伝言
指の隙間から使用人の動きを感じたパノが、顔を上げて声を掛ける。
「もしかして、ミリに用事ですか?」
「はい、パノ様。奥様がミリ様に来て頂きたいとの事です」
パノは席を立って、使用人に「分かりました」と返した。
「さあ、ミリ。お母様が喚んでいるから、行ってらっしゃい」
「はい」
そう返事をして立ち上がるミリの手をパノの弟嫁チリンが放さない。
パノはソファを回り、ミリを掴むチリンの手に手を当てた。
「チリンさん。諦めが肝心よ?」
「ミリちゃん?後で続きを話しますからね?」
「チリン姉様、あの、わたくしはこの後、コードナ侯爵邸とソウサ家の墓地にも向かいますので、日を改めてでもよろしいですか?」
「え?そうなの?」
「ミリ?レント・コードナ殿は、両家の墓参もするの?」
「はい。そう望まれて、お父様が両家にも許可を取って下さいました」
「え?バルが?」
「なぜ、バルさんが許可を取るの?」
「それはレント殿が我が家を訪れた時に、コーハナル侯爵家だけではなく、両家への橋渡しも願いましたので」
「それをバルさんは許したのね?」
「はい」
「ラーラも知っているの?」
「はい」
「ミリはデドラ様とフェリさんが亡くなった事もレント・コーカデス殿に知らせていたの?」
「いいえ。レント殿は曾お祖母様と曾お祖母ちゃんが亡くなった事は、王都に来てから知った様な事を言っていました」
「・・・そう」
そうとだけ返してパノは考え込んだ。その様子をミリとチリンが心配そうに見守る。
「パノ義姉様?何か気になる事があるのですか?」
「あ、いいえ。そうではないのだけれど」
パノはレントの情報源がどこなのか考えていた。ミリが伝えていないなら、レントに情報を与える人間が王都に存在する事になる。
ソロン王太子も参列したデドラ・コードナの葬儀は、平民にも知られている。ピナ・コーハナルの葬儀と立て続けに行われたので、市井の話題にもなっていた。
しかしフェリ・ソウサの葬儀はそうではない。ソウサ商会の規模には見合わない、ごく普通の平民の葬儀と同じレベルのものだったとパノは聞いていた。
「それならパノ義姉様?ミリちゃんはお義母様のところに向かって頂いても、構いませんか?」
パノの母ナンテをレントと待たせる事が心配になって、先程までミリを引き留めていたチリンがパノに尋ねる。
「あ、ええ。ミリ?」
「はい、パノ姉様」
「レント・コーカデス殿が、デドラ様とフェリさんが亡くなった事に付いて、誰に聞いたのかは訊いた?」
「いいえ。何故ですか?」
「少し気になるから、もしレント・コーカデス殿から聞き出せたら、聞いて置いて貰える?」
「はい」
「よろしくね。引き留めてごめんなさい」
「いえ」
そう短く答えてミリは、パノの言葉が続くかと待った。パノがこの機会に友人だったリリ・コーカデスの甥レントと言葉を交わすのではないか、とミリは考えていたからだ。
ミリに同行してレントに会うとパノが言い出すのをミリは待ったのだけれど、パノにはその気はなく、パノはレントの情報源に気を取られていた。
パノの視線が自分に戻らないので、ミリはこの場を離れる事にする。
「それではわたくしはこれで」
「ミリちゃん?近い内に話し合いですからね?」
「分かりました、チリン姉様」
ミリは口角を少し上げて、二人に会釈して退室した。
使用人に案内された先では、ナンテとレントがテーブルに着こうとしている所だった。
「お待たせいたしました」
ミリがそう言って二人に近付くと、レントは肩の力を抜いて笑顔を浮かべた。ナンテも「いいえ」と首を小さく左右に振って微笑む。
「私達も今来たところです。さあ、お茶にしましょう」
ナンテに薦められるまま、ミリも着席をする。
しかしそのまましばらく会話が出ないので、ミリはどうしたものかと悩んだ。
ナンテとレントが二人きりの時に何を話したのか分からないので、ミリが話を振るにしても、どの様に始めたら良いのか分からない。二人がどんな話をしたのか、訊くのも違う気がする。
心の中で大分そわそわしながらも、本来ならナンテが何かを切り出す筈なので、ミリはそれを待ってみた。
お茶と茶菓子が出されると、ナンテは使用人達を下げさせる。三人だけで話しがあるのかと考えたレントは、自分も護衛に離れる様に指示をした。
その様子を見てナンテはレントに会釈する。レントは自分の想定が合っていた事が分かって小さくホッと息を吐いたけれど、どの様な話が始まるのかと思うと、また肩に力が入ってしまう。
ナンテがレントに微笑みを向けながら、話し始めた。
「コーカデス伯爵からは、丁重な弔文を頂きました。その上、レント殿には献花に訪ねて頂いて、故人も喜んでいると思います」
「そう仰って頂けて、ありがとうございます」
レントが頭を下げるのに合わせてナンテも会釈したので、ミリもレントに向けて会釈した。
ナンテが顔を上げたので、話の続きが出るかとミリもレントも待つけれど、ナンテは直ぐには言葉を出さなかった。
数拍置いて、ナンテがレントに向けて口を開く。
「今回、遠い所を献花の為に出向いて下さったのは、どなたの配慮なのでしょうかと、伺ってもよろしいかしら?」
「あの、養伯母様?」
ナンテの言葉にレントを責める調子はなかったのだけれど、ミリは思わずレントを庇おうと口を挟んだ。
「何かしらミリ?」
「養祖母様が亡くなった事は、わたくしがレント殿に連絡をしたのです」
「ええ、知っていますよ。手紙を送る前に、ミリは私に話してくれましたよね?」
「はい。それなので、レント殿は、その」
ミリはレントが「来る嵌めになった」と言いたいのだけれど、ミリにはレントを献花に来させる積もりはなかったので、どの様な言葉にしたら良いのかと言葉に詰まる。少なくともミリは嵌めた積もりではない。
ミリがレントを助けようとした事は、レントにもなんとなく分かったので、レントは自分から話す事にした。
「ピナ様が亡くなられた事に付いてミリ様から報せを頂けたのは、わたくしもコーカデスの者も、感謝しております」
「そうですか」
「はい。わたくしの叔母、リリはピナ様に良くして頂いていたそうです。本来でしたらリリ本人が献花に来るべきなのですが、今回はわたくしが代理で参りました」
ミリはなぜリリ本人が来ないのかと、ナンテが攻めるのではないかとハラハラした。
コーハナル家とコーカデス家がラーラの事で対立した時、ナンテは冷静に状況を見ていた。直前にいきなりラーラがコーハナル家の養女になったので、ナンテは自分の取るべき態度を決めかねていたのもある。
それなので、ナンテに取って両家の対立は当時の両侯爵、ルーゾ・コーハナルとガット・コーカデスの意地の張り合いの様に思えていた。
確かに被害に遭ったラーラは可哀想だけれど、その罪をコーカデス家に償わせるのは違うのではないかとナンテは考えていた。それなのでガット・コーカデスが態度を軟化しさえすれば、両家の対立も解消するとナンテは思っていた。
リリ・コーカデスを責める気はナンテにはなく、況してやレント・コーカデスには何の落ち度もないとしかナンテには思えない。
それなのでナンテは、レントに微笑みを向ける。
「もしリリさんが王都にいらっしゃる様な事があれば、我が家にもお寄り頂ける様にと、レント殿に伝言をお願いしてもよろしいですか?」
ナンテも義母ピナの事は尊敬をしていたけれど、礼儀作法に厳しかったピナに怒られて、辛い思いもした事がある。それなので、同じくピナに指摘を受けて、陰で泣くのを我慢していた事のあるリリに対して、ナンテは共感を持っていた。戦友の様な感情を抱いていたと言っても良い。要領の良い自分の娘パノより、ピナの事に関してなら、リリの気持ちの方がナンテには良く分かる気がしていた。
ピナの優しい表情にレントは一瞬警戒をしたけれど、直ぐに笑みを浮かべて返す。
「ありがとうございます。確かに叔母に伝えます」
レントはリリに丸投げすれば良いと心に決める。
「こちらこそありがとうございます。よろしくお願いします」
「はい。叔母もきっと喜ぶと存じます」
微笑みを向け合う二人の間に、途中の変な緊張感がない事に、ミリは知らずに入っていた肩の力を抜いた。




