34 苦境回避路の用意
バルの事が気になりながらも、バルの祖母デドラとバルの母リルデに誘われて、ラーラはお茶会の席に着いた。
「ラーラ。バルの事は心配ありません」
「そうですよ、ラーラ。バルなら大丈夫ですから」
「でもあの様なバル様をわたくしは始めて目に致しました」
ラーラは自分を落ち着かせて、言葉遣いに気を配った。
貴族の前で気持ちを表に表すのは良くないと、二人の前での先程の取り乱し具合を思い出して心の中で青くなっていたが、もう表情には出さない様に注意した。
もう少し詳しい話を知りたい。
けれどいくら親友が心配だからと言って、健康に関する話題に付いて貴族に訊いてはならない。それが跡継ぎから外れるであろう三男だったとしてもだ。
訊きたいけれど訊けないラーラは、昏くした瞳を伏せた。
「訊きたい事があるなら、質問しても構いません」
「そうですよ、ラーラ。あなたがバルを心配してくれている事は分かっていますから。それに私達が見た時には、バルは少し挙動不審なだけで、報告とは違っていました。直接見たラーラが心配を感じるなら、私も詳しく知りたいから、気になる事を教えてちょうだい」
ラーラは一度顔を上げて「ありがとうございます」と頭を下げた。
「バル様は最初青ざめ、次に赤らめ、続いて血の気が失せていらっしゃいました。前からだと仰いましたが、この様な状態に頻繁になっていらっしゃるのでしょうか?」
「いいえ、始めてです」
「え?」
「ちょっとお義母様。あのねラーラ。あの子の事だから、青くなったりはしていると思うわ。白くなる程血の気が失せるのは覚えがないけれど、赤くなっているのは見た事がありますし。それらが立て続けに現れるのも始めてですけれど、原因自体はしばらく前からなの」
リルデがバルをあの子と言った事に、ラーラはモヤッとした。ラーラは末っ子の所為か、元々子供扱いには敏感だ。
表情には出さずに済んでいたが、ラーラの口調は少しだけ尖る。
「原因が分かっているのですか?原因は何なのでしょうか?」
「それはラーラが自分で見付けた方が良いですよ?あるいはバルが言うまで待つとか。あの時の状況がヒントにはなるかも知れないけれど、何を話していたのかしら?」
「何を・・・何かを話してはいたと思いますが、その後のバル様の様子に驚いて慌てましたので、すっかり忘れてしまっております。覚えておりません」
「そうなのですか。それは残念ですね」
「後で従者に確認させましょう」
そう言ってデドラが部屋に控えている侍女に視線を送ると、侍女は微かに首を横に振る。
「分からなかったのかしら」
そう言うとリルデはその侍女を傍に喚んだ。
侍女が言うには、今行っているデドラとリルデとのお茶会をラーラが楽しみにしていると言ったら、途端にバルが青くなって赤くなって白くなった事しか分からなかったとの事だった。
「バルに確かめるしかないかしら?」
「無駄でしょう」
「確かにそうですね。訊かなくても良い気もします」
「つまりそれは、緊急性はないと言う事でしょうか?」
「ええ、そうですね。でもどうかしら?」
「もしかして寿命に関わるものですか?」
「まあそう言う場合もありますけれど」
「どれくらい?!どれくらいあるんですか?!」
「落ち着いて!大丈夫ですから!」
「ラーラ。バルは死ぬ様な病気ではありません」
「そうですね。治らないだけで」
「不治ですか?!」
「リルデさん。あまりラーラを揶揄わない様に」
「いいえお義母様。私は揶揄ってはおりませんわ。お義母様も病気などと仰ったではないですか?」
「え?冗談なのですか?」
デドラとリルデは顔を見合わせた。ラーラにどこまで伝えて良いか、どこから話すべきか。
瞬きより長めに瞼を閉じ、ゆっくりと目を開けたデドラが口を開く。
「ラーラ。バルの健康に付いては心配いりません。病気でもありません。今日の件に関しては心配は一切不要です。心配が必要なのは、あなた達の交際練習に付いてです」
「え?そちらに?どの様な心配があるのでしょうか?」
「バルからは交際練習の期限に付いての話がありましたか?」
「はい。それは最初に。いえ、もしかして最近の話でしょうか?」
「ええ。最初から決まっていた、二人のどちらかが婚約をしたら交際を終了する条件にも絡んだ話ではあります」
「いいえ。バル様とは最近はその様な話はしておりません」
「そうですか」
デドラは考える様に視線を落とす。
リルデは自分が口を挟むとラーラが困惑する様だと考えて、デドラに任せる事にした。リルデも冗談を言ったり揶揄ったりした積もりはなかったけれど。
自分が言うべき事、言うべきでは無い事を決めたデドラはラーラを見た。
「ラーラ。あなたには縁談がありますね?」
「はい。その件に付いては御迷惑をお掛け致しました」
「いいえ、構いません」
「ですが、早急な手配をして頂いて、とても助かりました。コードナ侯爵家の皆様には感謝しております」
「その件ですが、助かったのはラーラなのですね?」
「え?はい、もちろんです」
「ソウサ家ではなく」
「あ、はい。わたくしです」
「そうですか。それはどう言う意味ですか?」
「え?あの、どう言うとは?」
「交際練習を今のまま続ける事が出来たので、ラーラを助ける事が出来たのだと、わたくしには受け取れました。合っていますか?」
「はい」
「ラーラは交際練習を今後も続けていく積もりなのですか?」
「はい、もちろんです」
「それは何故ですか?」
「あ、あの、わたくしに取ってとても学びになるからです」
「そうですか」
「もちろん、バル様が止めると仰れば、直ぐにも止めます」
そう自分で口にして、ラーラの心は痛んだ。
交際練習を止める事は望んでいない。でもそれ以上に、バルの口から交際練習を止めると言われる事が、今のラーラには耐えられそうに思えない。その時の事を想像するのは辛かった。
少し間を置いてデドラが「そうですか」と返したのを切っ掛けに、ラーラは一旦辛さから目を逸らした。
「もちろんお約束しました通り、コードナ侯爵家からの御要望でも、交際練習を終了致します」
その方が良い。ラーラはそう思う。バルが止めたいと思った時も、コードナ侯爵家から連絡してもらえば良い。
後でバルに頼んでみようと思うと、ラーラはしんと冷えを感じた。
でも大丈夫。バルとは親友だ。
どちらかの婚約後にどうすれば親友を続けられるか、まだ解決策はないけれど。一旦付き合いが途切れても、大丈夫。いつかまた、親友として顔を合わせられるに違いない。
ラーラは微笑みを作って、デドラに向けた。
デドラもリルデも、ラーラは確かに約束を守るだろうと思っている。
しかしそれをラーラは望んでいないと、二人は考えていた。
デドラはバルにしたのと同じ質問をラーラにも尋ねた。
「それならバルの縁談を進めても構いませんね?」
ラーラは反射的に「はい」と返す。
そして微笑みが固まりそうになるのを避け、バルの縁談に付いては考えない様にしようと、目の前の二人の所作に集中した。
それは質問の意図を汲み取る為だ。
自分はデドラにもリルデにも親しくして貰っているとラーラは考えていた。
それなので今の質問も、徒らにラーラを追い込む為のものではない筈だ。
バルに縁談の打診があったとも、コードナ侯爵家からバルの縁談を持ち込む先があったとも限らない。何か他の可能性はないか?
一方、デドラもリルデもラーラの瞳に僅かに見える熱を見て、ラーラの気持ちを確信した。
しかし同時に、ソウサ家の都合もあるだろうと思う。都合が良くなければ、ソウサ家はスランガからの縁談を断った筈だ。ソウサ家はラーラへのこれまでの縁談を断っているとの報告も上がっている。それを今回は受けると言う事は、ソウサ家には利点のある縁談なのだ。
そもそもソウサ家はコードナ侯爵家とのコネを求めていない。それは貴族家との繋がりがほとんどないソウサ商会の業務内容からも明白だが、バルとラーラが交際練習を始めてからのコードナ侯爵家との距離の置き方でも明らかだ。
「ラーラの縁談もソウサ家としては受けるのですね?」
「はい。ですがもしわたくしが婚約する事になっても、バル様が望む間は交際練習を続けられる様に致します」
「そうですか。バルが望む間ですか」
「もちろん、コードナ侯爵家の御意向も汲みます」
それはバルとラーラに取って良い事なのだろうかと、デドラとリルデは考える。
バルとラーラが望んでも、ソウサ家が受け入れなければ、二人が結ばれる事はないだろう。たとえコードナ侯爵家が後押ししたとしてもだ。ソウサ家は貴族との関係が希薄なので、その方面からのゴリ押しも効かない。
ラーラの縁談が調えば、それから徒らに交際練習の期間を延ばしても、幸せになる者はいない。辛さが募るばかりだろう。二人を見守る方も辛い筈だ。
そうなると弱いのはラーラだ。家の利益を考えてバルと離れる事を選んでも、バルが放さないかも知れない。今日の様子だと、きっと放さないだろう。
「ラーラ」
「はい」
「あなたの婚約が決まっても、あなたやソウサ家から交際練習を終了させる事は難しいかも知れません」
「あの、それはどの様な意味でしょうか?」
「バルが続けると言えば、続けるのでしょう?」
「はい。続けさせて頂きます」
「ですから、その時はコードナ家として交際練習を終わらせましょう」
「え?」
「婚約する事が決まったら、バルの意思を無視して構いません。わたくし達に仰い。交際練習を終わらせて、速やかにラーラが婚約出来る様に手を貸します。その事を覚えて置いて下さい」
リルデにはデドラの言葉の真意が分かった。婚約が決まった時のラーラを救う為だ。
貴族なら本人の意思に関係なく結婚まで進む事はあるが、ラーラは平民なので婚約が決まる時にはラーラも納得している筈だ。それなら婚約の障害になるバルを遠ざけさせる必要がある。
リルデも同様に考えていたので、ラーラに向けてデドラの言葉に肯いて見せた。
そして同様に考えていたからこそ、デドラの言葉を他にどう受け取る場合があるのか、思い至らなかった。
そしてラーラは、バルとの交際練習を取り上げられると受け取った。
交際練習を続けたいのなら、自分の縁談を失敗させれば良い。縁談を失敗する為には、自分の評判を悪くすれば良い。
しかしそれではバルにも迷惑を掛ける。ソウサ家にもコードナ侯爵家にも悪い影響を与えるだろう。
交際練習を止めても、会えなくなっても、親友でいられるから大丈夫。
そう思っていた。会えなくなっても大丈夫だと。
しかし、会えなくなると思うとラーラの胸は痛む。会えなくなると思い浮かべる度に、段々と痛みは強くなる。今がお茶会の席でなければ、胸を押さえて蹲りそうな程の痛みだ。誰も居なければ嗚咽を漏らしたい程、心が締め付けられた。
ぎこちないながらも微笑みを浮かべて姿勢を正している為に、却ってラーラの内部は傷付いた。痛みが治まる事なく次の痛みが襲い、傷は深く抉られて行く。
そうなってようやく、ラーラは自分の気持ちを認めた。
バルとはお互いに親友だけれど、ラーラに取ってはそれだけではなかったのだと。
身分差があるからこそ始められた交際練習で、お互いに踏み止まれる筈だった。それなのに自分は立ち位置を踏み外していた事が、自分の気持ちを認める事で理解出来た。
けれどもそれはラーラが一歩を踏み出していた訳ではない。半歩もない。地滑りの様にけれども静かに、ラーラも気付かない内に、立ち位置を外していたのだ。
あるいはバルに少しずつ、引き寄せられていたのかも知れない。
デドラにもリルデにも、きっと自分の思いには気付かれている。それだから、バルの縁談を進めるのも、ラーラが婚約する事が決まったら交際練習を止めさせると言うのも、バルから自分を離す為だ。
そうは思ってもラーラには、デドラからもリルデからも自分に親しみが向けている様に感じられる。今回の話も、ラーラを思うからこそしてくれているのだと、ラーラは受け取った。
しかし、二人がラーラを思っているのは合っているが、その理由はラーラの想定からは外れていた。
交際練習は始めから、どちらかの婚約でも終了する約束だ。つまりどちらかの婚約がゴールの一つでもある。
そしてそのゴールには適齢期と言う時間制限もある。
どれも始めから分かっていた事だ。交際練習を行う為の条件として利用もしていた。
始めから分かっていたのに。
そう思うとラーラは笑いたくなってしまった。
デドラの問い掛けに「はい」と応えて、ラーラはふと笑みを漏らす。
デドラとリルデはその表情を見て、将来の苦況から逃れられる事をラーラが理解したと受け取り、一番大切な事は伝えられたと思った。
ラーラもデドラからの提案は正しく受け取っている。
ただしその発案の理由も、ラーラの気持ちを本人より先に気付いていてデドラとリルデがそれを応援しようとしている事も、ラーラは知らない。
ラーラには、恋心に気付いた瞬間にまた失恋か、との思いが浮かび、その可笑しさを笑みとして零していた。




