今と向き合うデドラ
ミリはバルの祖母デドラを見上げる。
「もし邪魔にならない様でしたら、わたくしももう少し、曾お祖母様とお話がしたいと思います。ご一緒させては頂けませんか?」
「そうですね」
デドラはほんの少し、口角を上げた。
「では、リルデさんの代わりに、ミリが私と歩いてくれますか?」
「はい、曾お祖母様。お祖母様?役割を譲って頂いてもよろしいですか?」
「仕方ありません。可愛いミリの頼みですから、特別に譲りましょう」
そう言って微笑むバルの母リルデに、ミリは驚く。ミリはリルデが冗談を言うのを初めて聞いた気がした。
しかしこのイレギュラーには何か理由があるのだろうと察して、ミリは直ぐに表情を微笑みに切り替えた。
切り替えタイミングの遅さ的には、礼儀作法の師匠ピナ・コーハナル夫人に怒られそうだったけれど。
「ありがとうございます、お祖母様」
ミリがリルデにそう言うと、リルデの手を掴んでいるのと反対側の手をデドラがミリに伸ばして来る。ミリはそのデドラの手を握った。それを確認してリルデはデドラの手を放す。
「それではわたくしは、昼食の指示をして参ります。ミリ?お義母様をよろしくお願いしますね?」
「はい、お祖母様」
リルデはミリにはまた微笑んで、デドラには会釈をして、その場を去った。
「ではわたくし達も行きましょう」
「はい、曾お祖母様」
デドラがゆっくりと歩き出しながら、話をし始める。
「フェリさんが骨折をなさいましたでしょう?」
「はい」
「あのしゃきしゃきと動くフェリさんが骨折をなさるなんて、わたくしはとても驚きました」
「フェリ曾お祖母ちゃんの骨折は落馬が原因でしたので、避けようがなかったのです」
「そうですね。ですが以前、フェリさんからは、落馬をした事がないと伺っていたのです」
「そうなのですね」
ミリは、また曾お祖母ちゃんは適当な事を言って、と思ったけれど、それをデドラが聞いたのは本当だろうから、疑う言葉は言わなかった。ラーラの祖母フェリはミリには、乗馬は落馬して覚えるんだ、なんて言っていた。
「そうするとフェリさんの落馬の原因の一つに加齢が考えられますが、それはわたくしに取っても他人事ではありません。その事を今回、わたくしは痛感しました」
「え?曾お祖母様?どこか痛めていらっしゃるのですか?」
「そうですね。膝にはもう何年も前から痛みがありました」
「そうなのですか?全然、気付きませんでした」
「気付かれない様にしていましたからね。ただその所為で、余計に膝の痛みが酷くなった様な気がしているのです。それは歳なのだから仕方ないと受け入れて、我慢しないでみようかと思ったら、途端に足が進まなくなってしまって」
「もしかして、足に痺れもありますか?」
「そうですね。痺れと言うより、突っ張る感じですね。脚の裏側が突っ張って、上手く足が進まない様に感じます」
ミリは症状に該当する原因を頭の中で探った。
「医師の診察は受けたのですか?」
「歳だと言われましたよ。加齢の所為だそうです」
侯爵家の夫人に面と向かって、歳だと言ってしまいそうな医師に、ミリは覚えがあった。
「痛みや張りを一旦意識すると、それまでどうやって歩いていたのか、分からなくなってしまいました。同じ様な動きをしようとすれば出来ますけれど、かなり無理をしなければなりませんし、不安定な歩き方に自分では思えます」
「それは無理をなさらない方がよろしいかと思います」
「そうですね。無理をして転びでもしたら大変ですものね。年寄りは骨折し易いから転ばない様に気を付けろと、医師にも言われましたし」
先生、言い方!とミリは心の中で叫ぶ。今度医師に会った時には思わずそう口にしそうだと思って、ミリは言わない様に自分に注意することにした。
「わたくしは歩く事に少し臆病になってしまったみたいで、誰かに支えて貰わないと、一歩が出なくなってしまいました」
「そう言う事でしたか。それならわたくしは曾お祖母様の杖の代わりを喜んで務めさせて頂きますね?」
「手間と時間を掛けさせてしまって、ごめんなさいね?」
「いいえ。ゆっくり歩くなら、ゆっくりと曾お祖母様とお話が出来ますから」
見上げてそう言うミリの頭をデドラは、繋いでいるのとは反対側の手を伸ばして、そっと撫でた。そして微笑むけれど、目には少し意地悪の様な光が宿る。
「ミリは優しいですね。これは褒めていますよ?」
ミリはデドラが、冗談として言ったのかミリを揶揄ったのか分からないけれど、その言葉は普段よりデドラとの親密度が高い気がして、素の笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます」
デドラも先程よりも口角を上げて目も細めて、微笑みを返した。
昼食にはやはり、バルの父ガダは間に合わなかった。
デドラとリルデとミリの三人でテーブルを囲む。
デドラはあまり食べておらず、それがミリには気になった。
「曾お祖母様?あまり食事が進んでいらっしゃらない様ですが、今日の朝食は遅かったのですか?」
「そんな事はありません。ミリとの食事が楽しくて、喋るのに忙しいだけですよ」
「そう言って頂けると嬉しいのですけれど」
ミリは微笑んでそう返したけれど、目だけでリルデを見ると目が合って、リルデはミリに首を微かに左右に振ってみせた。
「曾お祖母様?もしかしたら最近、食べ物の好みが変わったりなさいましたか?」
「そうですね。好きな筈の物を口にしても、あまり喉を通らなくなった感じはします」
「それでは、今まで召し上がっていなかった物を召し上がってみますか?」
「それは我が家の料理人も、考えてくれているみたいです。ほら、これなども、わたくしはこれまであまり食べなかったのですけれど、試しにと出してくれているのでしょう」
デドラはそう言って、一つの皿を手で示した。
「召し上がりたい物のリクエストも、なさっていらっしゃるのですか?」
「そうですね。食べたいと思う物が思い浮かばなくて、リクエストするのは今のところ難しいのです」
「大人になってからは召し上がらなくなったけれど、幼い頃にお好きだった物とかはいかがですか?」
「そうですね。何かありましたでしょうか?」
デドラはミリから視線を外して、考えてみせる。
「あるいは機会がなくて、召し上がってみたかった物とか?たとえ手に入りにくい物でも、曾お祖母様さえよろしければ、ソウサ商会に問い合わせてみますけれど?」
その言葉にデドラははっとミリを見た。見たけれど言い倦ねている。
「何か思い当たりましたか?」
「そうですけれど、どうでしょう?」
「どう、と仰いますと?」
「そうですね。食事中に出す話題としては、相応しくないかと」
食べ物の話なのに食事中に出来ない物とは何か、ミリにも、二人の会話を聞いていたリルデにも思い付かない。あるいは悪い予感がして無意識に想像を避けている。
けれどミリは心を決めて、デドラから聞き出す事にした。
「しかし曾お祖母様は、それを召し上がってみたいのですよね?」
「そうですね。機会があれば口にしてみたいとは思います」
「曾お祖母様がそれを召し上がる為には、わたくしやソウサ商会は力になれますか?」
「どうかしら?ソウサ商会では扱っていらっしゃるかも知れませんね」
「もしかして、平民なら食べる物ですか?」
「そうですね。この国の貴族は食べませんけれど、この国でも食べる人はいますね」
ミリは小声で尋ねる。
「曾お祖母様。もしかして、魚ですか?」
「ふふ。ええ。若い頃からずっと、どの様な味なのか気にはなっていたのです」
デドラも小声で答えた。
聞きだしたのは良いけれど、ミリは頭を抱えた。リルデは目を見開いている。
確かにソウサ商会なら干し魚は取り寄せる事は出来た筈だけれど、デドラに食べさせる方法がミリには少しも思い付かなかった。
「母もソウサ家の皆も食べた事がない筈で、干し魚は美味しい調理法もないと聞いた事がありますから、確かに食べるのは難しいですね」
「そうですね。貴族の食卓に載せる訳には、いかない物ですし」
それでももし、それでデドラの食欲が出るのなら。
「曾お祖母様。魚については調べてみますので、少し時間を頂いてもよろしいですか?」
「余計な話をしてしまいましたね。時間は構いませんけれど、ミリは忙しいのですし、時間を使わなくて良いですよ?」
デドラのその言葉に、ミリの負けず嫌いに火が点く。
「いいえ」
ミリは首を左右に振ると、まずリルデを見て、次にデドラに視線を戻す。そして口元に手を翳した。
「わたくしも食べてみたいので、方法を考えてみます」
ミリはそう、デドラとリルデにだけ伝わる小声で言った。
リルデが困った様な顔をする。
デドラは楽しそうに笑みを零した。




