知っているのを知られたら
朝。
ミリが出掛ける為に玄関に向かうと、廊下でパノと行き会った。
「ミリ!」
パノは両腕を広げ、ミリに抱き付く。
「え?パノ姉様?コーハナル侯爵邸に泊まったのではなかったの?」
「連絡を受けて、直ぐに帰って来たのよ」
そう言ってパノは束縛を解き、ミリの両頬を両手で包んだ。
「知っていたのですって?」
パノの勢いに飲まれ掛かっていたミリは、一拍置いて「ええ」と答える。そのミリをまたパノは抱き締めた。
「良く頑張ったわね」
パノのその言葉が何に対してなのか思い当たらず、ミリは首を傾げたいけれど、パノの腕で頭が固定されていてそうもいかない。はいもいいえも、抱き締められているから声に出来なかった。
パノが束縛をまた少し緩める。
「今のは褒めたのよ?」
そう言うとパノはまたミリを抱き締めた。
その話も伝わっているのかと思いながら、ミリもパノの背中に手を回して、返事の代わりに抱き締め返す。
モゾモゾするミリに、ハッと我に返ったパノが腕の力を緩める。ミリはハッと息を吸い、ゆっくりと吐いた。
「ゴメンね?大丈夫?」
「ええ。大丈夫です」
「今日はこれからデドラ様の授業を受けに、コードナ侯爵邸に向かうのよね?」
「はい」
「帰って来たら時間をちょうだい。良い?」
「もちろんですけれど、何かありましたか?」
ミリの頭には、パサンドと関係のあったメイドの件が浮かぶ。けれどソウサ商会やミリの祖父ダンから、そんなに早く報告が届く筈はないと考えた。
「何かじゃなくて、今までミリに伝えられなかった事が色々とあるじゃない?」
「はい。ですけれど、私はかなりの範囲を既に知っていますけれど?」
「そうらしいわね。でも、私から見た事実は、私の口からミリに伝えたいわ。それに事実を伝えるだけではなく、ミリに謝罪もしたいし」
謝罪と言われると、ミリが生まれた事が誤りだと指摘されている様で、ミリは少しモヤッとする。けれど会話を通してパノの認識を改めて貰えば良いかと判断して、ミリは「分かりました」と肯いた。
「ありがとう。引き留めてゴメンね。行ってらっしゃい」
「はい。行って参ります」
パノはミリの体を放すと、手を振って「気を付けて」と言いながらミリから離れて廊下を進んで行く。
ミリはパノがバルとラーラの所に向かうのだろうかと思い付いて、声を掛けようとしたけれど、思い留まった。
今朝はまだ、バルとラーラは起きて来ておらず、ミリは二人と顔を合わせないまま出掛ける事になった。いまパノが二人に会いに行っても、まだ起きていないかも知れない。
その説明を自分の口からする事は、ミリには憚れた。
昨日、バルとラーラを焚き付けた自覚がミリにはあるけれど、二人が昨夜のあの後どうなったのか、ミリは一緒には寝ていないので分からない。
昨日の事情を大まかに知っている使用人達も、気を利かせて、朝になっても寝室を覗いていないので、ミリの手元には何も情報がなかった。
さすがにパノが二人の寝室に突撃する事は無いだろうから、まあ良いか、とミリは納得する事にしておいた。
実際にはバルもラーラも、昨日のミリとの遣り取りで色々と頭を悩ませていたし、何年か振りの二人きりの夜にも緊張していたので、明け方まで眠れなかっただけの寝坊だった。
だから誰かが二人を起こすべきだったのだけれど、誰も起こさなかった事で、この後二人は周囲の誤解を解くために、必要以上の言い訳を口にする事になる。
そして二人とも、「ミリが一緒に寝ていたら、こんな事にはならなかったのに」と思う事になるのだ。
ミリがコードナ侯爵邸に着くと、コードナ侯爵夫妻である、血縁はない父方の祖父ガダと祖母リルデが、車寄せで出迎えた。
「いらっしゃい、ミリ」
直ぐにリルデが声を掛けたので、ミリは慌てて馬車を降りて礼を取る。
「おはようございます、お祖母様、お祖父様」
「おはよう、ミリ」
そう言うとガダは歩み寄って、ミリを抱き上げた。リルデは腕を伸ばして、ミリの頭を撫でる。
「あなた。ミリを独り占めしないで下さいよ?」
「分かっているよ」
そう答えてガダはミリのお尻を自分の腕に載せたまま、ミリの上半身をリルデの胸に寄り掛からせた。
リルデは両腕でミリの体を包む。
「ミリ」
「はい、お祖母様」
「色々と知っていたのですってね?」
「はい」
「ミリ?」
「はい、お祖母様」
「何があろうと、あなたは私の孫ですからね?」
「・・・はい」
リルデの言葉に「ありがとう」と返すのは違うかも知れないと考えて、ミリの返事は1テンポ遅れた。
「私もだよ、ミリ。私も君の祖父だからね」
片腕にミリを載せたまま片手で頭を撫でながらそう言うガダに、ミリは同じく「はい」と返事をした。
ガダとリルデには、女の子の孫はミリしかいない。
二人と血が繋がっている孫は今のところ男の子しかおらず、皆、領地で両親と暮らしている。その孫達には年に数度も会えない。ミリの従弟のジゴ・コードナも、サニン王子の友達を探す会が終わったら、領地に帰ってしまっている。
それなので、孫で唯一の女の子だし頻繁に顔を合わせられるミリは、ガダに可愛がられていた。
それがリルデは少し面白くない。ラーラがミリを産む事に自分は賛成していたけれど、ガダは反対していたのに、とリルデは思っている。ガダがミリに甘い事にヤキモチを焼いているのも、ほんの少しはあった。
ガダとリルデに手を繋がれてコードナ侯爵邸の離れに向かうと、いつも勉強に使っている居室で、曾祖母デドラが待っていた。
ミリはガダとリルデに手を放して貰い、デドラの傍まで進んで礼を取る。
「おはようございます、曾お祖母様。本日もご指導をお願いいたします」
「おはようございます、ミリ。今日は場所を変えますので、付いて来て下さい」
「はい」
たまに本邸の資料室での授業になる事もあるけれど、その場合は大抵難しい課題が提示されるので、ミリは心の準備をした。




