「ああ」
「そう」
リリは視線を正面に向ける。
「あのまま、交際練習を続けているのね」
「ああ」
リリは顔を少し窓に向けた。
「色々と噂のある少女だと聞いたけれど」
そう言ってリリは顔を動かさずに視線だけをバルに向けたけれど、バルは視線も体も動かさずに返事もしなかった。
間もなくコーカデス侯爵邸と言う所まで来て、バルが口を開いた。
「今後はこう言う事は止めてくれないか?」
「こう言う事って?」
リリは窓の外を見たまま応える。
「俺を無理矢理出席させただろう?」
「あら?しばらく姿を見せないあなたに、公爵閣下が招待状を送ったのではないの?」
「それでなんで、リリのエスコートまで指定されるんだ?」
「私のパートナーの都合が急に付かなくなっていたから、公爵閣下が気を使って下さったのかしら?だって私のパートナーと言えば、長い事バルだったもの」
「今後はリリのパートナーは務められない」
「あら?」
リリは小首を傾げながらバルを見た。
「それは何故?」
「俺には今、大切な事がある。申し訳ないが、リリの為に裂く時間は無いんだ」
「まあ、不思議な事を言うのね。バルは散々私を振り回したのに、自分は私に少し付き合わされるのも嫌だと言うの?それに、バルは私に借りもたくさんあるじゃない?」
「過去の清算が必要と言うなら、コードナ家として対応させて頂く」
「過去の清算なんて、随分と大袈裟な言葉を使うのね。それに私に借りを作ったのはバルなのに、返すのは家からなの?」
「いや」
「バルってそんな男だった?」
バルは顔を上げてリリを見た。
「ああ。俺はこんな男だ」
真剣な表情を浮かべるバルを見て、リリは自分の気持ちが冷めていくのを感じた。
リリはゆっくりと顔を窓に向け、「そう」と呟いた。
コーカデス侯爵邸に着き、バルがリリをエスコートして馬車から降ろすと、騎馬したコードナ侯爵家の護衛が勢いを落とさずに馬車の傍まで駆け付けた。
飛び降りる様に護衛が下馬し、バルに駆け寄り耳打ちする。
「ラーラが?」
バルのその緊迫した声はリリにも届いた。
バルは護衛の乗って来た馬に飛び乗ると、そのままコーカデス侯爵邸の門から出て行った。馬車に付いていた護衛達もバルの後に続き、その場には馬車と、連絡を持って来て馬をバルに譲った護衛と、リリと侍女が残される。
エスコートも中途半端に別れの挨拶さえ告げず、背中を向けたバルにリリは昏い瞳を向けていた。
ラーラには平民向けの嫌がらせをするとリリは聞いている。ソウサ商会には影響がないから、依頼元を辿るなどしないだろうとも。
ソウサ商会が貴族であるリリまで辿れない事は、ラーラの噂の件で証明されていた。たとえ辿れても、侯爵令嬢であるリリをソウサ商会がどうにか出来る筈もない。
ラーラがどんな目に遭うのか、リリは確認しなかった。
それは、自分がラーラに関して興味を持つ事さえリリには認める事が出来ず、たとえ勘違いでも人にそう思われる事も許せなかったからだ。
貴族のリリが嫌がらせをする相手は同じ貴族のバルであり、平民のラーラはその嫌がらせに使う為の道具にしか過ぎない。
バルの姿が見えなくなってから、リリは「良い気味」と小さく呟いた。
それは、馬車の中で興味を失くした筈なのに、背中を向けられた途端に憎しみを感じてしまったバルへの言葉なのかも知れない。
見掛けた事があるだけで話した事もない、これからも話す事などないであろうラーラへの言葉ではない筈だった。
呟いた事でリリの中の小さな復讐心は満足した。バルへの憎しみも思いも心の底に静かに沈む。
これで良い。
これでリリは、話が上がった縁談に心を向けられる。
リリはエスコートもなくコーカデス侯爵邸に入ると、バルの事も興味のないラーラの事も、もう思い出す事はなかった。
ソウサ邸に飛び込んだバルには、ラーラが攫われた事と、犯人の一部は捕まえた事、ラーラに付いていたソウサ家の護衛とメイドが亡くなった事、ラーラの行方が分からない事、身代金の要求がまだない事が告げられた。
ラーラが見付かったのは、五日後だった。




