荒療治
両親の惚気ている姿など、子供にとっては特別なものではないのかも知れない。
惚気話が好きな人は両親のでも喜んで聞くだろう。嫌いな人は両親のも嫌いな筈だ。もちろん惚気話に限らず両親の話は聞かない人もいるだろうし、惚気話は嫌いだけれど両親のだけは例外な人がいてもおかしくはないけれど。
ミリは惚気話に興味が無かったので、バルとラーラがどっちが先に好きになったかイチャイチャしながら言い合っているのを見ても、それ自体には興味がなかった。
もちろん二人には仲良くして欲しい。
しかし今は、バルとラーラがイチャイチャする事で、この後の話をし易く出来そうな予想の方が、ミリの関心を引いている。
バルとラーラはイチャイチャしているとは言っても、触れ合いは手を重ねているだけだ。
ラーラはバルの背中からなら抱き付く事が出来た。今もそうしたい気持ちが膨れて来ている。
けれどミリを妊娠してお腹が目立って来てからは、バルの背中に抱き付いてはいなかった。ミリを産んで、体形が戻ってからも一度もだ。
バルに抱き付く事を再開するには、ラーラは切っ掛けが掴めていなかった。
ラーラが徐々に膨れる欲求に目を潤ませ頬を染めて行くのを見て、バルは愛しさを募らせていた。
バルは触れたいと、ラーラは触れらるのは嫌ではないと口にしてしまった事で、自分に禁じた気持ちが心の中に残っている事に付いて、二人とも思い出させられていた。
出会った頃の事やその後の交際時の事を思い出したのも、当時の気持ちを蘇らせていた。
ミリは男女の営みに付いては、言葉でしか理解していない。まだ子供だし。
だからバルとラーラの心の底の情動なんて、ミリには理解出来てはいなかった。
けれど目の前の両親を見て、二人がお互いの事しか目に入らず、お互いの事しか頭に浮かんでいないのは、ミリにも良く分かった。
そしてそれが同じ愛と言う言葉で語られていても、バルとラーラがミリに向けて愛していると言う時とは違う感情である事が、ミリには容易に推測できた。
普段のバルはミリとラーラに同じ愛を向けている。普段のラーラもやはりミリとバルに同じ愛を向けていた。ラーラはもしかしたら、ガロンとマイにも同じ愛を向けていたのかもしれない。
しかし今のバルとラーラがお互いに対して向けているのは、明らかにそれらとは異質のものだと、ミリは感じていた。
「お父様とお母様は出会った直後からお互いに好意を持ち、交際中に気持ちを高め、やがてお互いを愛していると自覚した、と言う事ですね?」
ミリのまとめにバルとラーラは、お互いを見詰めたまま肯いた。
「そうね」
「そうだね」
お互いを見詰め、お互いの事しか頭になかったけれど、ミリの声は二人に届いた模様だ。
「お父様?」
「なんだい?」
バルがミリに顔を向けると、釣られた様にラーラもミリを見た。
「私は弟妹が欲しいと言いましたが、それはお父様とお母様に本当の夫婦になって頂きたいからです。弟妹は実はオマケです」
「・・・ミリ」
ミリはバルに向けて語っているけれど、もちろんラーラにも聞かせている積もりだ。
「貴族の場合、政略結婚が普通にありますし、平民でも裕福な家や大商会を営む家では同じ様です」
「うん?まあ、そうだね」
「それでも夫婦が男女の営みを通して築く、絆もあると私は知っています」
それは曾祖母デドラ・コードナや、養祖母ピナ・コーカデスが亡き夫の事を話す様子からも、ミリは感じていた。
祖父母ガダ・コードナとリルデ・コードナや、パノの両親ラーダ・コーハナルとナンテ・コーハナルを見ても、やはり家族の他のメンバーに対してとは違う、二人の結び付きの様なものをミリは感じる。スディオ・コーハナルとチリン・コーハナルの若い夫婦を見てもだ。
そしてそれは、自分の両親からはミリは感じられていなかった。バルとラーラはどう見ても、付き合い始めたばかりでまだ恋人にもなりきっていないカップルにしか、ミリには見えない。
「それなので私はこれから、お母様を説得して、お母様が汚れてなどいない事に、納得して貰おうと思います」
「それなのでって」
「ミリ・・・」
「・・・そうか」
「バル・・・」
ラーラは二人の表情を見比べる様に、不安気な瞳で視線を揺らす。
「ですのでお父様は私の言葉に不満を感じても、しばらくの間は意見を控えて頂けませんか?」
「ミリ!お父様に対してなんて事を言うの!」
「ミリ。それは私の意見が邪魔だと言っているのかい?」
「はい」
「ミリ!」
ミリはラーラの声を取り上げずに、バルに向けて続ける。
「お父様とお母様の今のお二人の距離感は、お二人で築いたものです。私はそれを壊そうとしていますので、説得を受けるお母様だけではなく、その関係を一緒に支えるお父様にも、受け入れ難く感じるかも知れません」
「ミリ!」
「・・・そうか・・・分かったよ」
「バル、ダメよ」
「ラーラ、大丈夫だよ」
「バルは私よりミリの味方をするの?」
「もちろん、ラーラの味方だよ。ミリ?」
「はい、お父様」
「ミリの話が済んでからなら、私が反論しても構わないね?」
「もちろんです、お父様」
「分かったよ。ね?ラーラ。だから、大丈夫だから」
「バル・・・」
「一旦、ミリの話を聞いてみようじゃないか?」
「バルにはミリが何を言い出すか分かっているの?」
「いや、全く分からないけれど、ラーラは分かるのかい?」
「・・・いいえ」
バルは今まで口に出来なかった事柄が、今日幾つもラーラとミリの前で言葉に出来た事で、気持ちが軽くなっていた。
バルは自分もミリに説得されたと感じていたけれど、それは悪くない気分だった。
それなので、ミリがラーラを説得するというのも、歓迎すべき事かも知れないと考え始めている。
しかしラーラには悪い予感しかなかった。
ミリに思わず心情の一部を吐露させられたりしたけれど、それは辛い記憶を刺激するものでもあった。
そしてバルとラーラの距離感は、ラーラの心の傷を根拠にして築かれている。
それを取り去ろうなんて、それが例え距離を縮めるだけでも、ラーラには恐怖を感じさせる出来事だ。
だがその恐怖は、辱められた過去に因るものではなかった。それは今日まで距離を保って来た意味、あるいは諦め、もしくは努力を無に帰される事に因るものだった。
しかしミリはそんな事にはお構いない。
意味を取り違えていたら結論も間違えるし、間違った理由の元に努力をしても、望むべき答には辿り着かない。
ミリの心と体には、そう染み込んでいる。そう言う教育しかミリは受けていないので、それは当然だった。
傷付いたまま放って置いたので、膿んでしまっている。ミリはその患部を切り取って再生を促そうとしているだけだ。
新たな傷を付けるのではない。悪い部分を切り捨てるだけ。
そんな事をしたら痛いには決まっているけれど、このままずっと放って置くのはミリには赦せなかった。
何故ならミリは、産みの親のラーラも、育ての親のバルも、二人とも大好きだったから。




