コウグ公爵家の使者の反応
パノの弟嫁チリン元王女は、自分の腹部にそっと片手を当てて、そちらに視線を落とす。
「わたくしには、この子を無事に産む使命があります」
チリンはそこで言葉を切ったけれど、頭を下げたままチリンの話の続きを待っていたコウグ公爵家からの使者は、少し遅れて、頭を下げたまま小さく肯いてから応えた。
「もちろんでございます」
続けようとする使者をチリンの言葉が遮る。
「その為には、最善の手段を選ぶ必要があります」
またそこでチリンの言葉に間が開くので、使者は再び小さく肯いて「もちろんでございます」と応える。
チリンはふっと顔を上げて使者を向き、その頭頂部を見た。
「コウグ公爵家のハッカ・コウグ様は、何度もお子を失くしていらっしゃいませんか?」
そのチリンの言葉に顔を上げた使者は、それこそ目を見開いて驚きを表情に浮かべていた。
「いえ、その様な事は」
「ミリ」
使者からミリに視線を移して、チリンは今度は途中で使者の言葉を遮る様に、短くミリの名を呼んだ。
ミリは心の中では溜め息を吐きながら、会釈しながら「はい、チリン様」と応える。
「助産院にはハッカ・コウグ様の妊娠の記録はありますか?」
「はい、チリン様」
「それは取り寄せる事が可能ですか?」
「はい。手続きを致しますれば、写しを取り寄せる事は可能でございます」
「いえ、お待ちを!」
チリンとミリの会話の発話者の方に忙しく顔を向けながら、少しずつ口を大きく開いていっていた使者は、声を上擦らせながらなんとか口を挟む。
ミリは自分を見ている使者に視線を動かしたけれど、チリンは使者を見ずにミリを見たままミリに言う。
「それではミリ。ハッカ・コウグ様の妊娠記録を急ぎ取り寄せて下さい」
ミリは視線をチリンに戻す。
「お待ち下さいチリン様!」
ミリは頭を下げてチリンに応えた。
「畏まりました。手続き致します」
使者の言葉を跨いでチリンに応じたミリを使者が睨むけれど、頭を上げたミリはチリンに顔を向け、視線の端の使者の表情を受け流す。もちろんミリの心の中では、もう一度溜め息が吐かれていた。
「チリン様!ハッカ様はタラン様との間にウィン様を儲けていらっしゃいます!」
強い口調の使者に、チリンは静かな視線を向けた。
「コウグ公爵家のウィン殿には、ウィン殿の前に何人、ウィン殿の後に何人、ご兄弟がいる筈でしたか?」
「え?・・・いえ、その、ウィン様には」
「ウィン殿は本当は何人兄弟でしたか?」
「それは、本当は、その・・・」
使者の答えを待っていたチリンは、目立ってきている腹部にもう一方の手も当てて目も向ける。
「わたくしはやっとこの子を授かりました。この子の後も、何人授かれるか分かりません」
使者は口を挟んで良いのか、何と言えば良いのかと、躊躇ったり悩んだりしているが、チリンは再び顔を上げて、使者の困惑した表情を見る。
「コウグ公爵閣下には、わたくしの事より、ハッカ様の心配をなさるように、お伝え下さい」
「あ、いえ、しかし、王妃陛下のご意向もありますので」
使者の言葉にチリンは目を細めた。
「それについてはわたくしから、国王陛下と王妃陛下に抗議を致します」
「え?・・・な?・・・え?」
戸惑いながらも状況が飲み込めていくと、使者の目は徐々に大きく見開かれていった。
チリンは使者の様子は見ずに目を瞑り、首を小さく左右に振りながら言葉を続ける。
「コウグ公爵領までの馬車旅を妊婦のわたくしに強いる提案をするなど、悪意があるとしか思えません」
「いえ!違うのです!」
チリンはゆっくりと目を開けて、続く言葉を出せずに口を開け閉めしている使者を見ながら、質した。
「何が違うのですか?」
「王妃陛下がチリン様に悪意を持つなどあり得ません!」
「なるほど。コウグ公爵家の使者殿は、王妃陛下のお心を聞いているのですか?」
「あ!・・・そうではありません。そうではありませんがしかし」
「つまりコウグ公爵家の使者殿は、勝手に王妃陛下のお心を騙ったのですね?」
「いえ!違うのです!騙ったのではありません!」
「そうですか。それについてはコーハナル侯爵家とは関係のない事ですので、良いでしょう」
「あ、ありがとう存じます」
深く下げられた使者の後頭部に、チリンの言葉が掛かる。
「その問題については、王家とコウグ公爵家の間で解決して頂ければ良いのですから」
使者は顔を上げて、不思議そうな表情で「え?」の一言だけ声を出した。
「わたくしからは、スディオとわたくしの子の懐妊を寿いで下さっていた国王陛下と王妃陛下のあのお言葉が、誠なのか嘘であったのかの方が大切です。それに付いては正式に、王家に質させて頂きます」
「チリン」
口を開いた使者が声を発するより早く、パノの母ナンテが静かな声でチリンを呼ぶ。
「はい、お義母様」
「あのお言葉は、コーハナル侯爵家として頂いたものです。ですので公式なご意向伺いは、コーハナル侯爵家から致します」
チリンの言葉より当たりの柔らかくなったナンテの話に、使者の肩の力が少し抜ける。
「そうですね。差し出がましい事を申しまして、申し訳ございません」
「いいえ。赦します。あなたはコーハナル侯爵家の、次の女主人なのですから」
「ありがとうございます、お義母様。わたくしからは非公式にだけ、抗議を致します」
「お待ち下さい!」
油断していた使者は、チリンの言葉に思わず腕を伸ばした。
チリンに手が届く距離ではなかったが、スディオがチリンを庇う様に前に立ち、ミリが一歩下がらせたチリンにパノが並ぶ。
「なんの積もりだ?使者殿?」
スディオが声を低くして、ゆっくりと尋ねた。




