汚れに触れる
「ラーラ!なんて事を言うんだ!」
直ぐ隣でバルが大きな声を出して立ち上がったので、ラーラはビクリと肩を震わす。ラーラの手がバルから離れた。
それを見たバルは、ラーラを怖がらせた事に気付いて慌てる。
「あ、いや」
「バル、落ち着いて」
ラーラは努めて静かな声を出した。
「落ち着いてなんていられるか」
そうは言いながらもバルは声を下げ、ソファにゆっくりと腰を下ろした。
「君はずっと、そんな事を思っていたのか?」
「バル。私はバルを信じているから、バルも私を信じてよ?」
放してしまったバルの手をラーラは再び両手で握る。
「いや、信じてと言われても」
「大丈夫。私はバルを信じているわ。信じて、バル」
「ラーラの事は信じているけれど」
「ありがとう。後で二人で話しましょう?」
「・・・分かった」
ラーラの切った切り札は、バルの所為でインパクトが逸れて威力は削がれた。
しかもその切り札は元々、ミリの想定通りだ。
ちなみにこれまでのラーラの人生で、ラーラの切り札が狙った通りの効果を発揮した事は、数える程もなかった。
二人の様子を見ていたミリは、取り敢えず自分からは発言せずに、ラーラに話をリードさせる事にする。
ラーラの話に対しての、バルの反応を見ながら、ミリが話の流れを誘導する積もりだ。
ラーラはミリに顔を向けた。
「ミリ。だから私は、お父様に触って頂く訳にはいかないの」
ラーラにリードさせる積もりが、「だから」ともう結論の様に最初の言葉が繰り返された。ラーラの言葉には因果関係の説明が抜けているとミリは思う。
「それはつまり、お母様に触れるとお父様が汚れるから、と言う意味ですか?」
「そうではないわ」
「それでは、どう言う意味ですか?」
「どうって・・・」
先程の言葉で説得出来る積もりだったのではないよね?と、ミリはラーラの想定を疑う。何か他に、狙いがあるの?
ラーラが言葉を続けないので、ミリはバルに尋ねる。
「お父様はお母様に触れたら、ご自分が汚れると思いますか?」
「そんな事、思う訳ないだろう?」
「そうですよね?」
「違うのよ、ミリ」
ラーラが話を遮ろうとするけれど、やはり言葉が続かない。
「そうだとすると、お父様がお母様に触りたくない理由はなんですか?」
「触りたくないなんて、言ってないよ」
「理由を言ってないだけで、触りたくないのではありませんか?それともお父様はお母様に触ったとしても、気にしないのですか?」
「いや、気にしないってなんだい?そうじゃないよ」
「触ったら気にします?」
「そうじゃないって」
「触っても触らなくても、何とも思わない?」
「思うけれど、そうじゃないんだ」
「もしかして、お父様はお母様に触りたいですか?」
バルが泣きそうな表情で固まる。
見ると隣のラーラも泣きそうな顔でバルを見ていた。
「お父様?その顔は、お母様に触るのが顔を蹙めるほどイヤだと思って良いですか?」
「そんな訳ないだろう!」
「それとも・・・お母様に触れる事に、泣くほど焦がれていると受け取って良いですか?」
「・・・それは・・・」
ラーラがバルを見詰める。
バルが唾を飲み込んだ。
「あるいはやはり、何とも思っていないと?」
「いや・・・」
バルはラーラを振り向いた。
「・・・泣くほど恋い焦がれている」
「バル・・・」
「・・・ラーラ」
見詰め合う二人をミリの言葉が引き戻す。
「ですけれどお父様に触れられるのは、お母様が拒否なさってるのですね?」
ラーラがミリを振り向いて、「違うわ」と首を左右に振る。
「拒否なんてしていない。拒否じゃないわ」
「触って頂く訳にはいかないと言うのはお母様、お母様はお父様に触られたくないのですよね?」
「そうじゃないのよ」
「触って頂きたい?」
「そうじゃないけれど、違うのよ」
「良く分かりません」
ミリは目を伏せながら小さく左右に首を振る。
そして顔を上げて、辛そうな表情のラーラをミリは強い目で見詰め、低くゆっくりとした口調で尋ねた。
「お母様が汚れていなければ、お母様はお父様に触って頂いても良いのですか?それともやはり、触られたくないのですか?」
「それはもちろん、汚れていなければ・・・」
「いなければ?」
「でも、そんな仮定、意味ないのよ。私は汚れてしまっているのだから」
「でも」
ミリはバルに視線を移す。
「お母様の事をお父様は、汚れているとは思っていないのですよね?」
「それはもちろん」
「ミリ、お父様の問題じゃないの。私の問題なのよ」
ラーラの論理が破綻している様にしか、ミリには思えない。つまりラーラを説得するには、感情を納得させなければダメだとミリは判断した。
「お母様?もしお母様に触れたら、お父様は汚れますか?」
「その仮定も意味はないわ。私はお父様に触れられる事はないのだから」
「では、お母様に触れらるパノ姉様はどうですか?育ての親のガロンさんでもマイさんでも構いませんけれど、お母様に触れられる人は汚れているのですか?」
「・・・いいえ。でも違うのよ」
「いいえ、違いません。それならお父様も汚れないと思います」
「そうも言えるけれど、でも違うわ」
しつこいし強情な上に理屈も通じない相手を感情的に納得させるなんて、どうしたら良いだろうとミリは考えた。
両親に取っては長年に渡る深刻な問題の筈なのに、楽しくなってきてしまっている自分をミリは戒める。
しかしまだ、秘密の秘密を抱えていた心の重みが取り除かれた事での、フワッとしたハイテンションがミリの気持ちを占めているので、仕方がないのだ。




