いずれにしても泣かなければ
朝食が済んだらミリは、パノと一緒にコーハナル侯爵邸に行く予定だった。
パノの弟嫁チリン元王女の様子をみて、序でにレントとの文通の話があるならチリンと話して、それからミリは助産院に向かう積もりだった。
そのミリをラーラが止める。
「ミリ」
「はい、お母様」
「少し話があるわ」
「はい」
朝食の前にバルがラーラと話して来ると言っていた。その後、話題には上らなかったけれど、自分が人前で泣いてしまった件に付いてだろう、とミリは思って肯くと、パノを振り向いた。
「パノ姉様、先に出発して下さい」
ミリの言葉にパノは「いいえ」と首を左右に振ると、ラーラに顔を向ける。
「ラーラ?私も一緒に聞いても良い?」
「ええ。もちろん構わないわ。一緒に話をしましょう」
そう言って肯くと、ラーラはバルも含めた三人を居室に誘導した。
バルとラーラが一つのソファに座り、その向かいの一人掛けのソファ二脚にミリとパノが座る。
以前ならラーラの隣に座るのはミリか自分だったのに、とパノはバルとラーラの様子を感慨深く眺めた。
使用人を下げて四人だけになってから、ラーラが話を切り出す。
「曾お祖母ちゃんのお墓の前で、ミリが泣いてしまったとバルから聞いたのだけれど、そうなの?」
「はい、お母様」
「それをレント・コーカデス殿に見られたそうね?」
「はい、お母様」
「ラーラ?見られた事は問題ではないだろう?」
口を挟んだバルに、ラーラは「いいえ」と首を振る。
「よそ様の前で涙を流すなんて、ダメよ」
「よそ様?家族の前なら良いんだな?」
「家族の前でもダメだけれど、よそ様の前ならもっとダメよね?」
「いや、待ってくれ。家族の前でもダメなのか?」
「ダメでしょう?」
そう肯くラーラをバルが見詰め、しばらく二人で見詰め合う。バルがラーラの耳に顔を近付けて囁いた。
「ラーラは俺の前で、泣く事があるじゃないか?」
バルに囁かれる事にまだ慣れないラーラは、バルの前で泣いた事を思い出したのもあって、頬を染める。
ラーラは無意識にバルの手の上に自分の手を重ねながら、小声を返す。
「バルの前は仕方ないでしょう?」
「俺の前は?なんで?」
「だって、バルには何でも話す事にしたじゃない?そうしたら中にはつい、涙が零れてしまう話題もあるのよ」
「分かるよ?それだから、ミリも家族の前では泣いて良いだろう?」
「家族の前って、私はミリの前では泣いたりしないわよ?ソウサ家の皆の前でも泣いた事はないし」
「え?でも、ガロンさんとマイさんの前では、泣いていなかったか?」
「それは、でも、泣いたかも知れないけれど、それもバルの前だからでしょう?幼い頃はともかく、物心が付いてからは、バルのいない時に誰かの前で泣いた事はないわ」
「ラーラ」
「バル」
そうコソコソと二人で話しているけれど、正面に座っているミリとパノの耳には会話が聞こえている。
パノは体をミリに寄せて、表情は出さずにこちらも囁いた。
「最近の二人はこうなの?」
「仲の良さの事でしたら、はい」
ミリも囁いて返す。
「子供の前でイチャイチャしなくても良いと思うけれど、ミリからは言い難いだろうから私から言おうか?」
「いいえ、パノ姉様。お父様とお母様の仲が良い事を私は望みましたので、その様子がこうして見られて嬉しいです」
「そうなのね」
「はい」
「でも、イチャイチャしすぎではない?子供への教育には良くないと思うのだけれど、ミリはどう思う?」
「平民で言う恋人の付き合い始めたばかりは、この様な感じです」
「そうなの?」
「はい。貴族の場合には結婚後でしょうし隠されてはいますけれど、両思いでの結婚でしたら同じ様なものではないかと考えています」
「見えないだけでありふれている事だから、構わないって事なのね?」
「ええ、そうですね」
「そう。ミリが構わないのなら、私も構わないわ」
そう言ってパノは体を戻した。
イチャイチャして見えるけれど、バルとラーラはまだくちづけも交わせてはいない。そう言う意味でも、付き合い始めたばかりの様と言うミリの見立ては正しかった。
バルとラーラのひそひそ話がパノとミリに聞こえている様に、パノとミリの話もラーラとバルには聞こえていた。
「パノ?教育に悪いって私の事?」
「二人の事ね。ミリが人前でイチャイチャする様な娘にならないか、心配していたのよ」
「人前でなんてやっていないでしょう?家族の前だけよ」
私の前は人前ではないのか?とパノは思ったけれど、家族扱いなのね、と考えた。それはもちろんパノに取って嬉しくはあるのだけれど、そこにはなぜか諦めに似た感情が下地に広がっている。
「あの、パノ姉様?」
「なに?ミリ?」
「私は人前でも一人でも、泣きませんしイチャイチャもしませんから、大丈夫です」
「え?一人でも?」
ミリのパノへの言葉に、ラーラが反応する。
「あ、いえ。イチャイチャは一人では出来ませんね」
「そうではなくて、一人でも泣かないの?」
「はい。今までも一人で泣いた覚えはありませんし、これからは決して泣きません」
「そうなのね」
「いや、そうなのねってラーラ?ラーラはそれで良いのか?」
今度はラーラの言葉にバルが反応した。
「いいも何も、ミリが泣かないと言うのなら、それで良いでしょう?」
「だって、ピナ様と祖母様とフェリさんが亡くなっているのに、ミリは一度しか泣いていないって言うんだぞ?」
「ええ」
「いや、ええって」
「私も泣いてないわ」
「私も泣いていないわよ。もしかしてバルは泣いたの?」
パノはそう尋ねた後に、本人には答え難いかと思って、視線をラーラに向けた。
「泣いてないわよね?バル?」
「いや、俺は泣いてはいないけれど、君達もか?ピナ様が亡くなって泣かなかったのか?パノ?フェリさんが亡くなって、ラーラも泣いていないのか?」
「ええ」
「泣いてないわ」
「それは泣いたらいけないからと、我慢していると言う事か?」
「我慢と言う訳だけではないけれど」
「お祖母様は少しずつ具合が悪くなっていったので、私の場合は心の準備が出来ていたと言うのはあるけれど」
「そうね。私もお祖母ちゃんが呆けていたし、良くはならないだろうなとは思っていたからかもね」
「そうなのか」
「でも、もし泣きたくなったとしても、私は我慢したと思うわよ?」
「そうね。一人の時でも、泣かなかったとは思うわ」
「ラーラが一人になる時なんてあるの?」
「え?なんで?」
「さっきの感じだと、バルが一人にしないのではないの?」
「ミリの前で止めてよ」
パノに揶揄われてラーラは頬を染めるけれど、頬を染める程の関係はバルとラーラの間にはないので、ミリの前でも問題ない話の筈だ。
「ミリ?」
「はい、お父様」
「ミリはこれからはもう泣かないと言っていたけれど、それは泣かない方が良いと思うからなのかい?」
「良いと言いますか、泣く事がダメだと思いますので」
「それはパノがそう言ったから?」
「パノ姉様やお母様の意見もありますけれど、その前に泣いたらダメなのですよね?」
「そう習ったから、ミリはダメなのだと思って、もう泣かないんだね?」
「はい、お父様」
そう肯くミリに、バルは頭を抱えた。
そして、自分が就職も結婚もさせないと言うからミリはどちらもしないと言っている事に付いて、周囲が問題にしていたのは、ミリのこの素直さを危険だと思ったからなのか、と、やっとバルはミリの問題点を理解した。




