二つの寝室
ミリを追い掛けようとしたバルとラーラは、しかし寝室に留まった。
バルもラーラも二人とも、二人だけで話す必要があると考えていた。それに今日ミリから色々と聞いた話で、思うところもあった。
つまり二人とも、二人だけで寝るのは吝かではなかった。
ミリは使用人に一番小さな客室を調えて貰った。
昨日まで使っていた物に比べて、半分ほどの大きさのベッドの上に載る。
その上に横になって目を瞑った。
今日は色々な事があった。
港町で、友人である船員達がケンカをしていたのを仲裁した。
誤解から始まったケンカだった。
放って置いても港町の自警団が収めてくれたかも知れない。けれど力任せに両者を分かれさせる自警団の仲裁では、今日ミリが誤解を解いた様に、船員達が仲良くなったりはしなかったかも知れない。
あの後、大丈夫だったかな?とミリは思う。多分一緒に、お酒を飲みに行ったのではないかな?そこでまた、ケンカになってなければ良いけれど。自分はお酒を飲む訳にはいかないけれど、同席出来たら心配せずに済んだのだろうな。
パサンドに会った事もミリは思い出す。
あのブローチはなんだったんだろう?最初に言っていた見せたい物もなんだったんだろう?
パサンドに関係のあったメイドは、どうなるのだろうとミリは考えた。
勤め先の情報を流していたと言う事は、流した情報次第では、本当に解雇になるだろう。情報を流す事が目的でメイドになっていたのなら犯罪だし、メイドを紹介したパサンドも罪に問われる。間に入って仲介した形のソウサ商会も、責任が問われるだろう。
そんな大事ではなく、好みを教えるくらいなら良いけれど、とミリは思った。なにせラーラもバルもそしてパノも、もちろんミリも、パサンドから直接何かを買った事はなかったからだ。パサンドに利益が発生していなければ、罪は軽くて済むとミリは考えている。
罪にはならない様な事しか伝えていなければ良いのに、とメイドの行く末を心配してミリは思った。
そして何と言っても今日は、ミリがバルと血が繋がっていないと言う事に付いて、既にミリが知っていたとバルとラーラに伝える事が出来た。
それが出来たから、バルにもラーラにも、今まで口に出来なかった感謝を伝える事が出来た。
ラーラは汚れていないし罪もないと言えたのも、ミリが自分の出自を知っている事をバルとラーラに伝えられたからだ。
バルとラーラも夫婦として、心も体も近付くかも知れない。それを二人に意識させる事も出来たとミリは思う。
そして、今日からミリは一人で寝る。
ミリがバルとラーラの為になると思っている事で今、切る事が出来る最後の手札だ。
ラーラはバルを怖くないと言っていた。特別だとも言っていた。
ラーラがバルに触れさせない理由も明らかにしたし、その原因の汚れや罪が存在しない事も説明できた。
いきなり二人の距離が近付く事はないかも知れない。けれど寝室に二人きりなら、たまにミリが寝てから行っていたらしい夜の二人きりでの会話も、時間を長く取れるし、毎日出来るだろう。
ミリは自分を褒めた。
二人を傷付けるかも知れないとの不安もあったけれど、それに負けずに良く頑張った。
根気強く説得をして、やりきったのは偉かった。
「今日の私は最高だった」
そう小さく声に出してミリは、ベッドの上で手足を広げて大きく伸ばした。
ミリがバルと血が繋がっていない事を知っていた件に付いては、バルも手紙を書いていたし、明日には関係者に広まるだろう。
バルとラーラの二人を相手にするだけでも今日は大変だったのだから、明日からもしばらくは大変な事が続くかも知れない。
ミリが知っている事をバルとラーラに告げる事は、ミリはこれまで何回もシミュレートして来た。しかし他の人達とその話をする事は、今まで想像する事がなかった。
親族や関係者達の顔を思い浮かべ、どんな反応や態度を取って来るか、一人一人に対して想像してみる。
ふと、レント・コーカデスの顔が浮かんだ。
レントは別に、今日の事の切っ掛けになる様な何かをミリに、与えたり伝えたりした訳ではない。
けれどもミリは、レントに会わなければ、バルとラーラに自分の出自を知っている事に付いて、今日も伝えられなかった気がした。
レントの存在は前から知っていた。
コーカデス家との因縁は直接聞いた事はないけれど、拾い集めた話から、何があったのかをミリは知っていた。
それでもレントには、特に何も思っていなかった。
しかし実際に会ってみて、当たり前だけれど、レントも色々な柵みの作る様々な関係性の下で育って来ていて、そして自分の考えを持っている子供だった。
ただの子供だった。貴族の子だった。しっかりと躾けられていた。周りを良く見ていた。自分の尺度を持っていた。持っていない物も色々とありそうだった。これから手に入れるのかも知れない。でも今は、ただの子供だった。
自分と変わらなかった。他の子より、自分に似ていた。生まれた状況も育った環境も今の立場も垣間見えた考え方も似ていないけれど、何かが似ていた。
ミリは自分のレントに対しての関心が、好意ではなくは注意だと結論している。
好意もなくはないけれど、それは他の貴族の子に比べたらだ。
もう会う事は無い筈だけれど、これからも油断をしてはいけない相手だと言う気がしている。
ミリは今日は、港町を歩き回ったから体が疲れていた。色々な遣り取りがあった上に人生に影響する濃い話もあったので、頭もとても疲れていた。けれど、なかなか寝付けなかった。
体は疲れているけれど、今夜のベッドに慣れていないからかも知れない。頭は疲れているけど、心の興奮が醒めないからかも知れない。
ミリは無理に寝ようとはせずに、レントと自分の何が似ているのか、何故注意が必要だと感じるのか、それらを探る手掛かりにする為に、疲れてフワフワする頭で、レントとの遣り取りに付いて、眠るまで、取り留めもなく、思い出したり考えたりした。
バルとラーラは並んでベッドに腰を下ろしていた。
間隔はいつもの、間にミリが座れる距離だ。
ただしバルの手の上にラーラが手を被せて、指は絡めていた。
ミリが寝室を出て行ってから、二人の間には会話はなく、どちらからともなくベッドに座り、どちらからともなく手を伸ばして繋いだ。
ラーラが意を決めて、バルの指先を握る手に力を込めた。
「バル」
そう呼び掛けて先に立つと、ラーラはバルの手を引いた。
それに応えてバルも立ち上がる。
ラーラはバルに後を向かせると、その背中にそっと両手を置いた。
「ラーラ」
バルのその声には応えずにラーラは、バルの背中に額を軽く付け、指先でバルの背中から肩を通して腕までなぞり、バルの後からゆっくりと前に自分の腕を回して、バルの体を恐る恐るラーラの体で包んだ。
バルはラーラの動きを邪魔しない様に、ただ真っ直ぐに立っていた。
二人はまだ、新たな一歩を踏み出した訳ではない。
それどころか、新たなスタート地点に立ったのかも怪しい。
ただ以前、二人が辿り着いた事のある懐かしいゴールの上に、再び立つ事は出来ていた。




