褒められた記憶
「ミリの幸せを考える為には必要な情報よ?」
ミリの考える、パサンドと結婚した時のミリのメリットに付いて、どうしてそんなにラーラが知りたがるのか、ミリは不思議に思った。
「言いたく無い理由があるなら、その理由を言えば良いわよ?」
そう言う場合はたいがい理由の方が言えないのに、とミリは思う。
このままだとミリが言うまで、何日でもラーラは追究するだろう。
ミリにはそれが分かっているので、話す事にした。もともと勿体振る程の話ではないし。ただし両親を傷付けたり、気を遣わせない様には気を付ける。
「パサンドさんは私を褒めてくれます」
「そうなの?」
「はい」
「どの様な事を褒めるの?」
「美しくなったとか声が良いとかです」
改めて訊かれると、ミリは少し自信が無かった。
美しいは褒め言葉の筈。声が良いと言うのは単なる感想の場合もあるけれど、あの時のパサンドの言い方は感想では無い筈。それを言い出すと、美しいも単なる感想だったかも知れなくなるし。
「そう。それで?」
「会う度に何回も褒めてくれるので、結婚しても毎日褒めてくれそうです」
「そうかも知れないわね。それで?」
「パサンドさんは私を褒める時に、誰かと比較したりするのが少しイヤなのですけれど、褒めてくれない人を夫にするより、褒めてくれる人と結婚した方が良いかなと思います」
「他の人とミリを比較するの?」
「はい。誰々より私の方が良い、みたいな褒め方をします」
「そうなのね。それで?」
「比較なので、心からは褒めていないのかも知れませんけれど、心の中で褒めていても口に出さない方よりは、心が籠もっていなくても褒めてくれる方の方が良いと思いました」
「そうね」
ミリの言葉にラーラが同意したので、バルは少しドキリとした。
ちゃんとラーラの事を褒めているか、バルは心の中で自分を振り返る。
「それで?」
「あの、終わりです」
「え?ミリに取ってのメリットは何?」
「それは、私を褒めてくれる事です」
言葉が出なくなったラーラの代わりに、バルがミリに尋ねる。
「そんなの、メリットになるのかい?」
「はい。褒められると嬉しいので」
「それはそうだろうけれど、それくらい、誰でもするだろう?」
「そうなのですね」
ミリの返しにバルも違和感を覚えた。
「みんな、いつもミリを褒めているだろう?」
「・・・はい」
そのミリの反応にやはり、バルもラーラも違和感が拭えない。
ラーラは背中に寒気を感じた。
「ミリ?」
「はい、お母様」
やはりミリの表情が、ラーラに不安を与える。
「誰に何を褒められたか、覚えている?」
「はい」
「私に教えてくれる?」
ラーラは今日、ミリの事を褒めたかどうか思い出せなかった。
ミリは空き地の子供達を思い浮かべる。花冠を作ったり木登りしたり、ミリが何かする度に褒めてくれる子達がいる。
港町の子達もそうだ。蟹を早く見付けられたり、見えにくい所の海老を見付けたりすると、褒めてくれる子達がいる。
空き地の子の事はバルとラーラには言えないけれど、港町の子の事は言っても大丈夫だ。
「はい。港町で会う事のある子供達は、私が蟹や海老を見付けるのが上手だと褒めてくれます」
言ってからミリは、従弟のジゴ・コードナが、上手いかどうかは事実確認だから褒めていない、と言っていたのを思い出す。
貴族としてはそうなら、答を間違えたかも知れない。
一方、ラーラの質問の狙いが分からなくて首を傾げていたバルは、ミリの発言に驚いた。
「え?また、随分な例を出したね?」
その言葉に振り向いたミリの表情を見て、バルはまた驚く。なぜミリが驚いた様な困った様な顔をするのか、バルには分からなかった。
バルの驚いた様子を見て、やはりバルを傷付けたかも知れないと思い、ミリは視線を下げた。
「申し訳ありません」
「良いのよミリ。私の質問に答えてくれて、ありがとう」
そう言ってラーラはミリの体を抱き寄せる。
ラーラは思い出そうとしても、ここしばらくはミリを褒めた記憶が無かった。
サニン王子の懇親会にミリを一人で参加させた事に、自分がかなり緊張していた所為かも知れない、とラーラは思う。
そして今も、ミリが質問に答えた事を褒めようとしたのだけれど、上手く褒めに繋げられなくて、ラーラは礼の言葉をミリに向けていた。
しかし、自分は褒めていないけれど、娘ラブなバルが褒めていない筈がない、とラーラは考える。思い出せないけれど、自分が見ていない所でも褒めているに違いない。
けれども、それならなぜ、ミリはバルに褒められた事を言わないのか?港町の子供に褒められた話を選んだのか?
ミリは更に背筋が寒くなった。
「ミリ?」
「はい、お母様」
「お父様に褒められた事は覚えている?」
ラーラは想像に怯える事よりも、事実を確認する事を選んだ。
「少し待って下さい」
「え?」
そう言うとミリは目を瞑り、バルとの遣り取りを思い出してみる。
ミリにはそんな覚えがなかったけれど、バルが褒めたとラーラが感じる様な場面があったのかどうか、振り返ってみた。
バルはミリが待てと言った事が信じられなかった。
「さっきだって私はミリを褒めたろう?」
「え?」
ミリは目を開けて、バルを振り返る。思い当たらないラーラもバルを見た。
二人に見られてバルはたじろぐ。
「え?褒めなかった?でも、いつも私はミリを褒めているよね?」
ミリは僅かに躊躇ってから肯いた。
「はい」
バルが安堵する一方、ラーラは眉間に皺を寄せる。
「ミリ?正直に答えなさい。ミリがお父様に褒められたのはいつ?」
「え?ラーラ?」
バルが戸惑う。
ミリは視線を下げたまま、ラーラを見ずに答えた。
「いつもです」
「そう?なんて言ってお父様はあなたを褒めたの?」
下手な事を答えてバルに否定されたら面倒だとミリは思う。
「忘れました」
「私があなたを褒めた事は?」
「・・・忘れました」
「褒められたのに、忘れたのね?」
「申し訳ありません」
ミリは頭を深く下げる。
ラーラはミリの体を抱き起こして、顔を自分に向けさせた。
「ミリ?」
「はい、お母様」
ミリの声が僅かに震える。
「あなたには、褒められた記憶がないのではない?」
ラーラの辛そうな表情を見て、ミリは自分の失敗を受け入れた。
しかし、何をどうすれば良かったのか、これからどうすれば良いのか、ミリにはアイデアが浮かばない。
取り敢えずミリは、「はい」と肯いた。




