28 ラーラの縁談かバルか
両親に喚ばれ、ラーラはソウサ家の居室に入った。
「二人が揃っているの、珍しいよね?」
入って来るなりのラーラの言葉に、父ダンも母ユーレも苦笑する。
「ラーラが見ていない所で会っているわよ」
「心配しなくても大丈夫だよ」
「だってザール兄さんが代わりに行商に行ってなければ、本当なら父さんは今の時期に家にいない筈じゃない」
そう言いながらラーラは二人の前の席に腰を下ろした。
「私が今やっている仕事は少しずつザールに任せて行くから」
「もしかして、船の仕事?」
「ああ。これからはワールと一緒に私はそちらに力を入れる事になるね」
「良かったね、母さん。父さんが家にいれば、会う時間が増えるじゃない」
「準備の期間はね。仕事が立ち上がったらダンだって、何ヶ月も船上の人だから。ワール程じゃないだろうけど」
「私も何ヶ月も船旅はしたくないけどね。なるべくワールに任せるよ。でもワールは殆ど家に寄り付かなくなりそうだよね」
「ワール兄さんはお嫁さんを貰っても、新居が船の上になりそうよね」
「本当だね」
「ダンもラーラも、笑い事じゃないわよ?」
笑顔を交わすラーラとダンをユーレは呆れて眺めた。
ソウサ家では家族が全員揃う事はまず無い。ラーラの記憶でも数える程しかなかった。それもほとんどが兄達が行商にそれ程頻繁に出てはいない幼い頃の事だから、ハッキリとは覚えていない。
実績表を調べれば、誰がいつこの王都に滞在していたのかは分かるけれど、同じ日に家に居た事になってはいても、顔を合わせていたとは限らない。
「それで?私への用は?」
「スランガの船が港に入ったよ」
「もう?」
「ああ。風が良かったと言っていたそうだけど、見て来た者の話だと船が多少傷んでいるそうだ」
「嵐に遭ったのかな?」
「傷みは多少だと言うから、嵐から逃げるのに船の速度を上げたのかもね」
「資材の手配とかも始まるでしょうから、直ぐに話が伝わるわ。嵐かどうかはわからないけど、乗組員達は全員無事との話だから安心して良いわよ」
「うん。良かったわ。でも船の速度を上げたんなら、積荷は捨てたかもね」
「取り敢えず水と食材の注文を貰ったわ」
「入港して直ぐなのに?」
「取り敢えずと言う事で少量だし、停泊中の船の留守番をする人の為の食料も残らなかったんじゃない?」
「そうか。少量でもありがたいよね」
「充分ありがたいわ」
そう言ってユーレは胸の前で手を合わせた。
「そうすると、バル様と船を見学させて貰う話は、今回は見合わせた方が良いかな?」
ラーラの言葉にダンは「それなんだが」と真面目な表情を作る。ダンの隣でユーレも真面目な顔をラーラに向ける。
「話の流れで、スランガには見学の件を伝えたそうだ」
「え?どんな流れ?嵐に遭ったかどうかを訊くより、バル様の見学の話が先に出るなんて?」
「ラーラの縁談話から繋がったそうだ」
「え?どんな流れなの?」
ラーラは驚いて、体を前に乗り出す。
「ラーラの交際練習の話が、他の港でも広まっている」
「え?なんで私の話が余所の港で広まるの?」
「ラーラの事を知っている船は多いからな」
「他の船の乗組員からも、交際練習の話が本当か確認された事があるわよ」
「え?そんなの報告に載って無かったけど?」
「ちゃんと事実が伝わっていたから、噂の報告としては載せなかったとかだったかな?」
「でもスランガが耳にしたのは誤った悪い方の噂だね」
「それも広まっているの?」
「ああ」
「報告はまだ上がって来てないけど、どうやらそうらしいわね」
「それでスランガは、ラーラとバル様の交際の実際を訊きたいと言うのと、その話で問題がないと判断したらラーラへの縁談を申し込みたいとの事なんだ」
「え?私に縁談?」
ラーラは体を包む冷えを感じた。
「スランガさんの息子を覚えてる?」
「前に一緒に来ていた、パサンドさん?」
ラーラの声が少し喉に貼り付く。
「ええ」
「今回は来てないそうだけど、ウチが縁談を受けるなら、次の時にはラーラとお見合いさせる為に、また連れて来るとの話だよ」
「え?でも、なんで私?」
「この間来た時に見初められたのよ」
「私は会えなかったけれど、良い青年らしいじゃないか」
「そうね。礼儀正しいし、しっかりしていたわ。あれならスランガさんも跡を任せられるでしょうね」
「私、それ程、話したりもしてないんだけど」
「ラーラの事は昔からスランガさんに聞いてたとか言ってなかった?」
「そう?確かに初めましての挨拶の時に言ってた気もするけど、そんなのみんなに言われるし、私も言うし」
「船の事が落ち着いてから、正式に話に来るそうだ」
ラーラは視線を逸らしながら「そう」と返した。
「そしてスランガの船が港にいる間は、バル様とラーラの交際を控えて欲しいと頼まれた」
「え?なんで?」
ラーラは目を見開いて、ダンに顔を向けた。
「ラーラがバル様と会っているのを船員達が知ったら、噂を悪い方に信じるかも知れないからね」
「バル様と私が会ってる所を見れば、悪い噂は嘘だって分かるじゃない」
「見ればそうかも知れないわね。でもラーラがバル様と会ったと言う話だけを聞いたら、噂を元に二人の様子を想像するでしょう?」
「そんな勘繰り、いつもいちいち相手にしてないじゃない」
「でもラーラがパサンド君と結婚したら、その勘繰りが障害になるわよ?」
「パサンド君はスランガの跡を継ぐのだから、その妻が将来部下になる船員達に馬鹿にされる様な事があっては困るからね」
「バル様との交際を控えるなんて、私の一存では決められないわ」
ラーラは少し俯いてそう言った。
ラーラは女生徒達との言葉の攻防には、バルの都合を盾にして良いとの許可をバルから貰っている。むしろ積極的にバルを盾に使う様にと言われている。
しかし家庭の事情にバルの意思を言い訳として持ち出した事について、口にしてしまってからラーラは気が引けた。
バルは交際を控える事を拒否するかも知れない。でもラーラの将来が掛かっているからと、交際を控える事に賛成するかも知れない。
賛成された時の事を思うと、ラーラの胸は痛んだ。
兄が友人と殴り合うのはこんな状況かも知れない。ラーラは逃避気味にそんな事を考えた。
「バル様の意向が重要なのは分かってるよ。それについてはスランガにも説明を送って置く」
「でも、バル様といつも通りに頻繁に会ってたら、パサンド君との縁談はなくなるからね?」
「・・・それって、ウチとしては、受けた方が良いのよね?」
「ええ、そうね」
「ワールと始めるのはスランガとは競合する仕事だ。ラーラが嫁に行けばスランガは強力な味方になる。航海のノウハウとかも色々と教えて貰えるだろうな」
「父さんは私がスランガさんの国に嫁いで行っても良いのね?」
「いいや」
「え?でも、パサンドさんと結婚させたいのでしょう?」
「スランガは一度航海に出ると少なくとも一月以上は家に戻らないと言うし、それはパサンド君も同じだろう。だからパサンド君とラーラの新居はここの港にすれば良いよ。パサンド君が航海に出てる間は、ラーラはウチに帰って来れば良いし」
「随分と乗り気だと思ったら、ダンはそんな事を考えてたの?」
「だって普通は嫁に行ったら実家には中々帰れないだろう?」
「そうは言っても」
「ユーレだって、全然帰ってないじゃないか」
「私の実家は地産地消がメインで、外とは大した商いがない地方だから」
「仕事じゃなくてだよ。そう言うものではないだろう?」
「でもラーラが結婚後も近くに住んでくれるのは良いわね。時間があれば商会も手伝って貰えるだろうし、子供が出来たらウチで面倒を見る事だって出来るし」
「ラーラの子供ならきっともの凄く可愛いだろうね」
「パサンド君に似た、凛々しい子が生まれるかもよ?」
「女の子が良いんだけど」
「両方産んで貰えば良いのよ。ね、ラーラ?ラーラ?」
ユーレの呼び掛けにラーラは顔を上げた。
その表情を見て、ダンが言う。
「パサンド君との婚約自体も、待って貰う様に頼めるからね。交際練習の継続期間に関しては、バル様の希望も叶えられると思うよ」
「でも、ラーラの結婚適齢期を過ぎるなんて言うのはダメよ?」
ユーレの言葉にラーラの肩に力が籠もる。
「バル様の婚約は王子様や王女様の婚約の影響を受けるからね。実際にはラーラの縁談の方が早く決まるだろう。だから交際練習を止めるのは我が家の都合になる筈だよ。それについては、バル様と予め話してある?」
「ううん。私の婚約が先になる事は、考えてなかった」
「そう。なら気付けて良かったね」
「バル様に会ったら、両方ちゃんと話しなさいよ?会うのを控えたい事とラーラの縁談が調った時にどうするかを」
「しっかり決めて来るんだよ?その話し合いに付いてはバル様と会っても良いって、スランガにも許可を貰って置くから」
「会わないなんて無理よ」
ラーラは顔を上げて言った。
「どうしたって学院でも会うし」
「学院で会うのは良いんじゃないか?」
「いかがわしい噂も学院外での事よね?」
「ただ、朝夕の送り迎えは中止だね」
「そうね。従者が同乗しているとは言っても、密室に籠もるのと似た様なものだものね」
「そんな・・・」
ラーラはまた俯いた。
「ラーラ。これまでにも縁談の打診があったのは知ってるでしょう?」
「うん」
「みんな一旦は待って貰ってるけど、バル様と交際練習を続けながらお見合いをしてみても良かったのよ?」
「え?縁談は断ったんじゃないの?」
「断ったらラーラの結婚相手をいざ探そうとする時に、繋がりが切れてて困るじゃない。事情に納得してくれてる所は、待ってくれてるわ」
「相手も永遠に待つ訳じゃないけどね。でもユーレ、パサンド君程の良い条件はないだろう?」
「それはラーラの我が家への里帰りに、ダンが大きなポイントを置くからでしょう?まさかザールに仕事を任せるのも、ラーラとの時間を増やす為じゃないでしょうね?」
「一番はワールの仕事の件だよ。確かに私がウチに帰って来ても、ラーラはバル様と出掛けてばかりで、一緒に過ごす時間が減ったのは何とかしたいと思ってたけどね」
「まったく、これだから」
「だってもう直ぐ嫁に行ってしまうんだよ?」
「まだ相手も決まってないんだから、直ぐじゃないでしょう?」
「いや、直ぐだよ。ラーラがその気になったら直ぐさ」
そう言ってダンがラーラに微笑むのを、ユーレはまた呆れながら見た。
「取り敢えず、バル様に連絡を取って、どうするか決めなさい」
「どうって?」
「会って相談するのか、コードナ侯爵邸にラーラが伺うのか、バル様に来て頂くのか」
「馬車での送迎も早く断るべきだからね?」
「それなら今からコードナ侯爵邸に行って来る。バル様に会えたらその場で相談して来る」
「先触れを出さないのはダメよ」
「私が先触れになる。バル様がいなければ要件を伝えて帰って来る。いてもバル様の都合が悪ければ、話し合いの申し込みだけして来るわ」
ラーラは両親を説き伏せた。
とにかく今は、バルの顔が見たかった。




