禁止と望みの順番
「取り敢えずソウサ商会に戻って、医者の見学は断ってくる。続きは今晩、帰ってから話そう」
不機嫌な声でそう言うバルをラーラが止める。
「待ってバル。まず話し合いましょうよ?」
「何を?」
ラーラに対しての返しが、バルはかなりぶっきらぼうになっていた。
「色々だけれど」
「色々って?俺、仕事もあるから、ノンビリとは話をしていられないのだけれど?」
「それなら尚更、冷静になってからソウサ商会に向かわないとダメよ」
「別に、冷静だよ」
「いいえ。冷静ではないわよ。少なくとも普段通りのバルとは言えないわ」
話をしている二人をよそに、パノはテーブルを回ってミリの隣に立ち、ミリの手を引いて椅子から立ち上がらせると、そのままソファまで連れて行って二人で座り、ミリの腰を抱き寄せて、胸に頭を預けさせた。
ミリが体の力を抜いてパノに凭れ掛かる様になると、パノは先にブランケットを用意すれば良かったと思った。ミリの力の抜き具合からすると、このまま眠ってしまうかも知れなく思える。
「まずバルに言って置くけれど、私はミリが望む事を叶えてあげたいって思っているの」
「それは俺もだよ」
すかさず返すバルの言葉に、ラーラは少し驚いた。
「でも、結婚させない、仕事もさせないって言っていたじゃない」
「それはミリも望んでいないじゃないか」
「違うわよ」
「違わないだろう?」
「違うわ。ミリはバルが禁止するから、結婚も仕事もしないって言ったのよ」
「同じじゃないか」
「違うってば。ミリは望む望まないに関係なく、バルが禁止するからしないって言ってるの」
「ラーラ。順番を間違ってるんじゃないか?」
「え?何が?」
「ミリは俺が禁止するものを端から自分で選ばない。ミリが望む望まないを決めているのはその後だ。結婚も仕事もミリの望む望まないの選択肢には、そもそも上がっていないだろう?」
「だからそれが問題なんじゃないの」
「どこが問題なんだよ」
ラーラとバルの遣り取りを聞いて、パノは「やれやれ」と思う。
この二人はこんな基本的な食い違いさえ、普段からそのまま放置しているのかと、パノはかなり呆れた。
ラーラとバルがミリと一緒にいると、どうしてもミリ中心になって、お互いをミリの先にしか見ていなかったのかも知れない、とパノは考えた。もしそれが食い違いの理由だとしても、呆れるのには変わりないけれど。
取り敢えず、二人とは別に寝ることにしたミリの判断は正しかったな、とパノは思う。そのお陰で二人の会話は増えた筈だ。今、これまで放置されていた基本的な食い違いが表面化しているのも、もしかしたらそのお陰かも知れない。
「ミリ?」
「なに?パノ姉様?」
ミリが上目遣いにパノを見上げる。
「取り敢えず、ミリがここにいなくても、お父様とお母様の話は進む様だから、退室する?」
「ううん」
ミリは小さく弱く、首を左右に振った。
「二人が喧嘩しているみたいで、見ていたくないのではない?」
「でも、私の事だし」
「ふふ。違うわよ?」
「え?」
「あれはね、ミリの事を言い合っている様に見えて、ただじゃれ合っているのよ」
「え?そうなの?」
「そう。子犬とか子猫とかがじゃれ合っている事ってあるでしょう?」
「うん」
「あんなふうにお互いに絡み合って、相手の事を理解するの。それを大人になった人間がやると、あんな感じになるのよ」
「パノ?」
「人を犬や猫に喩えるのは、止めてくれないか?」
「あら?聞こえていた?」
ラーラとバルが、パノとミリを見て口を挟んで来た。
「ミリが心配そうにしていたから、心配はないって教えていたのよ」
「ミリ、大丈夫だからね?」
「はい、お母様」
「だけど、だからって犬猫はないだろう?」
「分かったわ。良いからそちらはそちらで続けて」
そう言ってパノは動物を追い払う時の様に、箒で掃き出す様に手を払い振った。
「ね?ミリ?心配いらなそうでしょう?だから二人を心配して遣り取りを見続ける積もりなら、その必要はないから。見ているとどうしても心配してしまうだろうから、見ないのも手よ?」
「ええ、分かったわ、パノ姉様。ありがとう。でも私は、このまま見ている」
「そう?それなら良いけれどね」
そう言葉を交わすと、パノとミリはラーラとバルの事を見詰める。
パノとミリの遣り取りを聞いた後に二人に見詰められて、バルは溜息を吐いた。
「はあ。取り敢えず、続きは帰って来てからにしよう」
「待って、バル。話はまだ終わっていないじゃない」
「俺は気が削がれて、今は続ける気になれないのだけれど」
「でも大事な事よ。ミリはバルが禁止したら、それに付いては自分では考えないみたいじゃない」
「・・・それで?」
「それでって、それっておかしいでしょう?」
「そうか?」
「え?おかしいわよ。人の判断に頼って、自分の判断の対象外にするなんて」
「でも、例えば、盗みや殺人はやってはいけない事だよな?」
「え?当たり前じゃない」
「それはなぜ?」
「え?なぜって、だって、法律で禁止されているし」
「なぜ法律で禁止されているんだ?」
「それは、いけない事だから」
「な?法律で決まっているからとか、いけないとされている事だからとか、人の下した判断に頼っている事は普通にあるし、それはおかしい事ではないよ」
「待って!私がバルと話したいのは、そう言う事じゃないの」
「じゃあ、どう言う事だ?」
「ううん。その、上手く言えないのだけれど、違うのよ」
バルはまた溜め息を吐いた。
「ラーラには少し、考えを整理する時間が必要なのではないか?」
「それは、分かっているのだけれど」
バルは手の甲を上にして、手をラーラに差し出した。
「取り敢えず、俺は仕事に行ってくるよ。今日は早目に帰って来るから、それから話そう」
ラーラは手を差し出すバルに普段の雰囲気を感じ、これなら良いかと判断した。
バルの手の甲をラーラは握る。
「分かったわ。私も考えを整理しておく」
「よろしく」
バルとラーラの様子を見て、やれやれいつも通りに戻ったか、とパノは思った。
「玄関まで送るね」
「ああ、ありがとう」
「行ってらっしゃい」
座ったままそう言ったパノの横で、ミリはソファから立ち上がる。
「お父様、行ってらっしゃいませ」
少し上擦ったミリの言葉に、バルは振り向いて微笑みながら手を振った。
「行って来ます」
バルとラーラが手を繋いだまま部屋を出て行くと、ミリはスッとソファに腰を下ろした。
そのミリの様子にパノは違和感を持つ。
バルとラーラはいつも通りに戻って見えたけれど、ミリはどこか普段と違う様に、パノには思えた。




