望外の成果
「馬車クラブだと?」
レントの祖父リートが低い声を出す。レントの祖母セリは、単語の響きから男性向けのクラブかと考えて、リートに向けて尋ねた。
「私は聞いた事がないのだけれど、王都にあるの?」
「いいや、私も知らん。貴族が通わない場所か?」
リートの問いにレントは首を小さく傾げる。
「使う事はあると思いますが、基本的には、平民の出入りの方が多いと思います」
「その様な所に連れて行かれたのか?」
「大丈夫だったの?」
「はい。危険があるような場所ではありませんし、わたくしも何かをされたりした訳ではありません」
「当たり前だ」
「でも」
レントは顔の横に手を上げて、言いたそうな祖父母を手で制した。
「お祖父様、お祖母様。少しだけ、説明の為の時間をわたくしに下さい。その後でしたら、質問にお答えいたしますので」
「分かった」
「え?でも、リート?」
「いや、取り敢えず、レントの話を聞こう。レント、説明してくれ」
レントは微笑んで「はい」と返した。
「馬車クラブには、王国中の馬車の情報が集まって来るそうです」
「王国中?」
「はい」
「馬車の情報だと?」
「はい。いつ、どこに、どの馬車が停まっていたとか、通り過ぎたとか、その様な情報が集められて来て、馬車毎あるいは場所毎に調べられる様になっているそうです」
「何の為にだ?」
「そうよね?何の為になのかしら?」
「それは犯罪が起こった時の証拠とする為に、馬車がどこにいたのか、追跡出来る様にしているのだそうです」
「何なのかしら?馬車を卑しく付けて回っていると言う事なの?」
「クラブの会員が馬車を見掛けたら、その情報を馬車クラブに届けるとの事でした」
「いや、しかし、そんな仕組みで、これ程細かく情報が残せるものなのか?」
リートは資料を一行ずつ確認しながら、独り言の様にそう呟く。その言葉にレントは肯いた。
「その様ですね」
「それで?レント?これが何なの?」
レントが馬車クラブの資料を出して来た意図が分からず、セリの言葉は口調が強くなる。
「ミリ様の話ですと、馬車での移動はこの様に筒抜けになるので、それを望まないなら騎馬で移動した方が良いとの事でした」
「そうなの?それ、本当なの?」
訝しげな表情で首を傾げるセリに、レントは「はい」と肯く。
「王都にいる間に確認しましたが、馬車クラブの資料が裁判の証拠に使用されているのは本当でした」
「そう。裁判に」
「はい。情報の信憑性は確認済みとの事ですね。それに対して馬に付いての同じ様な資料が、裁判の証拠に使われてはいない事も確認しました。また、馬に付いては、馬車クラブに該当する組織は見付かりませんでした」
「なるほどな」
リートはそう言って資料から顔を上げた。
「しかし、犯罪を犯す積もりでないのならば、馬車を使用しようが構わないではないか」
「そうではありますけれど、お祖父様。見る人が見れば、何を求めて馬車を使っているのか、分かるのではありませんか?」
「何を求めて?」
「はい。そして領主が求める物を知る事が出来れば、先回りしてそれを手に入れておく事で利益を得る事が出来ると、考える人間はいると思います」
「商人とかと言う事ね?」
「はい、お祖母様。その通りです」
思惑にセリが乗りそうなので、レントは素で微笑む。
「領政に必要な物でしたら、多量に集める事になるでしょう。それを事前に買い占められたりすれば、予算を圧迫する事になります」
「しかし、必要になる物など、例年それ程変わりはない」
「しかしお祖父様。災害の影響などもあって、去年は道路整備、今年は水路整備などと、年毎に予算を厚くする部分は多少は異なります。領地予算上の比率では多少の差であっても、金額ではかなりの差になります。視察の馬車がどこに行ったかでその差額を独占出来るなら、充分な利益を得る場合もあると思います」
「それはそうかも知れんが、領政への影響はそれ程ないのでは?」
「領主が方針を決めたら、役人達はそれを守ろうとします。そしてたとえ商人に足下を見られたとしても、上司には報告出来ずに、言い値で買うか、質を落として集めるか、どちらにしても、領地にはプラスに働きません」
「それも見込んで、予算は立てるものだ」
「そうですが、我がコーカデス伯爵領の予算には、余裕はないではありませんか?そしてもし、財政を正す事が出来るのでしたらそれを行うべきだと、わたくしは考えるのです。いかがでしょうか?」
「それは、確かにそうだが」
「確かにレントの言う通りよね」
「ありがとうございます、お祖母様。確かに馬車を使わない事だけでは、財政が改善するとは思えません。しかしこの様な小さな事でも、積み重ねることによって、健全な領政に繋がり、やがては領地の隆盛に繋がるとわたくしは考えるのです」
「それもあるかも知れんが」
「お祖父様?昔からのやり方でも現状を維持する事は出来るでしょう。しかしわたくしは、このコーカデスを再び侯爵領としたいと思っております」
「レント・・・」
「お祖父様とお祖母様の悔しさは、理解している積もりです。そしてわたくしの代では難しいかも知れません。しかし、わたくしが出来る事は全てやりたいと思いますし、将来の為に必要な事でしたら、それは全てやり遂げて、次代に受け渡したいと思っているのです」
「・・・そうか」
「ですのでお祖父様、お祖母様。わたくしに騎馬での視察をお許し下さい」
リートは瞳を揺らしながら一つ肯いて、セリに顔を向けた。
「セリ。私はレントに将来を託したい。その為になら、レントのやりたいようにやらせてやりたいのだ。どうだろう?」
「でも」
「馬車を使うか騎馬で行くかなど、いちいち私達に許可を取らせるのでは、レントが可哀想に私には思えて来た」
「そんな」
「レントを信じて、任せてやっても良いのではないか?」
「だって、リートは心配ではないの?」
「心配もあるが、私達はやがていなくなるではないか?」
「お祖父様?そんな事は仰らないで下さい」
「いや、レント。これは順番なのだから仕方がないのだ。それでな、セリ?私達がいなくなって初めて、レントが自分の考え通りに試行錯誤するより、私達が生きている内に、レントの思う通りにやらせた方が良いと、私は思ったのだ。私達が生きている内なら、たとえレントが失敗しても、私達がフォローする事が出来るではないか?」
「それはそうかも知れないけれど、でも、危ない事はダメよ」
「大丈夫だ。レント?」
「はい、お祖父様」
「事故や怪我には充分に注意出来るな?」
「もちろんです。わたくしはコーカデス家と領地の為に、やりたい事が色々とあります。この間の様にベッドから出られない様な事は二度としませんし、その為には常に安全に気を付けております」
「と言う事だ、セリ。レントは大丈夫だ」
二人に見詰められてセリは、息を一つ吐くと、声は出さずに小さく肯いた。それを見て、すかさずレントが声を上げる。
「ありがとうございます、お祖母様。ありがとうございます、お祖父様」
期待以上の成果に、レントは満面の笑みを二人に向けた。




