ラーラの心配
バルがベッドから出ると、背後からラーラが声を掛けた。
「バル?どうしたの?」
「起こしたか?ゴメン」
「ううん。眠れないの?」
「いや、目が覚めてしまって」
暗い室内でガウンを羽織るバルの影を見ながら、ラーラは片肘を突いて上半身をベッドから少し浮かせる。
「お酒でも飲む?」
「・・・そうだね」
「用意するわね」
そう言うとラーラは上掛けを剥いで体を起こすが、それをバルは手で制した。
「いや、ラーラは寝ていて良いよ?」
「なにか考え事をするの?私は邪魔しない方が良い?」
「邪魔な訳がないだろう?」
「それならここで飲みましょうよ。居室に移るとメイド達に悪いわ」
「そうだな。分かったよ。ラーラも飲む?」
バルは口角を少し上げて眉尻は下げ、ベッドから出ようとしているラーラにガウンを差し出す。
「ええ」
ガウンを受け取りながら、ラーラは微笑んだ。
灯りを少しだけ付けた寝室に、二人で酒とクラッカーを用意して、ソファに座る。
ラーラは一口口を付けるとテーブルにグラスを置いて、バルの肩に凭れ掛かった。
バルはラーラの体が動かない様に注意しながら、腕を伸ばしてクラッカーを一枚摘まむと、ラーラの口先に差し出す。ラーラは少しだけ頭を動かして、クラッカーを一口だけ囓った。残りはバルが自分の口に入れる。
クラッカーを飲み込むと、ラーラはバルの腕に抱き付いた。バルはまたラーラの体を動かさない様に注意しながらグラスをテーブルに置くと、ラーラの膝裏に手を差し入れて、ラーラを自分の腿の上に抱き上げる。ラーラはバルの胸に片手を置いて、顔はバルの胸元に埋めた。
ミリがいれば、ラーラはミリを抱き締める事でスキンシップを取っていた。ミリがいなくてもパノがいれば、抱き付いたりはしないけれど、体を触れ合わせる事が出来る。
しかし二人がいない最近は、ラーラはかなりの頻度でバルに触れて来る様になっていた。もちろん日中や人前では、ラーラも我慢してはいる。
ベッドでも、ラーラはバルから離れない。バルが身動きすると、その都度ラーラは目を覚ましていた。バルもそれに気付いていたので、なるべく体を動かさない様にしているし、先程もラーラを起こさない様に静かにベッドから下りた積もりだった。
ラーラの髪を撫でながら、バルは手を伸ばしてグラスを取った。ラーラが少し顔を上げたので、バルがグラスを口先に持って行くが、ラーラは小さく首を左右に振る。バルはグラスを自分の口に運んだ。
「ねえバル?もしかして、ミリがソロン王太子殿下にお目に掛かった事を考えていたの?」
「俺?いいや。ラーラの事を考えていたよ」
「そう?私もバルの事を考えていたわ」
「うん?そうか」
「ええ。でもミリが、王太子殿下にかなり気に入られていそうなのは、心配ではない?」
「殿下が気に入ったからと言って、ミリが王家に嫁ぐ様な事はないよ」
「でも公爵家には、サニン王子殿下と年回りの合うご令嬢はいないのでしょう?」
「そうだけれど、サニン殿下と結婚するのは、今度はコウゾ公爵家の令嬢だろう?」
「順番ではそうらしいけれど」
「まあたとえ、コウゾ公爵家に女の子が生まれなくても、ミリが嫁ぐ事はないさ」
「でも、王子の婚約者候補に名が挙がったりしたら、ミリが危険じゃない」
「そこは俺が牽制して置くし、警戒もして置くから大丈夫だよ」
「でもサニン王子殿下のお相手がいなければ、王家からミリに縁談が来たら断れないのではない?」
「そんな事があっても、コードナ侯爵家もコーハナル侯爵家も、俺達の力になってくれるさ」
「そのコーハナル侯爵家が大丈夫なのかは、少し心配なのよ。今回、ミリをソロン王太子殿下の元に遣わせたのは、チリン様でしょう?」
ラーラの言葉にバルは、口の中に苦味を感じる。
パノの弟嫁チリン元王女がミリを王家への遣いにした事に付いて、バルは快くは思っていなかった。事情が事情だから、バルへの連絡が事後報告になったのは仕方ないし、事前に許可を求められたとしても了承する事にはなっただろう。それでも今ひとつ、バルは納得をしてはいない。
「確かにそうだけれど、考え過ぎではないか?」
納得はしていないが、ラーラの不安を晴らす為には、バルはそう返す事を選んだ。しかしラーラの髪を撫でていたバルの手は無意識に止まる。
ラーラはバルの胸から顔を離して、バルの顔を見上げた。
「だってチリン様、ミリをかなり気に入っていらっしゃるし」
「チリン様が男の子を産んで、ミリをコーハナル侯爵家の跡取りの妻に、だったらあり得るかも知れないけれど。スディオもミリの事を気に入っているからね」
「跡取りって、これから生まれるのよ?ミリと何歳離れると思うの?」
「だからそれも、実際にはあり得ないだろう?」
「だからその代わりに、チリン様の甥に当たるサニン王子殿下と、縁を結ばせようとするかも知れないでしょう?」
バルはチリンがサニン王子の事は、ミリの事程には可愛がっていない様に感じていた。
ソロン王太子とチリンは仲が良かったから、兄をニッキ王太子妃に取られた様に思っていて、ニッキ王太子妃の産んだサニン王子の事もチリンは気に入ってはいないのかも知れない、とバルは思う。
チリンは王位継承権を持ちはしているが、王族籍は抜けている。それなのでチリンは、サニン王子を気軽に可愛がる訳にもいかない。ラーラはそう思って、チリンは甥への愛情を隠している可能性もあると考えていた。しかしバルはそれだからこそ、ミリを王族籍にして気軽に可愛がる訳にもいかなくする事をチリンは望まない、と考えていた。
「あり得ないと思うけれど、どうしても心配なら、サニン王子の婚約が決まるまで、ミリを留学でもさせておくかい?」
「え?良いの?」
「良いよ。なんで?構わないだろう?」
「ミリを一人で他国に行かせるなんて、それがたとえ短期の旅行でも、バルは反対すると思っていたから」
「一人でなんて行かせる訳はないだろう?」
「まあ希望者を募れば、使用人の中にも他国行きに立候補する人はいそうだけれど」
「そうだろうけれどそうではなくて、俺達も一緒に行けば良いじゃないか?」
「え?私達?仕事はどうするの?」
「その国に、ソウサ商会の支店を設立しに行かせて貰えば良いよ」
「簡単に言うけれど、なかなか大変だと思うわよ?」
「でも、楽しそうではない?」
「そうも思うけれど、危ない事もあるかも知れないし」
「ラーラもミリも、必ず俺が守るから大丈夫だよ」
「それは信じているけれど、バルが危ないじゃない」
「護衛も大勢連れて行けば良い。護衛にも行きたがる人は結構いるだろう」
「う~ん、そうかも」
「何より俺達と一緒の方が、ミリも喜ばないかな?」
「そうね・・・」
ラーラは他国での暮らしを想像しながら、無意識にバルの肩から胸を指でなぞる。バルも止まっていたラーラの髪を撫でる手を再び動かした。




