ナンテの不安、ラーダの対応
パノの母ナンテは、徹夜をしてしまいそうなパノの父ラーダ・コーハナル侯爵に、分かってはいるのだろうけれどと思いながら、提案をしてみる事にする。
「王都までの移動でお疲れでしょうから、それは明日の朝にしたらいかがですか?」
「これに合わせて馬車の中で寝ていたから大丈夫だ」
「あなたに今なにかあれば、私やスディオが困るから言っているのです」
その言葉にラーダは再び顔を上げた。
「母が亡くなったばかりで心配なのは分かるが、私はまだそんな歳ではないよ」
「ハクマーバ前伯爵は私達と同年代なのに、亡くなりました」
目を細めてそう言いながら、ナンテは続ける。
「お義母様もあなたの健康を心配なさっていました。あなたの体調管理の為に、私が領地に赴く事をお義母様と相談していたのですよ?」
「それはスディオからも報告があったが、君は心配のし過ぎだ」
ラーダは眉尻を下げて応えた。
「ハクマーバ領の洪水対応で、彼は体にも無理をさせていたのだろう。それに比べたら葬儀の準備など、どの家でもやる普通の事だ」
ラーダは意図して低い声でゆっくりと話す。それがナンテには、ラーダがナンテを言いくるめようとしている様に感じられた。
「あなたは領地を空ける為にと、仕事を急いで片付けて王都まで駆け付けたのですから、あなたの体に無理が掛かっていない訳がないではありませんか」
「そう言われると思ったから、移動中もしっかりと睡眠を取ったのだ。心配はいらない」
「心配をしない訳がないでしょう?」
「それは私のセリフだよ。君こそ疲れている筈だ。さっさと寝た方が良い」
「私よりパノとスディオです」
「いいや。母が亡くなって、母の代わりに君のやる事が増えている筈だ」
「それは確かに少しはそうですけれど、あなたの代わりに準備を進めていたパノとスディオの事は、労ってあげても良いのではありませんか?」
「二人とも、やるべき事をやっただけだろう?」
「そうですけれど、あなたがいないなか、しっかりと対応していたのですよ?」
「当たり前だろう?二人にはそれだけの教育をして来たじゃないか?」
「そうですけれど、だからって、少しくらいは褒めてあげても良いではありませんか」
不意にナンテの目から涙が溢れた。
ラーダは慌てて立ち上がり、ナンテに近寄るとハンカチを差し出す。
「いや、分かった」
「いいえ、分かっていません」
「明日の朝一番で、二人を褒める」
「そう言う事ではありません」
「済まない」
「・・・何がですか?」
「君にも苦労を掛けているのに、普通の事だ当たり前だ、などと、軽く言ってしまった」
「・・・そんな事、私の事はどうでも良いのよ」
「いや、分かった。明日、ちゃんと二人を褒めるから」
「・・・それで?」
「それで?・・・あ!チリンさんも労う」
「そうね・・・それで?」
「ミリもか?ミリもだな?」
「ええ。それで?」
「他のみんなもだ。使用人達も含めて。あ、コードナ侯爵家の皆にも感謝を伝えよう。ミリを貸してくれたし、何かと世話になったからな、うん」
「ええ。それで?」
「それで?他にも何かあるのか?それとも誰かの手助けを受けたとか?」
ナンテは両手を拳に握って、ラーダの胸を叩いた。
「なんで帰って来て最初に、お義母様のお墓をお参りしないの?」
「あ!」
「あ、じゃないわよ」
「いや、ごめん。忘れていた」
「忘れていたですって?」
「いや、だって、母が亡くなってからもう、何日も経つじゃないか?」
「だからって忘れて良い筈がないでしょう?」
「いや、ごめん」
「・・・それで?」
「え?それで?」
「気付いたのに、お義母様のお墓に行かないの?」
「あ、うん。明日の朝一番で行くよ」
「どうしてよ?今でしょう?」
「え?今?」
「私はあなたが無事に着く様に、お義母様とお義父様に毎日お願いしていたのよ?」
「え?そう?そうだったのか」
「だからお二人に、無事に到着した事を報告しに行きましょう」
「え?今から?」
「当たり前でしょう?そう言ったでしょう?お義父様とお義母様に、ただいま帰りましたの挨拶をするのよ」
「いや、もう暗くて危ないぞ?」
「どうしてよ?自分の邸の庭でしょう?」
「いや、まあ、そうだけれど」
ナンテはまたラーダの胸を叩く。無言で何度も叩いた。
「分かったよ。行こう」
「ええ。こっちよ」
「いや、待って。灯りを用意させるから」
「いらないわ。私が一日に何回、お義父様とお義母様の下に通ったと思っているの?目を瞑っても案内が出来るわ」
「そ、そうか」
ナンテに手を引かれるまま、ラーダは抵抗せずに付いて行く。
ラーダはナンテの心理状態を心配したけれど、自分が帰って来た事で緊張状態から解放されて、気持ちが不安定なのかも知れないと考えた。もしかしたら自分の想定以上にナンテは大変だったのかも知れない、ともラーダは思い直す。
ひょっとしたらナンテが夕食に酒を飲んで酔っているのではないかとの考えがラーダの脳裏を過ったけれど、そんな事を尋ねて違っていたらナンテの心理状態に悪影響が出るかも知れないと思って、口にはしない。
取り敢えずナンテを早く寝かせるべきだとの結論を出して、ラーダは素早く墓参りを終わらせる事に考えを集中させた。




