勝利への一歩
祖父リート、祖母セリ、父スルトの様子に、レントは後一歩だと考える。もちろんニヤけたりしない様に、顔には出さない。
レントは上半身を起こしながら、掛け布団を捲った。
腰に1枚だけ巻いていた布も布団と一緒に捲れ、レントは裸の全身を現した。
アバラも腰骨も浮いて見えるし、腕同様に足も細い。
腰布が取れたのは想定外だったけれど、まあ良いか、とレントは流した。
ベッド脇に座り、天蓋の柱に掴まりながら、レントは立ち上がった。
柱を手放すと、一歩足を出すより早く、レントの体が傾く。
「レント!」
リートが手を伸ばすけれど、足は出ない。代わりにセリが駆け寄ってしゃがみ込みながら、倒れ込むレントを腕に抱き止めた。
「レント!大丈夫?!」
「申し訳ありません、お祖母様」
セリの腕の中から、レントは見上げて微笑む。
二人の脇に遅れたリートが片膝を突いた。
「ほら、ベッドにお戻り」
そう言ってリートがレントを抱き上げようと腕を差し出すと、レントはリートの前腕に手を載せて、首を左右に振る。
そしてリートの顔を見上げ、ドアの所に立つスルトに顔を向け、次にセリの顔を見上げる。
セリを見詰めながら、レントは微笑んだ。
「どうやら室内の移動にも、事欠く様です」
「レント、大丈夫よ」
「わたくしのこの体を見ても、お祖母様はまだ、わたくしが治ると仰るのですね?」
セリは咄嗟に言葉が出なかったが、代わりにリートがレントの背中に手を当てながら、「大丈夫だ」と大きく頷いた。
「良い医者を必ず連れて来る。だから心配するな」
レントはリートを振り返って、小さく首を左右に振る。
「お祖父様。わたくしに必要なのは医者ではありません」
「いや」
「いいえ」
レントがリートの言葉を強く早い口調で遮った。
「わたくしの足はこれ程細くはありませんでした」
「それは病気が治れば直ぐにでも」
「いいえ。お祖父様?お祖父様は体を鍛えると筋肉が付くことをご存知でしょうか?」
「筋肉が?当たり前ではないか」
「そうですよね?馬上槍の名手と呼ばれたお祖父様の腕の筋肉は、生まれ付きですか?それとも以前わたくしに話して下さった通り、弛まぬ訓練の賜物ですか?」
「もちろん訓練によるものだ」
「リート!」
レントの誘導に易々と乗るリートをセリは睨む。
「いや、だが、セリ。この筋肉はそうなのだ」
セリに向けたリートの言葉に、レントは頷いた。
「わたくしのこの脚は、お祖父様の腕の逆です。ベッドで寝てばかりいたので、筋肉が落ちたのです」
「いや、それだけで筋肉が落ちる筈はない」
「お祖父様の腕も、昔はもっと太かったのでしょう?」
「それはそうだが、これだって何年も掛かって筋肉量が落ちたのだ」
「それはお祖父様が普段の生活にも、腕を使っているからです」
レントは根拠を持ってはいなかったけれど、断言をする。
「それに比べてわたくしは、立つどころか、脚を動かす事がほとんどありませんでした」
実際には栄養の不足により、脂肪だけではなく筋肉も分解されてエネルギー源に使われた為、リートの体は細っていた。
ただ、動かさない事で、脚の筋肉が優先して分解されたのは、事実だった。
「さすがに誰かに背負われたり、担架で運ばれたりしなければ移動出来ない生活は、わたくしは避けたいのです」
そこでレントはまたセリを見る。
「わたくしがコーカデス家の跡取りでなくなれば、剣の練習で誤って死のうが、馬から落ちて死のうが、構いませんよね?」
「レント・・・違うの・・・違うのよ」
「いいえ、お祖母様。想像して見て下さい。骸骨の様な姿の動かない子供と、ふっくら健康で活発に動ける子供。お祖母様はどちらが貴族家の跡取りに相応しいと思いますか?」
「それは、でも・・・」
「やはり、大切なのは血筋ですか?」
「それはそうです。当たり前ではないの」
「ではお祖母様は、どちらの子を愛せますか?」
「え?」
言葉を詰まらせたセリに、レントは微笑みを向ける。それは勝利の手掛かりを感じた喜びから来る笑みだった。
「レント。そこまでにしなさい」
リートがスッとレントを抱き上げた。
「お前が剣を習うのも、乗馬を習うのも、ダンスを習うのも、確かにお前のお祖母様が禁止を言い出した事だ。しかし最終的に禁止を決定したのは、コーカデス家の当主であるお前の父だ」
リートはそう言いながら、レントをベッドに下ろす。
「だからそんな風に、お祖母様を追い詰めるな」
そう言ってリートはレントの頭を撫でた。
レント的には、祖父リートも祖母セリと同程度の責任があると思っていた。しかしリートに対してはリート本人を攻めるより、セリを責めた方が効き目があるとレントは考えていた。どうやらやはり、レントの読み通りの様だ。
セリに対しては、レントがダンス中に倒れた時に、レントの叔母リリをセリが責めた事にレントは不満を感じていた。リリはレントの作戦に巻き込まれただけだ。それなのにセリはリリを傷付ける言葉を投げ付けていた。
その時にリリを庇わずセリを窘めなかったリートも、レントから見たらセリと同じだ。
ただしレントもあの時に、リリを庇えてはいなかった。苦しくて言葉を出せなかったからだ。そしてそれをレントは後悔している。
取り敢えず、二人に感じていた鬱憤が少しは解消出来ていたので、レントはリートの言葉に素直に「はい」と頷いた。
そしてレントはベッドの上から、視線をドアの傍に立ったままのスルトに向ける。
これで運動が解禁される筈だとレントは考えた。
跡継ぎから外れれば、剣も乗馬もダンスも禁止し続ける理由がなくなる。
跡継ぎに残すとしても、この体を見て、このまま次期当主が務まるとは思わないだろう。そして体を鍛える方向の結論を出すに違いない。
そう考えると、クスリにマイナスイメージを付けてくれたコーカデス家の主治医に対して、レントは少し感謝を感じた。あれのお陰で、医師やクスリで解決する選択が採られ難くなっている。クスリの所為で苦しんだ甲斐があって良かった。
もしかしたら、スルトはこのままの方針を取り続けるかも知れない。確かにそれも無いとは言えない。
そうなったら根比べだ。
幸い、食欲がないので、食べないのには我慢はいらない。ベッドに寝っ転がったまま、勉強するのにも大分慣れた。
考える時間もたくさんあるし、現状のまま変化が起こせなくても、何か次の作戦を思いつくだろう。
今の状況に満足して、この後の展開にも前向きな気持ちになっているレントは、自然な笑みをスルトに向けた。




