降参
しばらく続いた沈黙を破って、ラーラがミリに尋ねる。
「ミリがパサンドと結婚する時の、ミリのメリットってなに?」
「私のですか?」
「ええ。ミリにもメリットがあるって言っていたわよね?」
「それは、はい」
「もしかして、ブローチかい?」
「え?ブローチですか?」
バルが尋ねると、ミリは首を傾げた。ラーラが吐いた小さな溜め息には、バルは気付かなかった。
「ブローチを手に入れるのが、パサンドとの結婚のミリのメリットなのかな?」
「あれは、頂いても死蔵するだけです」
「え?着けないのかい?」
「はい。あれを着ける機会があるとすれば、私が大人になってからですけれど、多分着けません。頂き物を人様に譲る訳にも売り払う訳にもいきませんから、処分に困りそうです」
「アクセサリーを譲る事ってないのかい?」
バルの質問にラーラが答えた。
「貴族でも平民でもあるわ。母親や祖母から子や孫やそのお嫁さんとかになら。でも譲るのは、代々受け継いだ物とか夫から貰った物とかの、由来をちゃんと子や孫に説明できる物ね」
「そう言うものか」
「ええ」
「それと、自分が使わずに譲る事は、ないのではありませんか?」
「そうね。私がミリに譲るとしても普段使いの物ならともかく、高価な物は自分の愛用品を手渡しで譲りたいわね」
そう言ってラーラはミリの頭を撫でてから、顔はバルに向けた。
「ブローチって、ハナサキ工房の作品って言っていたそうだけれど、そうなの?バルは見たのでしょう?」
「見たけれど、本物かどうかは俺には分からないよ。高価そうではあったけれど」
「そうなのね。ミリは?」
「本物に見えました。小箱に納められている所を見た範囲ですけれど、使われている宝石も本物だと思います」
「そう」
「ラーラはブローチが気になるのか?」
「ええ。ミリにパサンドは、誕生日のプレゼントと言っていたのでしょう?」
「はい」
「単なる知り合いの誕生日に贈るには、大袈裟だわ。予約が必要な有名工房に作らせたのが本当なら、最初からプロポーズ用だった気がするし」
「パサンドは他の女性に贈る積もりだったとか?」
「それを咄嗟にミリに?それともその女性に振られたから、捨てる積もりでミリに?」
「いやいやいくらなんでも捨てるつもりなら、それと縁談を一緒に持って来ないだろう?」
「パサンドさんは私に、見せたい物があるから乗船する様にと言っていました。ブローチを見せるならわざわざ乗船させる必要はないので、最初は違う物を見せようとしていたのかも知れません」
「違う物?」
「美術品とかでしょうか?」
「パサンドは良く取り扱っているらしいね」
「はい。美術品はパサンドさんの会社の主力商品だと聞いています」
「パサンドは宝飾品も扱っているのかい?」
「スランガの頃は宝飾品がメインだったわ。パサンドが貿易に来る様になってからは美術品が増えていったけれど、宝石や宝飾品もまだ扱い量はそこそこ多いはず」
「そうなのか」
バルはフムフムと肯くと、ミリを見た。
「ブローチじゃないとすると、美術品の方かい?」
「なにがですか?」
ミリがまた首を傾げ、ラーラがまた小さな溜め息を吐く。
「ミリのメリットだよ?」
ラーラの溜め息をバルは気付いてないけれど、ミリには分かっていた。
そこからミリは推測する。
ミリはバルを向いて「いいえ」と答えた後に、今度はラーラを向いて話を変えた。
「ところでもしかして、お母様は私とパサンドさんを結婚させる積もりはないのですか?」
ラーラはミリと目を合わせた後、バルと顔を見合わせた。
もう一度ミリに視線を移して、ラーラは口を開く。
「ミリの望みに因るわ」
「それはどう言う意味ですか?」
「どう言うって、ミリが結婚したいのかどうかに因るのよ。ミリは結婚したいの?したくないの?」
ここで、バルが許さなければ結婚出来ないし、バルが命じるなら結婚するしかない、と自分が答えると以前と同じになるのは、ミリは分かっている。
ではなんと答えれば良いのか?それがミリには分からない。
「お母様は私に結婚させたいですか?」
「だから、ミリの望みに因るのよ」
「私は・・・望みません」
「そうなのね?結婚したくないのね?」
「いえ。結婚する事もしない事も、望みません」
ミリはやっと答が見付けられた気がした。
「え?それは・・・どう言う意味?」
でもラーラには理解されなかった。
それなのでミリは自分らしかったかも知れないと思ったけれど、でも自分では答が気に入っていた。自分らしくない答が気に入る事が、あるかどうかは分からないけれど。
バルが口を挟む。
「結婚してもしなくても、どちらでも良いって事かい?」
またミリの思っている事から、少しずらして型にはめられようとされていると、ミリには感じられた。
「それでも、はい」
「それでも?」
「いいえ」
また失敗した、ミリはそう思う。ただ「はい」とだけ言えば良かったのに、ミリはつい一言を足してしまった。
また、話が長引くかも知れないと、ミリはウンザリした。
「いいえって?」
「何でもありません」
「え?何でもないってどう言う事?」
「いいえ。何でもありません」
バルもラーラも一所懸命、ミリに何かを言わせ様としているのはミリにも分かっている。
「もう一度訊くけれど、結婚してもしなくても、どちらでも良いのかい?」
「はい」
「それはなぜ?」
「え?」
ミリはもう一度、失敗を悟る。
どちらでも良い事に対して、ミリには理由を考え付けそうもなかった。
こんな質問をされない様にするべきで、それは分かるけれど、ではどうすれば良かったのか、それよりここからどうすれば良いのか、ミリには少しも分からない。
ミリはとうとう降参をした。
「申し訳ありません」
「え?」
「分かりません」
ミリを教育した義曾祖母も養祖母も曾祖母も誰も、許さない事態にミリは陥っていた。
思考でも社交でも商売でも、見極めは必要だけれど、諦めは許されていない。
「え?分からないってなんで?」
「申し訳ありません」
「ミリ?大丈夫?何が申し訳ないの?」
「分かりません」
両手を膝の上で強く握り唇をギュッと締めたミリに、バルもラーラも分からないのはこちらだと思った。




