図書室奥の資料室
貴族としての教養を習う為にコーハナル侯爵邸に向かう馬車の中、ミリはパノとの距離がいつもより近いと感じていた。
昨夜はあの後直ぐに、パノはミリの客室から退室した。
今朝のパノは、普段通りにミリに接していた。
それなのに馬車の中のパノは、少しミリに、甘えているのは違うかも知れないけれど、ベタベタとまではいかないけれど、接し方に糖分が含まれている様にミリには思えた。
それは元王女チリン・コーハナルのミリへの接し方に似ていて、それなので警戒から来る少しの緊張をミリは感じている。
パノのミリへの接し方は、種類としては猫好きが猫を構う時のものだった。そしてパノをミリは、猫の様に警戒しているのだった。
ちなみに、今朝はバルもラーラも寝坊をしなかった。
コーハナル侯爵邸では、パノの祖母ピナと共に、パノの弟スディオがミリを出迎えた。
「ミリ、おはよう」
「おはようございます、お養祖母様。本日もご指導をお願いいたします」
「いらっしゃい、ミリ。久し振りだね」
「ご無沙汰しています、スディオ兄様」
「少し見ない間に、背が伸びたね」
背が伸びたは褒め言葉かな?とミリは考える。ミリの年頃なら背が伸びても不思議はないのだから、事実確認だとミリは判断した。
「はい。スディオ兄様はお変わりなさそうで、安心しました」
「ありがとう。領地に行った父上程は忙しくないからね」
スディオが「ありがとう」と言ったのは「変わりなさそう」が褒め言葉だった?とミリは戸惑う。いいえ、「安心しました」と言ったから、心配した事に対してのありがとうだった筈、とミリは考え直した。
ピナがパノに声を掛ける。
「パノ」
「はい、お祖母様」
「午前中はスディオと一緒に、ミリに話があります」
「それは私が聞いても構いませんか?」
「ええ。聞きたいのならどうぞ。ミリ」
「はい、お養祖母様」
「午前中の礼儀作法と社交事情共有は中止します。いつもと違う部屋で話をしますので、付いていらっしゃい」
「はい、お養祖母様」
ピナの後を付いて行こうとするミリに、スディオが手を差し出す。
「エスコートするよ」
「ありがとうございます、スディオ兄様」
ミリは微笑んで、スディオに指を預けた。
4人は図書室の奥の資料室に入る。
「ミリがここに入るには、立会が必要です。パノが一緒の時は良いけれど、そうでなければ私かスディオと一緒に入る様になさい」
「はい、お養祖母様」
「お祖母様?私はここに入った事がありません。置かれている書籍に付いて、ミリに説明はできませんけれど?」
「姉上、大丈夫ですよ。私も出来ないですから」
「いえ、スディオ。それではダメでしょう?」
「ミリ、パノ、スディオ。ミリが見て良いのはこの棚の資料です。ミリ」
「はい、お養祖母様」
「他の棚の資料は見ない様に」
「はい、お養祖母様。この見ても良い棚の資料には、何が書かれているのですか?」
「先代コーハナル侯爵、あなたのお養祖父様が残した調査資料です」
ミリは昨日、コードナ侯爵邸で曾祖母デドラに贈られた、先代コードナ侯爵ゴバの調査資料を思い出す。
「なんの調査の資料ですか?」
「王宮の資料の写しが中心です。あなたの母ラーラの誘拐事件前後の、人やお金の動きに付いてとの事です」
「お養祖母様はご覧になったのですか?」
「少しだけ見ました」
「私も少し見ましたけれど、お祖父様が何を狙って集めた資料なのか、意図が分からないんですよね」
スディオが資料を一冊、手で捲りながらそう言った。その横でパノもパラパラと資料を捲っている。
「お祖父様は資料をミリに渡す様にと遺言しました。しかし、何を目的に調べていたのかなどは残していません。ミリ」
「はい、お養祖母様」
「他の人の目に触れるとよろしくないかも知れません。資料を読むならこの部屋でなさい。あなたが不要だと判断したら、その時はその資料をコーハナル家で処分しますから、言いなさい」
「はい、お養祖母様」
「取り敢えず、どの様な資料が遺されているのか、今日の午前中を使って一通り確認なさい」
「はい」
「次回以降は普通に授業を行いますから、資料を読むなら別途、時間を作る様に」
「はい」
「では私は出ています。昼餐は呼びに来させますけれど、図書室側にはお茶や軽食の用意もさせておきますので、休憩するならそちらを使いなさい」
「はい、お養祖母様。ありがとうございます」
そう言うとミリはパノに礼を取った。
昼餐会はいつもの通り行われた。
ミリは資料の話が出るかと構えていたけれど、それは話題に上らなかった。
芸術・美術論の授業もいつもの通り。
お茶の時間になり、いつものパノとピナとスディオの妻のチリンが参加し、いつもは参加するパノとスディオの母のナンテの代わりに、本日はスディオが加わった。
そして何故かチリンが言い出して、ミリの恋愛観が話題に上がった。
バルとラーラに説明した様な内容を一通りミリが説明すると、チリンがミリに質問を投げ掛ける。
「そうすると、男性は一生に一人の女性しか愛さないと、言う事なのかしら?」
「一度には一人ですけれど、愛する相手を変えて行く事はあります」
「一人ではないのね?それでも一度には一人なの?」
「そうですね。次の女性の事が気になり始めたとしたら、男性の愛はその時点で既に、次の女性に移っていますので」
そう言うとチリンはチラリとスディオを見た。
スディオはチリンの視線に気付いたけれど、反応はしない。
「ですが、平民の場合の話です」
ミリは言い訳の様にそう言った。
それはスディオを助けると言うよりは、この場を救う為だ。放って置けば、自分も巻き込まれるかも知れない。




