ピナは咽せ続け
コーハナル侯爵家での昼餐をミリは、パノとパノの祖母ピナとパノの弟嫁チリン元王女との四人で摂る。
その席でもピナは咽せた。
ロールプレイの最中だったけれど、皆の手も口も止まる。
口の中の物を飲み込み終わったミリが、立ち上がった。
「お養祖母様。ロールプレイは中止致しますね?」
そう言ってピナの隣に跪いてナプキンを手渡し、ミリはピナの背中を擦る。
ピナはナプキンは受け取ったけれど、ミリに席に戻る様にと手振りをした。しかしミリは気付かぬ振りで、背中を擦り続けている。
「チリンさん?最近のお祖母様は結構咽せるの?」
パノの問い掛けにチリンは少し悲し気な表情を浮かべた。
「ええ、パノ義姉様。そしてたまにですけれど、この様に酷く咽せていらっしゃいますね」
パノに喚ばれた侍女がピナの脇に来て、ミリの替わりにピナの背中を擦る。
しばらくして落ち着いたピナに、ミリは水を渡した。
ピナは礼を言ってミリから水を受け取り、一口飲んでからミリを一睨みする。
「せっかくのアクシデント対応のチャンスでしたのに、ロールプレイを止めてはダメではありませんか」
「申し訳ありませんでした」
ミリが頭を下げると、チリンが口を挟んだ。
「お義祖母様?ミリちゃんはお義祖母様の事を心配したのですわよ?」
「それは分かっています。ですがチリンさん。それならそれで役柄のまま、私を介抱すれば良いのです」
「そうは仰いますけれど、この場にいる人間で、医術に一番詳しいのはミリちゃんではありませんか?」
「ええ。それもわかってはいますよ」
「私などはただ、お義祖母様の心配をするだけですけれど、ミリちゃんはお義祖母様の様子を診断する事に集中する為に、ロールプレイなどに神経を使いたくないと思ったのですわ」
ミリは詳しいと言われる程にはまだ、医術に詳しくはないと自分の事を思っている。診断と言われる程の事は出来ない。それに神経を集中しようとして、ロールプレイを中止した訳でもなかった。
「ですがチリンさん。実際の場でのミリは、己の役柄を止める訳にはいきません。なればこそ、練習でも止めてはならないのです」
「仰る事は分かりますし、お義祖母様が正しいとは思いますけれど、そうだとしても、そこで叱ったら、お義祖母様を心配したミリちゃんが可哀想です」
「チリンさん」
「はい、お義祖母様」
「私にはもう時間がありません。ミリに教えるチャンスは逃したくないのです」
「そんな、お義祖母様。その様な事を仰るのはズルいのではありませんか?」
ピナはチリンの口にした内容ではなく、ズルいと言う単語に反応を返す。
「チリンさん」
「はい、お義祖母様」
「あなたはコーハナル家に嫁いで来てから、言葉遣いが乱れていませんか?」
「え?いえ、その様な事はございません」
「元王族として相応しくない言葉を使う事で、コーハナルに嫁いだら品が落ちたなどと言われたら、どうしますか?あなただけではなく、スディオも軽んじられてしまうのですよ?」
「申し訳ございません。今後はこれまで以上に気を付けて参ります」
ピナとチリンの遣り取りは、ミリをハラハラとさせていたけれど、パノは涼しい顔で流していた。
それに気付いたミリは、もしかしたらこれがコーハナル侯爵家の普通なのかも知れない、と思った。
しかしパノは、チリンが口を出したのはピナがミリを更に責めない様にする為だと考えていたので、この場は任せて後でチリンを労おうと思っていた。
一方でチリンは、ミリを庇う積もりが薮蛇だったとは思ったけれど、久し振りのピナからの指摘を受けて、それはそれで少し喜んでいた。
それから暫くしてミリは、ピナが熱を出した事を知る。
咳が続いたのだけれど、それは咽せているからだと皆が思っていたら、実は風邪だったようだ、と連絡があり、ミリにうつすといけないからと、コーハナル侯爵家での授業は中止となった。
しかしその後、ピナの熱は下がらなかった。
そして往診に来た医師が、肺が炎症を起こしているのだと診断する。
うつらないタイプの病気だと診断が下りたので、ミリはピナの看病を手伝う為に、コーハナル侯爵家に泊まり込んだ。
ピナが魘されながら、パノの名を呼んでいる。
それに気付いたミリはパノにその事を伝え、ピナの寝室に行って貰った。
そして寝室を出て来たパノは、渋い顔をしていた。
「どうしたの?パノ姉様?」
ミリに呼び掛けられたパノは表情を装って、いつも通りの顔をミリに向ける。
「お祖母様が呼んでいたのは、お祖母様の姉上の、私が名前を頂いたパノ大伯母様よ」
「え?そうだったの?」
ミリはコーハナル侯爵家の家系図を思い出す。ピナの姉パノ・コーセントは、若くして亡くなっていた。
「お祖母様はパノ大伯母様が亡くなった事に責任を感じていらして、それでうわごとで、大伯母様に謝っているみたい」
「そうなのでしたか。パノ姉様、勘違いして、ごめんなさい」
「ううん。ミリの所為ではないわ。うわごとをはっきりと言わないお祖母様が悪いわよ」
そう言ってパノはイタズラっぽく笑いながら、ミリの頭を撫でた。
「それに人違いでも、お祖母様に謝って頂けるなんて、貴重な経験だしね」
レントはミリからの手紙を二通同時に受け取った。まだ前回の手紙への返事をレントが返せていないのにだ。
中を見てみると、ミリが二通を日にちを開けて発送したのが分かる。
王都とコーカデス領間の流通が上手く機能していない所為で、後から出した手紙が先に出した手紙に追い付いて、一緒にコーカデス邸に届いたのだ。
「まあ、ですけれど、後から出した手紙が先に着く事もあるそうですから、まだマシですね」
コーカデス領の現状を示す様に同時に届いた手紙に、レントは苦笑を浮かべながらそう言った。
手紙の中身は魚を食べる方法に付いての相談だった。二通目では取り消されているけれど、レントはミリが謝っている内容に付いて、気にし過ぎだと思う。
それにレントとしては是非、相談に乗りたい内容だ。
その二通の前のミリからの手紙に対しての、レントからの返信がない内に送ってこられた事を考えても、封筒の内袋に秘密のメッセージが書かれていないのを見ても、ミリが魚を食べる方法を急いで知りたかった事が推し量れる。
レントはコーカデス領内の漁村に赴いて、魚を調理した事がない人でも作れそうな料理や、魚を食べた事のない初心者でも食べ易かったりする料理がないか、探してみる事を考えた。
急いではいたと思うけれど、ミリはそれを取り消している。と言う事は、調べるのに少しくらい、時間が掛かっても良いはずだ。
漁村まで騎馬で行くなら、家長である父スルト・コーカデス伯爵の許可が要るだろうし、祖母セリが許可させないかも知れない。ダメなら馬車で行くしかない。
漁村に行く事自体もセリを説得しなくてはならないかも知れないけれど、祖父リートはもしかしたらレントと一緒に行くと言うかも知れない。
それなら一層の事、馬車を使う事にして、セリも一緒に連れて行く事にした方が話が早いかも知れない。
レントがそんな風にあれこれ企んでいる内に、ミリから更に次の手紙が届いてしまった。
その手紙には、ピナ・コーハナル夫人の訃報が記されていた。




