試す夜
朝食の時のラーラは、もう昨日と同じだった。ミリのいない分を埋める様に明るく振る舞っていた。
日中も同じ様な調子で、夕食の時も同じ様に、まるで今朝の寝室の出来事を忘れたかの様だった。
しかし夜に寝室でバルと二人きりになると、ラーラが警戒しているのが露わになる。寝室のドアの傍からラーラは動かない。
「今朝はごめん」
バルが頭を下げると、ラーラは「ううん」と首を左右に振る。
「最近私、あまり眠れていなかったの」
「ああ」
「え?気付いていたの?」
「ああ。ミリがハクマーバ領に出掛けてから、ほとんど眠れてなかったんだろう?その前も、ミリが助産院に泊まる様になってから、少し眠りが浅かったみたいだけれど」
「え?そうかな?でも、ミリが出掛けてからは、なんか心配で、眠れていなかったのは確かなの」
「ああ」
「そうか。気付いていたのね」
バルやパノに気付かれない様にしていた積りだったラーラは、少し寂しそうに笑ったけれど、「でもね?」と真面目な表情になる。
「昨夜は良く眠れたみたいなの。怖い夢を見た筈なのに」
「そうか。眠れたのは良かった」
バルは夢には触れずに、眠れた事だけを良かったとした。
ラーラはバルをじっと見詰める。
じっと見詰められてバルは、居心地の悪さをだんだん強く感じる。今朝の事の後ろめたさもある。そしてバルは勝手に降参した。
「あの、俺、今夜から違う部屋で寝ようか?」
「え?なんで?」
「だって、俺の事、怖いんじゃないか?」
「ち・・・がくはないけれど、大丈夫よ」
「違わないなら」
「大丈夫」
「でも、そんなに離れた所に立ってるし」
「大丈夫だってば」
「・・・そうか。分かった」
バルはソファに腰を下ろす。
「取り敢えず、一緒にベッドに入るのは止めておこう。俺は今日はソファで寝るよ」
「え?でも」
「大丈夫?寝室に俺と二人きりと言うだけでも、ラーラには結構なプレッシャーだろう?」
「そんな事はないけれど」
「そう?」
ラーラはバルに言葉を返す替わりに、視線を下げた。
沈黙のまま、時間が過ぎる。
俯き加減のまま何も言わないラーラに、バルはいたたまれなくなって呼び掛けた。
「ラーラ?」
「なに?」
視線を向けて来たラーラに、バルは何を喋るか考えていなかった。
「その、今日も酒を飲まないか?」
「うん。それなのよね」
「え?どれ?」
「昨夜良く眠れたのは、お酒を飲んだからなのかしら?」
「そうなのではないかな?ベッドに横になってから、結構早く寝息を立てていたよ?」
「うん。でも・・・」
またラーラは視線を下げる。
「でも?」
バルの声にふいっと顔を上げて、ラーラはバルを見詰めた。
バルは見詰められて、またいたたまれなくなって、もう一度「でも?」とラーラの応えを促した。
「でも、バルの腕の中で私は、安心した顔をしていたのでしょう?」
「あ、うん。あの時はそうだよ」
「だから、お酒の所為じゃなくて、バルのお陰かも知れないでしょう?私が良く眠れたのは」
「・・・そうか。そうだと嬉しいな」
今朝ラーラが目を覚ますまでは、バルもラーラが良く寝ているのは、自分がラーラに安心感を与えられたからだと思っていた。しかし目を覚ましたラーラに拒絶され、バルに取っては昨夜の自分の取った対応は、猛省すべき身勝手な行動と位置付けられていた。
それなので、ラーラの言葉がバルにはとても嬉しかった。そうだと嬉しいと言いつつも、既に嬉しい。
「私もそうだと嬉しい。バルとの関係を深められる手掛かりになりそうだよね?だから今晩は、お酒を飲まないで試してみたいの」
「試す?でも今朝は難しそうだったよね?」
「今朝は時間がなかったからでしょう?」
「え~と、じゃあ、俺は朝みたいにベッドに寝れば良い?」
「え~と、そうね。そうなるわよね」
「あ、じゃあ、俺から横になる?」
「あ、そうね。そうしてみて貰える?」
「あ、うん。分かった」
「うん。お願い」
なんとなく、二人の会話はぎくしゃくしていた。
今朝の様にバルがベッドに横たわり、手の甲を上にした両手を体の脇に置いて、目を瞑る。
ラーラはベッドの脇に立ち、少し躊躇ってから、「失礼します」といつもは言わない言葉を小声で囁いてから、ベッドに上がった。バルもどうにもいたたまれなくて、「どうぞ」と小声で返した。
バルの傍まで躙り寄ると、ラーラはまた「失礼します」と声を掛けてから、バルの肩に触れた。
そこでまた躊躇いの間を開けて、それから今朝と同じ様に動いて、バルの胸に顔を付けて、ラーラはバルの隣に横になった。
声を掛けるとラーラが体を起こすかも知れないと思ったバルは、そのまま何も言わずに、心臓以外は動かさない様に呼吸も浅くして堪える。
かなりの時間が経ってから、ラーラが上半身を起こした。
「バル?寝ちゃった?」
「いや。起きているよ」
「あの、この格好だと私、眠れないみたい」
「・・・そうか」
バルは剣術などで体を鍛えているから、実は胸板がかなり厚い。ラーラが枕にするには高過ぎる。体を捻った不自然な格好で寝るのは、大人のラーラには難しかった。
「バル。こっちの腕を真横に広げてみてくれる?」
「真横ってこう?」
座っているラーラに触らない様に、バルは腕を自分の体の前を通して回して、頭の上から体の横に持って行くと、腕を真っ直ぐ伸ばして手のひらを下にして、ベッドの上に下ろした。
「うん。ありがとう」
ラーラがバルの胸に片手を置き、もう一方の手で横に広げたバルの腕に触れる。
体を折ってラーラはバルの腕に顔を近付け、途中でピタリと停まると、ガバッと体を起こした。
ラーラの息遣いが少し乱れた事に気付いたバルは、目を瞑ったままラーラに尋ねる。
「やっぱり、腕を広げていると怖い?」
「バルが怖いんじゃないのよ?バルだから怖いんじゃなくて、そうじゃないんだけれど」
バルは横に広げていた腕を逆方向に回して、自分の体の脇に戻した。
「ラーラ?」
「うん」
「俺はラーラを愛しているよ」
「うん。それは分かっているし、私もバルを愛しているわ」
「今朝はイヤがる事をしてしまったけれど、俺はラーラを傷付けたくない」
「うん。分かってる」
「でも、教えて欲しい。広げられた腕が怖いのは、捕まえられるかも知れないと思うから、だよね?」
「・・・そうね」
「そうだよな」
「・・・どうしても、襲われた時の事を思い出してしまう。バルは私を愛してくれていて、私を傷付けたりしないって、頭では分かっているのよ?でもどうしても、どうしてもなの」
「俺とラーラの間に深い谷があって、俺はそれをまだ埋められていないって事だよね」
「・・・ううん。谷があるのは私の中よ。襲われた時の傷が私の中で深い谷になってる」
「・・・そうか。でも、その谷を埋めるのは、夫であり、ラーラを愛してラーラに愛されている俺の役目だ」
「バル・・・」
「正直、どうしたら埋められるのかまだ分からないけれど、つまりはまだ俺の愛が足りていないって事だよな」
「バル?」
バルが脳筋な答を出しそうに感じて、ラーラは少し不安になった。




