魚食検討と咽せるピナ
ミリはバルの祖母デドラと約束した、どうしたら魚を食べられるのかについて、レントには相談する手紙を送り、船員達にも港町で尋ねてみた。
沖に停泊中に魚を釣る事があると、ミリは船員に聞いた事があった。
それなので、港町で改めて船員達に尋ねて回ると、釣った魚を船上で食べる事は普通はしないとの答だった。
海では航海中に亡くなる人もいる。遺体から病気が広がる事もあるので、その場合は海に遺体を流す。かつての仲間の遺体を食べたかも知れないと思うと、航路上で釣れた魚を食べる気にはならない。そう答える船員がいた。
それ以外の理由として、寄生虫の問題を指摘する人もいた。寄生虫で食中毒になっても、航海中はろくな治療が出来ずに亡くなる可能性が高い。だから船で釣った魚は食べさせないとのルールを作っていると言う。焼けば大丈夫だろうと思うけれど、生焼けを食べてしまえば危ないし、刺身だと言って生で食べようとする酔っ払いも出るから、一律禁止にするそうだ。
それなので、魚が食べたければ、ちゃんとした魚食文化を持つ国に行くべきだと、船員達は口を揃えて言う。
この国でも魚食はあるけれど、それは食べる物がない貧しい人が仕方なく食べるイメージで、実際にその中には食中毒で亡くなる人も少なくなかった。
ミリは港町で聞き込んだ話を受けて、レントに手紙で尋ねた事を後悔した。
コーカデス伯爵領には海岸があって、漁村もあるからと思って尋ねたのだけれど、魚の食べ方を知っていると言うのは、この国では貧乏人だと言うのと同じ事だ。
コーカデス伯爵領は貧困地域だからレントが知っていると、ミリが思ったと思われるかも知れない。
ミリは前の手紙での相談を取り消して、謝罪する内容の手紙をレントに送った。
後は実現する方法としては、魚食文化を持つ国にデドラを連れて行くか、魚の調理が出来る料理人をその国から連れて来るか、この国で探すか。
デドラの様子を見ると船旅は厳しいだろうし、そもそもバルの父ガダ・コードナ侯爵が、魚が食べたいと言うだけではデドラの出国を許さないだろう。
魚食が低く見られているこの国では、魚の調理がたとえ出来ても、料理人がそれを隠している事が考えられる。
王都の港で釣った魚を捌いていた少女なら、もしかしたら調理も出来るのかも知れないけれど、貧しい平民の子が調理した魚をデドラに食べさせる事は、ガダだけではなく皆が許さないだろう。
ミリは念の為にラーラの三兄ヤールに依頼して、魚料理を作れる料理人を探して貰う事にしたけれど、ミリの為なら何でもすると言っていたヤールも、期待はしないでくれと、探す前から残念そうにミリに告げた。
ミリは、こうなったら自分で料理を学ぼうか、と考える。
ハクマーバ伯爵領での野営の時には、肉を一口大に切ったりスープを焦がさない様に掻き混ぜたりしたのだ。
その事が自信となって、ミリには魚料理もやれば出来そうな気がしていた。
ただやはり、教えてくれそうな相手がいない。魚を捌いている少女に会うにしても、今は空き地のミリになる時間がない。ミリ・コードナとして少女に会えば、二度と空き地のミリには戻れなくなってしまう。
色々と行き詰まっていたミリは、コーハナル侯爵家での授業中に、パノとパノの祖母ピナに、魚食について訊いてみた。パノもそうだけれど、ピナも他国の文化に詳しいので、何か手掛かりになる事を知らないかと思ったからだ。もちろんデドラが魚を食べたがっている事は口にはしない。
話を聞いたピナは咳き込み、パノは呆れた表情をミリに向ける。
「ミリ殿?好奇心が旺盛なのは良ろしいのですけれど、限度がありますわよ?」
「ええ、パノ様。弁えている積もりです。ですが魚食をする国もございますよね?もしその国に行く事になれば、魚を食べずに通す事は難しいとわたくしは思うのです」
「ミリ殿のご両親、特にバル様が、あなたの他国への渡航を許すとは、わたくしには思えませんけれど」
「・・・そうですね」
ミリはパノの言葉に反論する積もりだったけれど、ピナの咳が止まらないので、一旦言葉を切った。
パノもピナを気にして、「失礼致します」とミリに断って席を立つと、ピナの脇に立って背中を擦る。
「お祖母様?大丈夫ですか?水をお飲みになりますか?」
「パノ姉様。水は後です。咳が治まるまで待って下さい」
ミリの言葉が崩れたのに気付いたピナが、咳き込みながらミリを横目で一睨みする。
「どうすれば良いの?」
今度はパノの言葉も崩れ、やはりパノもピナに睨まれた。
「そのまま、お養祖母様に下を向いて頂いたまま、背中を擦っていて下さい」
ミリも立ち上がると、ナプキンを手にピナの脇に膝を突いた。
「お養祖母様?口に何か出たなら、こちらに出して下さい」
そう言ってミリはナプキンをピナの口の傍に差し出した。
ピナはそれを受け取って口に当てる。
そのまましばらく、ピナは咳き込み続けた。
「二人ともありがとう。心配を掛けました」
水を一口飲んだピナは、水を渡してくれたパノと、ナプキンを片付けて戻って来たミリに礼を言った。
「お祖母様。風邪を引いていらっしゃるのですか?」
「いいえ、大丈夫です」
「体調がよろしくないのなら、今日の授業はこの辺りにした方が良いと思うのですけれど、ミリはどう?」
パノがミリに問い掛けるが、ピナが「いいえ」と遮る。
「体調は問題ありません。最近、たまに咽せる様になっただけです」
「風邪ではないのですか?」
「ええ。咳き込んでしまいますけれど、医師には風邪ではないと言われています」
「他の病気でもないのですね?」
ミリが口を挟む。
「ええ。ただ食べたり飲んだりする時に咽せて、そのまま咳き込んだりするだけなので、病気ではないと医師に言われています」
「咽せる原因は何なのでしょうか?」
「分かりません。医師には病気ではない事しか分からないと言われました」
「そうですか」
医師に分からないなら、医院の過去の診察記録を探しても、原因は分からなそうだとミリは考えた。
パノがピナに尋ねる。
「咽せない方法はあるのですか?」
「食べる時はなるべく細かくならない様にしています。大きいままなら咽せないみたいなので」
そのピナの答えにパノは肯いたけれど、ミリは驚いた。
「良く噛まないで食べているのですか?」
「ええ」
「医師がそうしろと?」
「いいえ。ですけれど、噛んで細かくすると、咽せ易い気がします。大き目のままなら咽せませんし」
ミリは消化に悪いと思ったけれど、咽せる原因や咽せた影響が分からないので、この場で口に出して言う事は出来なかった。
「水分を摂る時は、なるべく俯いて飲み込む様にしています。これも言われたからではなく、そうした方が咽せ難い様な気がするからです」
「でもお祖母様?先程咽せた時は、飲んだり食べたりしていらっしゃらなかったのではありませんか?」
パノの指摘にピナは「ええ」と肯く。
「ミリが魚を食べる話などするから、驚いて咽せたのですよ」
ピナはそう言うと目を細めてミリを見た。
ミリはピナに頭を下げる。
「申し訳ございませんでした」
「国によって文化は違いますから、どちらが正しいとか間違っているとかではないのかも知れません。しかし我が国の貴族に列なる者が、他国に渡る様な話が上がってもいない内から、魚を食べるなどと言ってはなりません」
「はい」
「それはミリ?あなたへの教育が疑われる事にもなりますからね?」
「はい。今後は気を付けます」
そうピナに答えたミリは、訊く相手を間違えた、と思った。




