フェリの遺言
ラーラとバルが寝室に入ると、ラーラの祖母フェリは直ぐに気付き、ベッドの上に横になったままで二人に顔を向けた。
「お帰り、ラーラ。バルも一緒だったんだね」
「あの、ただいま、お祖母ちゃん」
「ここはもう、お前ん家じゃないんだから、ただいまはおかしいだろ?」
バルが声を出すより早く、フェリがそう返した。
しかしその声は、ラーラとバルが知っているものより、細く弱い。
ラーラはそれにショックを受けたけれど、直ぐに気持ちを立て直して言い返した。
「自分だってお帰りって言ったじゃない」
「実家に帰るって言うだろう?お帰りで合ってんだよ」
声は弱いけれど、いつもと変わらない様なフェリの言葉に、バルはホッとして肩の力を抜いた。
「こんばんわ、フェリさん」
「良く来たね、バル。私がこんなんだから、ラーラを使っちゃって、新婚なのに申し訳ないね」
フェリが本当にミリをラーラと思っている事が分かり、バルは直ぐに返事が出来なかった。
「私が好きでやっているのだから良いのよ」
ラーラの口からミリが言っていた言葉が出る。それは咄嗟に口に出たのだけれど、そう返す事が正しい様にラーラには思えて、ラーラはそのまま、ラーラに間違われているミリを演じる事にした。
「何言ってんだい。そんなんじゃ直ぐに愛想を尽かされるよ」
「そんな事はありませんよ、フェリさん」
そう言ってバルがラーラの肩を抱くのをフェリが見詰める。
「・・・どう言う事だい?」
「どう言うって、俺は絶対にラーラを離したりはしません。愛想を尽かすなんてあり得ませんから」
「そうかい。でもそうじゃなくて、ラーラ。あんたはバルも怖がってなかったかい?」
ラーラはチャンスだと思った。
「そうよ、お祖母ちゃん。ミリのお陰よ。ミリが私とバルとの距離を縮めてくれたの」
「そうなのかい?」
フェリがバルに対して訊いて来るので、バルは肯いて返す。
「ええ、フェリさん。だから俺達の事は心配は要りませんよ」
「そうかい。ミリがね。二人に何か遺してたのかい?」
「遺してたんじゃなくて、私達の子供のミリよ」
「そうなのかい・・・」
「お祖母ちゃん?思い出した?」
「女の子が産まれたら、ミリって付けるのかい?」
「え?お祖母ちゃん?」
「二人がそうやって触れ合ってるって事は、もう大丈夫なのかも知んないけれど、子作りをするなら、あんたを辱めた男達の子供を妊娠してない事を確認してからにすんだよ?」
「え?お祖母ちゃん?」
「いいね?それでちゃんとバルの子を産みな。それがバカなあんたを嫁にしてくれたバルへの、唯一の恩返しだからね?」
「そんな、お祖母ちゃん・・・」
「まあ既に子供の名前を考えているくらいなら大丈夫だろうけど、念の為に言わせて貰ったんだよ」
そう言うとフェリは「ふふ」と笑った。
「私もこんな念押しするなんて、怪我の所為で気弱になってんのかも知れないね」
「お祖母ちゃん」
「でもね、子供は授かり物だ。もしかしたら男の子が産まれるかも知れない。そうしたらキロって付けてやるんだよ?」
「え?」
「出来たら、男の子と女の子が良いね。ガロンとマイには申し訳ない事をしたから」
ラーラの体が小刻みに震える。
「・・・お祖母ちゃん?もし、誘拐された時の子を授かっていたら?」
「考える迄もないだろう?あんたはもう、バルの女房なんだよ?」
「それでも・・・それでも産むって言ったら?」
「お前?なに言ってんだい?そんなの許される訳ないだろう?」
「そんな・・・」
足元をふらつかせたラーラをバルが支えた。
「誰にも望まれない子を産んで、みんなを不幸にする気かい?生まれたその子だって辛いだけだよ」
「なんで?なんでそんな酷い事を言うの?」
「酷い?」
「だって、その子には罪は無いじゃない?」
「またその話かい?」
「え?また?」
「罪のないその子に罰を与える気なのかって事だよ」
「罰って、そんな」
「そんなもこんなも、ちょっと考えれば分かんだろう?あんただってバルの奧さんになる為に、コードナ侯爵家でもコーハナル侯爵家でも、散々勉強させられてるじゃないか。平民夫婦の娘が貴族になるのだって大変なんだ。暴行されて生まれた犯罪者の子供なんて、まともに育つ訳がないじゃないか。そんな子は回りに心を殺されちまうし、そうでなくても自分の生い立ちを知ったら、まともな感情が育たなくなるよ」
「いや、しかし」
堪らずに口を挟んだバルに、フェリは強い目を向ける。
「バル。甘やかすばかりが愛情じゃないよ」
「え?」
「ラーラが望まれない妊娠をしていたら、それを止めるのは夫であるバルの仕事だ。違うかい?」
「いや、しかし」
「しかしじゃないよ。しっかりしな。二人で生きてくんだろう?まったく。これじゃあおちおち寝てらんないよ」
そう言うとフェリは体を起こそうとする。それを慌ててラーラが止めた。
「お祖母ちゃん!起きちゃダメだってば!」
「うるさいよ。自分の事もちゃんと出来ないあんたが、なに言ってんのさ」
「いや、フェリさん?今無理したら、怪我の治りが遅くなりますから」
「バルも私の心配してる場合じゃないんだよ?」
「いや、そうだけれど、俺とラーラにはまだじっくりと話し合う時間があるけれど、フェリさんは一刻も早く、怪我を治したいのではありませんか?」
「く。そうだね。そうだけど・・・はあ。怪我が治ったら、二人にはキッチリと説教するからね?」
「ええ。そうして下さい」
「・・・分かってるのかい?まったく」
そう不満気に言葉を口にしながらも、フェリは体の力を抜いた。
「良いかい?二人とも。これは私の遺言だと思って聞きな」
「え?お祖母ちゃん?何を言ってるの?」
「フェリさん、縁起でもない事を言わないで下さいよ」
「なに言ってんだい。遺言って言うのは生きている内に残すもんだ。縁起悪い事なんてないだろう?」
「そうだけれど」
「良いかい?ラーラはちゃんとバルの子を産むんだよ?」
「え?・・・お祖母ちゃん?」
「返事は?」
「そんな・・・だって・・・」
「だってなんだい?バルじゃ父親として頼りになんないとでも言うんかい?」
「そんな事、ある訳ないでしょう」
「バルも子供が産まれても、今と同じ様にラーラの事をちゃんと大切にし続けておくれ」
「それはもちろん、心配要りませんよ」
「そうかい?でもドランもダンも、子供が産まれたらそっちばかりだったからね。念の為だよ。二人の子だ。二人が寄り添うからその子も産まれるんだ。だから子供も大事だけれど、それならなおさら、お互いを大事にするんだよ?」
何も返さない二人をフェリは一睨みする。
「返事はどうしたい?」
「ええ。ラーラを一生大切にする事は誓います」
「私も・・・バルを大切にするわ」
「そうかい。遺言なんて言ったけど、ずっと見張ってるからね?言葉を違えたら承知しないよ?」
「分かってるわよ」
「ええ。早く怪我を治して、いつまでも見守って下さい」
フェリは納得した様に肯いて微笑むと、目を閉じた。
しばらくの間、バルもラーラも言葉が出ずに、寝室には物音が立たなかった。
フェリの夕食の準備が出来た事を使用人が報告した事を切っ掛けに、バルとラーラはフェリの寝室を出て、夕食を運ぶミリが入れ替わりで部屋に入る。
すれ違い際に笑顔のミリが、「お父様、お母様、おやすみなさい」と囁いたけれど、バルもラーラも咄嗟には返事が出来なかった。
ミリはフェリが夕食を食べるのを手伝うと、そのまま寝室からは出て来ずに、フェリのベッドで一緒に眠る。
バルとラーラはミリとは話が出来ないまま、自分達の家に二人で帰る事になった。
それから数日後。
ミリが朝起きたら、同じベッドで隣に寝ていたフェリは、息を絶えていた。




