02 摺り合わせ
バルがカフェに到着すると、ラーラが入口に立って待っていた。
「ごめん、お待たせ」
「いいえ。わたくしも来たところで御座います」
「席を予約してあるから、行こう」
「はい」
学院の食堂にもカフェにも、予約を取って座る席がある。
ただし暗黙の了解として、予約を取って良いのは高位貴族の子息令嬢か生徒会や委員会の役員だけとされている。
一段高い位置に設けられているカフェの予約席は、席毎に区切られて建てられている。テーブルの上に置いた資料等は覗き見される事はないし、小声で話せば会話も漏れない。ただし下の一般席からはガラス越しに様子が見えるので、いかがわしい事には向かない作りにはなっている。
バル・コードナ侯爵令息がリリ・コーカデス侯爵令嬢にアプローチしている事は、貴族社会でも学院でも有名だった。
そのバルが女性を先導している。しかも相手はリリではない。
カフェにいる学生達は、好奇の視線をバルとラーラに向けていた。
給仕が下がると、お茶とケーキに口を付ける様にバルはラーラに勧めた。ケーキはバルお薦めの逸品だ。
二人ともお茶に一口付けた所で、バルが話を切り出した。
「まず、今朝はごめん。いきなり手を握ったりして、申し訳なかった」
「いいえ。直ぐに放して頂きましたので、問題は御座いません。コードナ様のお気に留めて頂く程の事柄では御座いませんので」
「いいや、気にする。ソウサさんに交際を受け入れて貰って、とても嬉しかったんだ。だからと言って軽率だった。謝罪する」
「分かりました。謝罪をお受け致します。謝罪して下さって、有難う御座います」
「あ、いや。こちらこそ、ありがとう」
微笑んだラーラに、バルもぎこちない微笑みを返した。
「ところで、本当に交際して貰えるのかな?」
「それに付いて、何点か確認させて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ、もちろん。何でも訊いて」
「有難う御座います。それではお尋ね致します。コードナ様には婚約者はいらっしゃらないので御座いますね?」
「もちろんだよ」
「有難う御座います。次に、交際と仰いましたけれど、わたくしとはどの様な関係をお望みなのでしょうか?」
「どの様なって、普通に独身男女の交際関係だけれど?」
「では、その普通とは何かを確認させて頂きます。コードナ様とわたくしでは身分が違います。普通に考えますと結婚は出来ませんので、ボーイフレンドとガールフレンドの関係と考えましたが、合っておりますでしょうか?」
「え?その関係って、どんな関係?」
「例えば、休みの日にはデートをしたり、誕生日にはお互いにプレゼントをしたり、パーティーに二人で参加して、ダンスの1曲目を共に踊る様なイメージで御座います」
「それって、婚約者じゃなくて?」
「はい。婚約者ではなく、婚約者も配偶者も恋人もいない者同士の、異性としての友人で御座います。手を繋いだりも致しません」
「え?手も繋がないの?ダンスはするのに?」
「ダンスは家族でも婚約者でも恋人でもない方とも踊りますけれど、手を繋いだりするのは家族か婚約者か恋人だけでは御座いませんか?その点は貴族の方々も平民も変わりは御座いませんので」
貴族と平民では恋人の意味が異なるけれど、ラーラはそれを分かっていて発言していた。
平民の言う恋人は独身同士の恋愛相手を示す。
しかし貴族にとっての恋人は、配偶者に許可を得た恋愛相手を指す。恋人なら社交の場に連れ立つ事も出来る。だが、貴族が隠して愛人を囲う事はあっても、恋人を持つ事は滅多になかった。自分の配偶者の自分以外の人間に向けられる恋を認めるなど、特殊な状況にでも置かれていなければ、普通は有り得ない。
独身の場合、貴族は恋人を持つ事が出来ず、婚約者以外と恋愛関係になる事は許されない。好きな相手が出来たなら、関係を持つ前に家を通して婚約をする。婚約できなければ、その恋は諦めるだけだ。
バルはリリを諦める積もりがなかったので、コーカデス侯爵家への婚約の打診を祖父のコードナ侯爵に頼んではいなかった。
「だから交際はするけれど友人か」
「はい。結婚をしない前提なのでしたら、その様な関係が望ましいのでは御座いませんか?」
「手も繋げない?」
「はい」
「肩も抱けない?」
「はい。もちろん腰もで御座います」
「エスコートする時は腕を組んだり、ダンスの時は背中に手を回すスタイルもあるけれど?」
「はい。人の目がある所で、マナーや社交等の必要がある場合だけ、最低限の身体の接触をする感じで御座いますね」
「う~ん、思っているのと違うんだけれど」
ラーラは「ふふ」と小さく笑った。
「練習としては妥当なのでは御座いませんか?」
「練習?」
「はい。コードナ様には意中の方がいらっしゃるのでは御座いませんか?」
「リリ・コーカデス侯爵令嬢の事?」
「はい。コードナ様とわたくしが親しくなり過ぎますと、コードナ様がその方と心を通わせた時に、不和の種になりかねません」
「う~ん、それはそうかも知れないけれど」
「わたくしも今は婚約者などはおりませんが、そう言う男性が出来た時にヤキモチを焼かれても困ります。ですのでコードナ様かわたくしのどちらかに婚約者などの立場の方が現れるまで、その練習としてお付き合いするのはいかがで御座いましょう?」
「ソウサさんは今朝、咄嗟にそこまで考えて俺の申し込みを受け入れたの?」
「いいえ。しかし以前から、男女交際の練習は是非行いたいと考えてはおりました」
「そうなの?」
「はい。わたくしには兄がおりまして、尊敬はしておりますが、兄達の様な男性とは結婚出来る気が致しません。ですので一般的な男性とはどの様なものなのか、知りたいと考えておりました」
「お兄さん達ってどんな欠点があるの?なんて、こんな事は訊いて良いかな?」
「はい。兄達はわたくしに甘いのです」
「え?それが欠点?」
「はい。婚約者や恋人よりもわたくしを優先する時が御座いまして、兄と婚約者との関係が拗れて危機的状況に陥った事が御座います。コードナ様とお付き合いさせて頂く事になれば、わたくしは兄達よりコードナ様を優先致しますので、兄達の練習にもなるかと思うので御座います」
「妹離れの練習?」
「はい。それと父の娘離れの練習にも」
バルは思わず笑った。
「なるほどな。確かにソウサさんの思惑通りに、練習になりそうだ。父君やお兄さん達には恨まれそうだけれどね」
「家族にもお付き合いの練習なのだと伝えます。コードナ様にご迷惑を掛ける様な事はさせません」
「そうだね。練習と分かっていても、心情的には揺さぶられるだろうな。本番に向けての良い練習になりそうだ」
二人はお互いに笑顔を交わした。
付き合う為の条件をその後も話し合って摺り合わせる。二人とも楽しく充実した時間を過ごしたと感じていた。
バルは「妹ってこんな感じなのかな」とラーラに対して思い、ラーラは「弟ってこんな感じなのかしら」とバルに対して思っていた。
思いは似ているのにお互いへの認識はすれ違っていたけれど、出会った初日にしては好感を抱いた事をお互いに自覚した。