ハイハイ
レントは使用人に、押し葉の材料を集める様に命じた。
一つは既にラーラに贈った事のある、防虫防カビ効果のある草だ。そしてもう一つは防虫効果は知られていて、他の地域でもよく見掛ける草だった。
この二つは良く似ている。生えているところを見ただけでは、違いが分からない。季節によっては花を付けるが、花も実も種さえも良く似ていた。
違いは、防カビ効果もある方は、葉の裏に白い産毛が生えている事だ。
レントは使用人に、集めさせた2種類の葉で押し葉を作らせる。本当は自分で作りたかったのだけれど、まだ体が思う様に動かせないので、それは諦めたのだ。
押し葉が出来上がるのに日にちが掛かるので、その間にレントはミリ宛てに書いた手紙を何度も読み返した。ミリから貰った手紙もだ。
ミリへの手紙を何度か書き直してみたけれど、結局は前回と同じ様なシンプルな、最初に書いた手紙が良い様に思えた。
押し葉が出来上がるまでの間にも、レントは体力を少しずつ取り戻していった。
一人で立っていられる様になり、数歩歩ける様になった。
食事も食べられる量が少しずつ回復していった。
しかし、元通りではダメだとレントは思っている。
元通りでは、小柄な痩せっぽちのままだ。
小魚は早速手に入れさせて、食べる様にしているけれど、運動しない事には体力も筋力も付かない。
けれど、走ったり剣を持ったりはまだ無理だ。
寝返りは、それしか出来なかったからやっていた。
その後の四つん這いの運動も、他に出来る事が無かったからだ。
しかしこの二つは、赤ん坊でも出来る事。
そこでレントは閃いた。
赤ん坊の体の動きには、大人になって体を動かす為に必要な動作が含まれているのではないか?
必要だからこそ、赤ん坊は寝返りを打ったり、腹ばいでハイハイしたり、四つん這いでハイハイしたりするのではないだろうか?
もしそうなら、やっと立っているだけで、ほとんど歩けていない自分に必要な訓練が、ハイハイに含まれているかも知れないのではないか?
そうは言っても、今更ハイハイするのはレントには躊躇われる。
自分以外に周囲に子供がいない状況で育ったレントは、赤ん坊がハイハイする事は知っていても、実際に見た事はない。もちろん自分がハイハイしていた頃の事など、全く覚えていない。
もしかしたら、ハイハイは今の自分の体力作りに最適なのかも知れないけれど、レントはそれを実施する事には羞恥を感じた。
試しに、自室のドアの錠に鍵を掛けて、ベッドの上で四つん這いになってみる。
いつもはこの格好から、猫や犬の様に伸びたりしている。この格好をするのは恥ずかしいなんて感じていなかったけれど、ここからハイハイをするとなると、途端に恥ずかしい。
レントはベッドの上に倒れて、仰向けになった。
そして、なぜ恥ずかしいのかを考えてみる。
自分以外の他の人も、ハイハイするのは恥ずかしいのだろうか?
確かに大人がやっているのは見た事はないし、小説などでも大人がハイハイしているシーンは読んだ事がない。それは恥ずかしいからなのだろうか?
良い大人が赤ん坊振って甘えたりしていたら、見ていて恥ずかしいと言うよりは怖そうだ。それはなぜそう思うのだろう?いや、甘えていなくても、ハイハイで進んで来る大人に追い掛けられたりしたら、とっても怖そうだ。だから、それはなぜ?
それは、大人はハイハイなどしないと言う常識を覆される怖さだと、レントは結論付けた。そう、自分の常識が通じないかも知れない事こそが、恐怖なのだと。
つまり、自分がハイハイするのが恥ずかしいのは、常識がない人間と思われるからだ。
レントは一旦そう考えてみたけれど、考えがしっくりとは来なかった。どこか隙間が空いている様な、ガタつきがある様な、歪んでいると言うよりは足りていない感じがした。
「わたくしに足りない」
仰向けのまま天蓋に向けて、そう呟いてみる。
自分に足りないものは山ほどありそうだ、とレントは思った。
王都への往復の旅の間に、それまでの想像が足りていなかった事柄は色々とあった。そう言う意味では経験が足りていなかったし、今もまだまだ足りていない筈だ。
ミリとの僅かな会話でも、様々な刺激を受けた。彼女はしっかりとした教育を受けていると思えたが、それ以上の経験を積んでいる様にレントには感じられた。
教育だけなら自分が受けているものも、それ程ミリとは違わない筈だ。自分の方が学年が1年上なのもある。
そう考えると、経験が足りない事から来る常識不足が知られてしまう事が、自分にとっては恥ずかしいのだろうか?
いや、ハイハイが恥ずかしい理由に、赤ん坊でもないのにハイハイする事の常識不足はあるかも知れないけれど、経験不足は繋がらない。それに常識不足にしても、常識不足を指摘される恥ずかしさとは別の羞恥な気がする、とレントには思えた。
ハイハイしていた頃に、何かあったのかも知れない。
ふと、そう考える。
レントには、その頃の記憶は一切ない。
それは、レントの実母フレンに付いての記憶も一緒だ。
レントはベッドの上で寝返り、四つん這いになってみた。
そのまま、少し進んで、蹲った。
「・・・恥ずかしい」
やってみたら、尋常ではない恥ずかしさだ。誰に見られている訳でもないのに。
これは、やはり、何かあったのかも?
「だけれど、わたくしの体には効果がありそうです」
レントはわざと声を張ってそう言うと、また四つん這いになってみた。
そのまま、原因を探ろうと羞恥に耐える。けれどやはり、蹲った。
「もしかしたら、一人でやっているからこそ、恥ずかしいのかも?」
手脚を立ててまた四つん這いになりながら、そう口に出してみて、ミリに見られた状況が脳裏に浮かんで、レントはまた蹲った。




