32 ダンス練習の熱
バルとラーラのダンスの練習はかなり過酷だ。
バルは騎士志望なだけあり、幼い頃から体を鍛えているので、かなりの体力がある。それなのでバルが息を切らすダンス練習と言うのは、かなりの運動量だった。
ラーラはそれに食らい付いている。食らい付けるのは、小さい頃から体を動かす遊びでラーラを鍛えた、育ての兄姉のお陰かも知れない。そして行商に付いて国内を巡った、旅暮らしの結果かも知れない。それと行商中に覚えた乗馬を今も趣味にしているからかも知れなかった。
二人の体力がダンス教師の体育会系魂に火を点けて、教師の理想のペアとなる様に、二人は磨かれて行った。もちろん運動量だけではなく、技術面でも。
ただしダンス教師は二人をプロダンサーにする積もりではない。
指先や足先の細かい角度などに指摘をする様な事はしていない。だからと言って何時間でも踊り続けられるモンスターを育てたい訳でもなかった。
もっと気持ちを出して。恥ずかしがらないで。もっと感情を込めて。もっと大胆に。
その様な、顔の表情や体の表現への指摘が行われる。それはダンスのコンテストに向けたものとは異なる、ダンスパーティーで必要とされる表現力への指導だった。
パーティーダンスではまず、パートナーとの親密度をアピールする必要がある。二人の親密度を健全に周囲に示せる事が、ダンスが社交に用いられる理由だと教師は考えていた。
二人に教え始めた頃、異性の知り合いとしてのスタンスを取るバルとラーラのよそよそしさは、ダンス教師に使命感を植え付けた。この二人を仲良くしてみせる、と。
その後、二人の関係性を理解して多少の方向転換を行い、現在は仲の良さを示す為の、仲良く見せる為の技術を磨かせている。
その出来映えは、二人に好意を持つ者が見れば、あるいは二人になんの先入観も持たない者が見ても、見た者の気持ちを温かくするものだった。
二人のダンス練習が終わる時、見学をしていたバルの母リルデは、バルとラーラの出来にとても満足していた。
ただし自分も踊りたくなって、ソワソワしてしまっているのには少し困った。
二人がダンス教師に挨拶をして見送った後、自分のいるテーブルに来るのを迎えて、リルデは立ち上がった。
「二人とも、とても素敵だったわ」
「そう?」
「ありがとうございます、リルデ様!」
母親からの褒め言葉に素っ気なく返すベルと、輝く笑顔を向けて礼をするラーラ。
そのラーラの眩しい笑顔がリルデに向けられているのを見て、バルは少しモヤッとした。
「バルはこの後、訓練場に行くのよね?」
「ああ」
息子の返事が少し無愛想な事に眉を動かしたけれど、リルデは「そう」と流してラーラに微笑みを向けた。
「ラーラはまた後でね」
「はい。着替えたら直ぐに伺います」
「まだ時間はありますから、慌てなくて大丈夫よ」
そう言って立ち去るリルデの足取りは軽やかだった。スカートで見えないけれど、もしかしたらステップを踏んでいたかも知れない。
「随分と楽しそうだな」
その声で、バルの機嫌が下がっている事をラーラは気付いた。
最近はこう言う事が良くある。不意にバルの気分が変わるのだ。その都度理由を考えるが、ラーラには原因が掴めていなかった。
バルも自分で理由なんて探していない。なんとなく気に食わないだけだ。
「とても楽しかったわ」
取り敢えず、ラーラは気分のままに笑顔をバルに向けてみる。
バルはラーラとリルデとの様子を言ったが、ラーラはバルとのダンス練習の感想を返した。
ラーラとバルの遣り取りではこう言う事が良くある。思っている事と違う事が返されるのは、同じ場所にいるのに二人が注目している事が、どうも違う時があるからの様だ。
バルは最近は、違いがある事に気付くのを良い事だと思っていた。これでラーラへの理解をもう一歩深められる。
「そうだな」
力みの抜けた返しで、バルの機嫌が少し良くなった事にラーラは気付く。
バルの機嫌の上下する原因は、今度もラーラには分からない。男性がそうなのかバルがこうなのか分からないけれど、理解するには前途多難だとラーラは思う。
その表に出していないラーラの心の溜め息を何故だか感じ取り、バルは微かな不安を覚える。
「大丈夫か?疲れた?」
感じ取れても、中身を当てられるとは限らない。
「全然。まだ踊れる」
しかし外れてもバルが自分を気にしてくれた事は嬉しくて、今度のラーラの笑顔はしっかりバルに向けたものだった。
親友宣言以降、バルの前でのラーラの口調はどんどん崩れて行った。今では下町娘と変わらない。
けれどそれは、バルには嬉しかった。
公の場では以前と変わらない硬い口調のラーラが、自分の前では気取らない。とても特別に思えた。
TPOによっては硬い口調も使われ続けているので、ギャップの新鮮度が長続きしているのもある。
そしてダンス練習の後は、ラーラの呂律が少し怪しい気がする。疲労からか、わずかに舌足らずに感じられるラーラの声が、バルにはとても甘く響いた。
先程のリルデとの会話ではラーラの言葉はしっかりしていたが、その事はバルの意識には上がっていない。ラーラがしっかりしているのは当たり前だからだ。
そして目の前のラーラが舌足らずなのは無意識に、自分の前だけだとバルは思っている。自分はラーラのただ一人の親友なのだから、ラーラが自分の前で気を緩めていても当然だから。
明示的に気付いていない分、このステルスギャップの持続期間は長そうだ。
ラーラの口調の崩れも舌足らずな声も、バルは揶揄いたかったが我慢した。
それはバルが大人になったからではない。
揶揄ってしまえばラーラは意識してしまい、バルの前で出さない様に気を付けてしまうかも知れない。
そう思うと、指摘してはならない事に気付いただけだ。
あるいはこう言う狡さを実践できる事が、大人になると言う事なのかも知れないけれど。




