21 パノの報告
貴族や裕福な人がこっそりと使う店に、リリは呼び出されていた。
約束の時間を過ぎてお代わりとして淹れられたお茶が冷めた頃に、やっとパノが姿を見せた。
「ゴメン!お待たせ!」
「いいえ」
椅子から立ち上がったリリに、パノは抱き付いた。
「それにこんな所に呼び出したりしてゴメン!」
「こんな所なんて言って、お店の人に聞こえるわよ?それに仕方ないわよ。学院でも話す時間が取れないし。忙しいのでしょう?交際」
交際ごっこと言いそうになった言葉を切って、リリはそれを飲み込んだ。
「そうなのよ。朝もお昼も放課後も、そっちに時間を取られてちゃって」
取られてだなんてまるで自分は望んで無いみたい。そう言いそうになってまた口を噤む。
今までならパノ相手にはそれくらいの軽口は言っていた。きっと今もパノはその言葉を責めたりせず、小さく苦笑しながらそれらしい言い訳を言ってくれるだろう。
けれどもその遣り取りをする事が、今のリリには難しい。
それでも口にしてしまった時と変わらないくらいに、リリの気持ちはささくれた。
「取り敢えず座りましょう」
「そうね。今日は私がリリにご馳走するから、好きな物を頼んで」
「あら。それなら言っておいてくれれば、行きたいお店があったのに」
「ふふ。今日は内緒話があるから、そのお店はまた今度ね。もちろんそちらでもご馳走するわ」
「気前が良過ぎて、パノの話を聞くのが怖いわね。でもきっと、怖がった分も遠慮なく奢って貰った方が良い話なのよね?」
「さあどうかな?でも、店選びとか注文する品とかは、是非お手柔らかに」
「それはパノの話次第ね」
「ふふふ。私の方が怖くなってきたわよ」
料理や飲み物が運ばれて、給仕が部屋から下がる。リリとパノの従者も別室で待機させられた。
室内に二人きりになるのを待って、パノが話を切り出す。
「まだ、リリのご家族にも伝えないで欲しい話をしたいのだけれど、構わない?」
この時点で、何の話かリリには分かった。いや、パノからこの店への招待を受け取った時から、分かってはいたのだ。
「ええ。誰にも言わないわ」
「ありがとう。実は私、婚約する事になったの」
「そうなのね。おめでとう」
リリはパノに、用意していた笑顔を向けた。
「ありがとう!まだこれから国に承認申請をするから、正式にはもう少し掛かるのだけれど、でもリリには一番に知らせたくて」
「嬉しいわ。お相手は交際していた方?」
「そうなのよ!彼の事って、リリにはどれくらい話していたっけ?」
「全然よ」
「え?そうだった?」
「パノったら直ぐにお相手に夢中になって、私の事なんてあなたの頭から追い出されたと思っていたわ」
「そんな、ゴメンてば。拗ねないでよリリ」
「拗ねたくもなるわよ。私、パノの口からはお相手の名前も聞いてないのよ?」
「え?うそ?ほんと?」
「ええ。だって交際を始めた事さえ、あなたからは教えて貰ってないんだもの」
「うわあ、ゴメン!ほんとゴメン!色々あって、言いそびれていたのよ」
「分かっているわ。その代わり奢りは覚悟してね?」
「うわあ、高く付きそう」
「友人を放っておいたのだから、自業自得でしょう?でも、今からでも良いから、お相手の事を教えてくれれば、少しは手加減するわよ?」
「教える教える!何でも訊いて!」
「それなら、まずは交際の切っ掛けからね」
「交際の切っ掛けは、恥ずかしいけれど彼からで」
パノの話を微笑んで聞きながら、リリの気持ちは沈んで行く。
本当は今日、リリはパノと縁を切る覚悟で来た。
けれどパノの顔を見たら、からかうのが精々だった。
パノから手を離したら、リリの本音を見てくれる相手がいなくなってしまう。
別にこれまでもお互いに本音を語った事はないし、これからもないだろう。それでもパノはリリの気持ちを良く理解してくれていたし、リリも今日何故喚ばれたのか気付く程度にはパノを分かっていた。
他に最近顔を合わせる機会が増えた人はいるけれど、パノとの様な関係にはなれそうもない。
その人達とは二人きりで会ったりはしないだろう。そんな事をしたら、何かの企みに巻き込まれそうな、そんな相手しかいない。
だけど、パノの話を聞くのは止めておけば良かったと、リリは思った。
何か今後の自分の糧になるものの手掛かりを掴めるかと思ったけれど、パノの口からは惚気しか出て来ない。
リリの知っているパノが、こんなに惚気ばかり一方的に続ける訳はなかった。
この調子だと、別の店での奢りは辞退したくなる。
でも今日も、パノの顔を見た瞬間は気持ちが浮き上がったから、その日になればパノに会う為に出向いてしまうかも知れない。
あるいはパノは更に忙しくなるだろうから、そんな機会は訪れないかも知れない。婚約したら結婚準備の為に学院をやめる人もいると言うから、顔を見る事もなくなるかも知れない。
嬉しそうなパノの顔を見ながら、交際ごっことか言わなくて良かったと、リリは思った。
もし口にしていたら、自分がどれ程惨めだった事か。
自分を憐れんで泣かずに済みそうなのは、リリにとっては嬉しい事だった。




