予想と期待と懸念
夜中に空腹になるかも知れないからと、作る様に頼んで置いた夜食を食べてから、レントは静かに自室を出た。
そして灯りの消えている暗い廊下を通って裏口から邸の外に出ると、レントは厩に向かう。
厩の前には護衛達が集まっていた。
「お待たせしました」
小声ながら笑顔でレントがそう声を掛けると、護衛達は戸惑った表情をレントに向ける。
「本当にこれから行くのですか?」
護衛の隊長が、顔を蹙めながら小声でレントに確認をした。
「もちろんです」
「今夜は月もなくて、道もかなり暗いですよ?」
「もってこいではありませんか」
護衛の一人が用意した、平民の子供が着る服に厩の陰で着替えながら、レントは小声ながらもハキハキとした迷いのない口調で答えた。
「大奥様からは許可を頂けたのですか?」
着替え終わって厩の陰から出て来たレントは、その質問に微笑みを返す。
「わたくしがその質問に正確に答えてしまうと、あなた達の立場は悪くなったりしませんか?」
「レント様。勘弁して下さいよ」
「ですのでわたくしからは、全て問題ありません、とだけ答えておきます」
「それって俺ら、共犯って事ですか?」
馬番が暗い中でも分かる困惑顔を浮かべて、情けなさそうな声を上げた。
「共犯と言うのは犯罪を犯した場合に使用する言葉です。あなた達の様な協力者の事は、立役者と言うのですよ」
暗闇に浮いて見える様な明るい表情で、レントはそう断言した。
音を立てない様に馬を引いて裏門から出たレント達一行は、邸からしばらく離れてから馬に乗る。
道を進んでしばらくすると、荒れ果てた元農地が続き、人の住まなくなった崩れ掛けの家屋が現れる様になる。人通りもない為に、草が生え放題の道と道端と元農地との境も良く分からなかったりする。それらはレントの想定通りではあったけれど、期待通りではなかった。
馬の足下に注意しながら進んで行くと、やがて生え放題の草の終わりが見えた。
レントはそこで馬を降り、護衛を二人だけ連れて草の中を歩き、生え放題の終わりからその先を見詰めた。
そこに広がる畑が、今夜のレントの目的地だった。
畑の傍には農道があり、使われている形跡がある。
農道を歩いて行くと建物も見える。室内に灯りは灯っていない様だが、玄関を中心に周りの草が刈られている為、人の出入りがある筈なのは分かった。
建物の裏からは、家畜の鳴き声が小さく聞こえる。
畑や建物のある場所の周りは背の高い草で覆われ、背の低いレントの目には見えない。その先を見る為に、空中に放り投げて欲しいと言うレントの頼みは、護衛に断られた。その代わりにと護衛の一人がもう一人の護衛の肩の上に立って先を見たが、草で覆われている事しか分からないとレントに報告する。
レントは建物には近付かない様に距離を取って先に進んだ。
道の先にも農地は続き、使われていると思われる家屋が他にも何軒かある。
そして辿り着いたのは、昼にレントが尋ねた場所だった。
レントは昔の地図を元にして、町を目指して廃村跡を辿って来たのだ。
つまり、コーカデス伯爵の所有地と言われた場所は、領地の帳簿上は廃村になっているけれど、実際には人が暮らして農作物を収穫している場所だった。
そこに暮らす人も、収穫物も、領主への報告書には記載されてはいない。
つまり領主に内緒で税金を納めずに誰かが暮らしているのか、あるいは領主が国に内緒で人を雇って働かせているのかだった。
その場に立って少し考えた後、レントは護衛と共に来た道を戻る。
そしてコーカデス邸に戻ると、今夜の事を護衛と馬番に口止めして、レントは邸に入った。
レントは自室に戻るとベッドの上に寝転がった。
今日の視察で訪ねた町は、帳簿上の数値からレントが想像していた状況より、実際の様子の方が商人達の雰囲気に余裕が感じられた。昔に比べると周辺の村に人が住まなくなっている筈なので、もう少し寂れた様子をレントは頭に思い描いていたのだ。
そしてそのレントの想像との差異の理由は、隠された農地からの収穫にあったのだろうとレントは納得した。
ただ、もしかして廃村と言うのは全て嘘なのではないか、とのレントの期待は裏切られた。隠された農地に向かうまでには本当に放棄されている農地もあったし、隠された農地の周囲もただ一面に草が生えているだけだった。
廃村が全て嘘であれば、コーカデスが侯爵領に戻るのも簡単だったかも知れない。しかし、帳簿上の廃村のほんの一部でしか農作物が作られていないのであれば、そうはいかない。その一部から正しく徴税するとするならば、ほんの僅かな税収増と引き換えに、脱税問題と言う面倒事を解決する必要がある。
レントは自分はどうするべきなのかと考えた。
納税をせずに暮らしている人がいる事が知られれば、正しく納税している領民達は納得しないだろう。レントとしても、もちろん脱税は正すべきだと思っている。
しかしそれはいつ?気が付いた今、手を付けるべき問題なのか?
レントがそう考えるのには、この件をレントの父スルト・コーカデス伯爵に報告しても上手く解決されないのではないか、との懸念を感じているからだ。
それなら証拠を集めて解決策も合わせてスルトに提示するか、それとも自分が伯爵位を嗣いで領主になるまで待つか。
夕方に寝ていたのもあるが、今晩見た物と、そしてそれが自分の想定通りだった事に興奮していたのと、更にこの先の状況への懸念や不安もあって、レントはもう今晩は、眠れそうにはなかった。




