封を開く
レントの父スルトがレントからの手紙を開けたのは、領都の邸に帰る直前になってからだった。
そして読んでいない手紙は一つだけではなかった。
視察先を転々とするスルトを追って、レントの祖父リートと祖母セリからも、複数の手紙がスルトの下に届いていた。しかしレントからの手紙を読んでいないのに、二人からの手紙を先に開ける気にはなれず、スルトはそれらもそのまま放置していたのだ。
さすがに邸に帰るのに、それらを読んで置かない訳にはいかない。
と言う事でスルトはまず、レントからの手紙を仕方なく開いた。
それの本文にはただ一行、跡取りを辞退致します、とだけ書かれていた。
辞退も何も、コーカデス家の跡取りはレントしかいない。当然辞退など許される筈がない。
大体その様な大切な話を手紙に書いて寄越すなどと言う事はあり得ないと、スルトはとても不愉快に思った。
しばらく相手をしてやってなかったから、構って欲しくてこんな手紙を書いたとでも言うのか?
そんな風に考えるスルトは、邸にいる時にレントから、会う時間を作って欲しいと頼まれていた事は、すっかり忘れていたのだ。
手紙を書いたレントの意図が分からないスルトは、リートとセリからの手紙も開けてみた。
そちらにはまず、レントが食事をベッドで摂り続けている事を心配する内容が書かれていた。ただし医師の診断結果では、健康は心配ないとも書かれている。
そしてスルトに、早目に邸に戻る事は出来ないかと、書かれていた。
スルトには、レントの健康に問題がないのに、なぜわざわざそれらを伝える手紙を両親が送って来たのか、その意図も分からなかった。
次の手紙は、レントがますます部屋から出て来なくなった事を心配する内容だった。そしてこちらにも、健康は心配ないとの医師の診断結果が書かれていた。
更にこちらもスルトに、早目に邸に帰って欲しいと書いてあった。
リートとセリからの手紙はどれも同じ様な内容だった。
スルトには、何度も同じ様な手紙を寄越して来た二人の意図が、ますます分からなくなった。
そして最後の一通には、レントがベッドから起き上がれなくなったとあった。しかし医師の診断結果ではやはり、命に別状はないとある。
そしてこれにも、スルトに早く帰って来て欲しいとあった。
取り敢えず、これから帰るところだから構わないな、とスルトは手紙の内容への対応に結論を付ける。
そしてその為、特に急ぐ事なく、必要な事を全て終えてから、視察を終わらせて領都を目指した。
スルトが邸に戻ると、使用人達は一様に不安そうな表情をスルトに向ける。
スルトに話し掛けようとする者もいたけれど、スルトはそれらを遮って、政務を熟す為に執務室に籠もった。
執務机の上には、視察中に積み上げられた書類の山がある。これらは次の視察に出る迄に、全てスルトが片付けなければならない。
スルトは視察の疲れを感じながらも、旅の汚れを落とす暇もなく、書類の山の整理を始めて、そして直ぐにそれに没頭した。
使用人がお茶を勧めるのも生返事で、お茶が冷めるままに、レントは執務に集中した。
そして、その集中を破ったのはセリだった。
「スルト!帰って来たのなら、なぜ声を掛けないの!」
執務室に入るなり、セリは叫んだ。
その後ろからリートも姿を現す。
「スルト、レントには会ったんだろうな?」
「いえ、まだ帰って来たばかりですから」
「仕事なんてしている場合じゃないでしょう!」
「何かあったのですか?」
「何かですって?!」
「手紙は読んでないのか?」
「読みましたけれど、レントですよね?健康には支障がない筈では?」
「いつの話をしているの?!」
「もしかしたらすれ違いになったか」
「なんの事ですか?」
「そんなのは良いから、レントの部屋に行きますよ!」
「いや、母上、少しお待ち下さい。まず指示を出してからではないと、執務が止まります」
「何を言っているのです!」
そう言ってセリは、椅子に座るスルトの腕を掴んだ。
スルトの反対の腕をリートが掴み、スルトの体を持ち上げる。
「執務は後だ、スルト。まずはレントの所に行くぞ」
スルトは二人に挟まれて、執務室を後にした。
レントの部屋に着くまでに、スルトはリートとセリに説明を求めた。
「一体、どうしたと言うのです?」
「レントが起き上がれないのよ」
「はあ。レントは今度は何をしたのですか?」
スルトの頭には、ダンス練習の所為で寝込んだレントの話が浮かんでいた。
「レントは食事もろくに摂らないの」
ダンス練習を止めさせたなら、運動量が落ちるから食事量も減るだろう、とスルトは考えた。
そう言えば、とスルトは思い出す。
幼い頃に自分が具合を悪くした時に、この二人は見にも来なかったけれど、自分の祖父母は心配してくれたな、と。
孫と言う存在は可愛いらしいから、この二人もレントの事には大袈裟に騒ぐと言う事か。スルトはその結論に達して、二人に押される様に歩きながら溜息を吐いた。
そして二人に急かされながら、スルトはレントの寝室に入る。
そこにはベッドの上に横たわる、骨の浮いた顔と手の、痩せこけたレントの姿があった。




