ソウサ家での修行と脱走
ソウサ商会の王都本店の一室で、ミリは帳簿付けをしていた。伝票を順番に出納帳に書き写すのだ。
順番とは言っても、伝票には日付しか入っていない。それなので在庫数を確認しながら納品と売り上げの記帳順を決めていく。在庫数がマイナスになる前に、納品がある筈だからだ。
一日毎の締めで金額が合えば良いのだから、一時的にマイナスになっても良いじゃん、とミリが言った時には曾祖母のフェリ・ソウサに、出納帳の信用度が落ちる、と怒られた。
そのフェリが部屋に顔を出す。
「そろそろお昼だよ。今日はどこまで出来た?」
「あ、曾お祖母ちゃん」
「なんだい、全然進んでないじゃないか。なに遊んでたんだい?」
「これ、ここの販売価格、おかしいよ」
「どれ?見せてご覧」
「季節変動かと思って去年と一昨年の帳簿を見てみたけど、そんな記録はないし、今年もこの取引先が初めてだし」
「これ、取引レートが変わったからだよ。一昨日、社内報に載せてたろう?」
「社内報?」
「まさか、見てないのかい?」
「だって一昨日なんてソウサ商会に来てないもん」
「ないもんじゃないよ、まったく。今までもずっと社内報を確認しないで帳簿を付けてたんじゃないだろうね?」
「だってそんな事、言われてないし」
「呆れたね。呆れたよ。良いかい?言われた事だけをやってりゃ良いんなら、私がアンタに付きっきりで教える必要なんてない。大人になって失敗した時、言われてなかったからなんて言い訳したら、バカにされるのはアンタだし、惨めな思いをするのもアンタだ」
「それは、うん」
「アンタは情報を手に入れられる立場だ。その立場を与えられてるって事は、それがアンタに必要だからだよ。こんな事、言われなけりゃ分かんないのかい?」
「・・・ごめんなさい」
「ごめんなさいだあ?いったい誰に謝ってんのさ?私に言ってんならお門違いだ。謝るなら今のアンタの所為で苦しむ未来の自分に謝るんだね」
「・・・うん」
フェリは「ふん」と鼻から息を吐いて、出納帳をテーブルに投げた。
「後はやっとくから、ご飯食べてきな」
「・・・うん」
「今日も午後は商会の見学するんだろ?」
「うん」
「みんなには言ってあるけど、あんまり邪魔したり、前みたいにしつこく質問するんじゃないよ?」
「分かってるよ」
「訊きたい事があったら、私んとこに来るんだよ?」
「分かってる」
「なら良い。さっさと食べといで」
「うん」
部屋から出て行くミリの後ろ姿を見て、フェリは小さく溜め息を吐いた。
「ラーラにしろザール達にしろ、同じ歳の頃にはこれくらい熟してたのに・・・やっぱり、毎日やらせないと身に付かないのかねぇ」
その言葉は前半だけ、ミリの耳に届いていた。
昼食を食べた後、ミリは倉庫側に回る。そこには午後の配送の為の荷馬車が並べられていた。
出荷伝票の通りに倉庫から品物が集められて、荷馬車に積まれていく。朝の配送とは違って、急に足りなくなった物だけ運ぶから、荷物はそれほど積まれない。
ミリは出荷伝票と積まれた荷物を比較しながら、荷馬車の幌を出たり入ったりしていた。
そしてターゲットを決めると、一台の荷馬車の荷物の陰に隠れる。
狙いは脱走だ。
やがて荷物の揃った荷馬車がミリを乗せたまま、ソウサ商会の門を潜り出て行く。
少し進んだ所で、ミリは荷台から飛び降りた。
ソウサ商会に来る時は、事務作業で汚れるからと言って、ミリは平民服を着て来ている。
もちろん汚しても良いからだけではなく、こうやって抜け出して街を歩く為だ。
空き地には子供達がいた。
「あ!ミリ!」
「また来たのか」
「こんにちは、みんな」
「久しぶりミリ!」
「久しぶりってほどじゃないだろう?」
「女は大袈裟なんだから」
「なによ!」
「こないだ、いつもならミリが来るはずなのに来なくて、ずっとソワソワしてたの誰よ?」
「ソワソワなんかしてねえし」
「ミリが来るはずの日なんか知らねえし」
「今日だってミリの顔見るまで、ソワソワソワソワしてたじゃない」
「してねえ!」
「してた!」
「あたしが来るのを待っててくれたなら嬉しいな。みんなありがとね?」
「もちろん待ってたわ」
「女の子は女の子同士で、一緒に遊ぼ!」
「うん。でもちょっと待って。お菓子持って来たから、みんなで分けよう」
「うん!」
「ありがとう!」
「ほら、男の子達もおいでよ」
「男達はミリを待ってなかったって言うんだから、あげなくて良いよ」
「くれよ。俺はミリじゃなくて、お菓子を待ってたんだからな」
「ないわ~」
「サイテー」
「俺もそれはないと思う。お菓子も嬉しいけど、今日は偶然ミリに会えて嬉しいな」
「あ!裏切んのか?!」
「あんたもこういうとこ、見習ったら?」
「でも、似合わないんじゃない?」
「はは、言えてる」
「なんだと!」
「ほらほら、ケンカしないで。遊ぶ前にお菓子を食べよう」
そう言ってミリは、家から持って来たお菓子をみんなに配った。家からなのでつまり、ミリの父バル監修の逸品だ。もちろん子供達にも評判は良い。
その集まりから少し離れて、見慣れない男の子が一人でポツンと立っている。
「あれ?あの子は?」
「アイツはほっとけ」
「え?なんで?」
「色々と文句ばっか言うから、良いのよ」
「ねー。ああしろ、こうしろ、そうしちゃダメだ、神様がどうしたこうしたってうるさいの」
「ねー。なんでって訊いても、神様がそう言ったからとしか言わないし」
「ジャマだよな」
「うん、ジャマジャマ」
「ふ~ん」
神殿関係者かな、とミリは思った。それなら近付かない方がお互いの為だと判断する。
花冠を作ったり、鬼ごっこをしたり、ミリは思いっきり遊んだ。
ミリの作った花冠は、まだ上手く作れない子にプレゼントした。
鬼ごっこは、小さい子が鬼の時にはミリは後走りで逃げる。
普段動かさない指の動きをしたり、普段使わない筋肉を使ったりする事で、ミリの体も気持ちも解れた。
大声を出したり、思いっきり笑ったりも、ミリの心を軽くする。
心が軽くなる事を自覚しながら、他の貴族の子達はどうなのだろう、とミリは思った。
何がどうなのだろうなのか自分でも分からなかったけれど、思いっきり遊んだり出来ないなら変にならないか心配だった。
サニン王子は少し拗れている様に思えなくもない。
ウィン・コウグは曲がって見える。
ジゴ・コードナは大丈夫。ジゴはお菓子さえあれば、何があっても大丈夫にしか思えない。
そんな事を思って頬を緩めたミリはふと、レント・コーカデスの顔を思い出した。




