分からずに待つスディオ
「あの、ミリ?」
「はい、スディオ兄様」
「えーと、大丈夫かい?」
パノに肩を掴まれて少し驚いただけなので、ミリは「はい」と答えて肯いた。
「その、姉上とは何を話していたかな?」
パノの弟スディオの問いに、ミリは答え倦ねる。
スディオはチリン元王女の夫だ。もしチリンが妊娠しているのなら、そのお腹の子の父親はスディオの筈だ。当然スディオにも知る権利があるし、知っていなければならない義務もある。
けれど部外者の自分の口から伝えるのは違うだろう、とミリは思った。
「わたくしの口からは言えません」
真っ直ぐ見詰めて来てそう言うミリに、スディオは「え?」と驚く。
先程のパノの慌て振りと、今のミリの真剣な表情に、スディオの脳裏に不安が過る。チリンが最近ずっと体調を崩している事に結び付けて、スディオは悪い想像を浮かべた。
そのスディオの表情を見て、ミリは慌てる。
「スディオ兄様?悪い話ではありませんから」
「そうなのかい?」
「ええ。不確かなだけです。ですのでパノ姉様かナンテ養伯母様が確認なさったら、お話があると思います」
「いや、でも、チリンの事だよね?」
「パノ姉様はチリン姉様の薬を心配しただけです。あの薬はチリン姉様に合わせて調合して貰っていますので、それに付いては問題ありません」
「でも、チリンの事なのだよね?」
ミリは肯いて良いのか悩む。でも肯いた上で内容を伝えなければ、チリンの妊娠に付いての話だとスディオが勘付くかも知れない。それに全然違う事を予想したのなら面倒臭い事になりそうだ、とミリは思った。
それなのでまずスディオを安心させる為に、ミリはスディオに微笑みを向けた。
「チリン姉様一人の話ではありません」
「え?一人ではない?」
「ご家族の皆様にも関係する話です」
小さく肯きながらミリはそう答えた。
「正確な話は、ご家族の中で確認して下さい。ただし直ぐには答が出ないと思いますので、どなたかから話があるまでは、スディオ兄様は静観しておいた方が良いと思います」
「家族の話なのに、私が静観していて良いのかい?妻のチリンに関係しているのに?」
「チリン姉様に関係するか、スディオ兄様に関係するか、それはパノ姉様がナンテ養伯母様と確認なさって下さると思いますよ?」
スディオの一番の心配はチリンの事だろうからと、ミリはチリンが心配の対象外に聞こえる様に言葉を選んだ。今回は妊娠をしていないのならば、チリンは関係ないと言えるのだから、嘘ではない。
それなのでミリは今度は大きく肯いて、自信がある表情を作る。
そこに使用人がミリを喚びに来た。
「ミリ様。ナンテ奥様が、ミリ様に来て頂きたいと仰っていらっしゃいます」
「分かりました」
ミリはスディオとの会話から解放して貰える切っ掛けを与えられ、使用人に笑みを向けて肯く。その表情のまま、スディオを振り向いた。
「養伯母様に喚ばれましたので、行って参りますね?」
「私は?」
スディオが使用人に確認するけれど、使用人は困惑を顔に出す。それをミリが助けた。
「スディオ兄様は静観でお願いします」
「そうか。静観か」
「養伯母様もパノ姉様も、確認が取れたら直ぐにスディオ兄様への報告を薦めると思いますので」
「分かった。ミリを信じて静観して待つよ」
「スディオ兄様?少し不安ですか?」
「それはまあ、何が起こっているのか分からないからね」
「それでしたら今はまだ、チリン姉様には内緒にして置いて下さい」
「・・・そうか。チリンを不安がらせない様にだね」
「はい。スディオ兄様もチリン姉様の前で、不安な表情を出さない様にして下さいね?」
「ああ、気を付けるよ」
「悪い話にはならない筈なので、心の中で楽しみに思って置くくらいにして頂けたらと思います」
「分かったよ」
「それで何の事か分かったなら、差し支えなければ、わたくしにも教えて下さいね?」
ミリが自分は関係ない体を装う。これ以上はスディオから、質問されない様にする為だった。
「ああ。約束するよ」
「ありがとうございます」
そう言って会釈をすると、ミリは使用人に付いて邸に入って行く。
スディオはモヤモヤするものを感じながらも、ここはミリを信じて待つ事にした。
ミリがパノの母ナンテを訪ねると、パノも同席していた。
使用人を下げて三人で話をする。
「ミリ?パノから聞いたのだけれど、本当なの?」
「わたくしはそうだと思います。しかし助産師の先生に見て頂いて、確認なさって下さい」
「ええ、それはもちろんそうします。でも本当ならチリンさん本人が気付かなくても、妊娠経験がある使用人達や姑の私が気付くべきなのに、見過ごしていたなんて」
「養伯母様もコーハナル侯爵家の皆様も、普段でしたら疑問に感じたと思います。お養祖母様が亡くなってから、スディオ兄様よりもわたくしの方が長い時間、チリン姉様と一緒にいました。それなので疑いを持てたのでしょう」
「それにミリは助産院で、多くの妊婦さんを日頃から見ているのでしょうし」
「そうですね。チリン姉様に限らず体調を崩した女性を見掛けると、まず妊娠を疑う様にわたくしはなってしまっています」
「そうなのね」
「はい」
実際にその通りなので、ミリは小さく苦笑した。助産院で勉強する様になってから、妊娠を知らずに妊婦に接して取り返しが付かなくなる事があったら怖いと、ミリは恐れている。
「それではまず、助産師にチリンさんを診て頂きましょうか」
「はい。この後、わたくしが助産院に行って、連れて参りましょうか?」
「ミリ?」
ここまで聞くだけで言葉を挟まなかったパノが、ミリに問う。
「助産師の先生に、チリンさんの事を伝えてあるの?」
「いいえ、パノ姉様」
「相談したりはしていないの?」
「チリン姉様だとは明確には伝えていません。妊婦にも使える睡眠薬を調剤して貰いましたけれど、誰に渡すのかに付いては濁してあります」
「そう」
「はい」
「なら良いわ」
「はい」
二人の遣り取りが途切れたので、ナンテが話を戻した。
「それではミリ。助産師を連れて来て下さい」
「はい。喚んで参ります。しばらくお待ち下さい」
そう言うとミリは立ち上がった。釣られる様にパノも立ち上がり、「ミリ」と声を掛ける。
「はい、パノ姉様」
「あの、先程は声を荒げて、ごめんなさい」
「いいえ」
「でも、驚いたでしょう?」
「大丈夫ですよ、パノ姉様。ソウサ商会とかではもっと大きな声で、普通の会話が怒鳴っている様に聞こえる時もありますから、声の大きさで驚いたのではありません」
「そうなの?」
「はい。パノ姉様でも、いつもより大きな声も出せるのだなって言うのには驚きましたけれど、それだけですから」
そう言ってミリはパノに笑顔を向けた。
「そうだ。養伯母様、パノ姉様。スディオ兄様が何の話なのか気にしていましたけれど、悪い話ではないから心配しない様にとだけ伝えてあります。ですのでスディオ兄様の前で心配そうな素振りを見せると、何か訊かれるかも知れませんのでご注意下さい」
「そうなのね」
「分かったわ、ミリ。お母様?スディオにもし何かを訊かれても、心配するなで押し通しましょう」
「そうね。妊娠がはっきりするまで、待たせて置くしかないものね」
「よろしくお願いします。では行って参ります」
ミリはそう言って頭を下げると部屋を出て、直ぐに馬で助産院に向かった。
ミリは今日は予め、コードナ家の馬車を助産院に待機させていた。
その馬車に一緒に乗って、ミリは助産師とコーハナル侯爵家に戻って来た。
そして、チリンを診察した助産師の見立てでも、妊娠をしているだろうとの診断だった。
しかしまだ流産をする可能性もある。貴族家の中でも王家出身の女性では、その比率が高い。
それなので安定期に入るまでは、男性陣には秘密にする事に決まった。
パノの父ラーダは知らないし気が付かないままだったけれど、スディオは教えて貰える時を待ち続ける事になる。




