悩む夜
夜、真っ暗な寝室で、小さな声がした。
「バル?」
「なに?」
ラーラの問い掛けに、バルも声を小さくして応える。
「起きていた?」
「ああ」
バルの返事を聞いて、ラーラはベッドからそっと体を起こした。その気配を感じたバルも、そっと体を起こす。
二人とも、真ん中に寝ているミリを起こさない様に、そっとそっとベッドから下りて、音を立てない様に寝室を出た。
夜番をしている使用人を下げさせて、ラーラとバルは自分達で居室に灯りを点ける。ラーラは酒とグラスをキャビネットから取り出し、バルは調理室からつまみを持って来た。
一つのソファに二人で座るけれど、間にはミリ一人分の隙間を空けている。
ラーラは両手で顔を覆った。
そのまま動かないラーラを心配して、バルが「ラーラ?」と囁く様に声を掛ける。
「バル、どうしよう」
ラーラは手を放して顔を上げて、バルを見る。
「どうしたら良いと思う?」
「ミリの事、だよね?」
「うん。夢も憧れもないなんて、なんで?」
「ラーラはミリくらいの時、夢とか憧れとかあった?」
「ええ、もちろん」
「どんなの?」
「え?でも・・・」
「でも?」
「子供の頃の話だから、重く受け止めないで欲しいけれど、約束してくれる?」
「約束するけれど、恐ろしい話?」
「そうではないけれど私、ミリくらいの頃は、好きな人と結婚して、国々を渡って商売をしたいって思ってた」
「船で旅をしながらか」
「ええ。それで港からその国をグルッと回って、色々売って色々買って、港に戻って次の国に行くの」
「そうか。素敵な夢だね」
「ええ。お気に入りの夢だったわ」
バルはラーラのグラスに酒を注ぎ、自分のグラスにも注ぐと口を付けた。
「バルは?バルの夢はなんだったの?やっぱり騎士様?」
「そうだね。俺はやはり騎士だったな。でも、夢と言うか、それしかない感じ」
「それしかって?」
「俺は姉上にも兄上達にも何をやっても敵わなかったから、勉強から剣に逃げた結果の騎士だからね」
「結婚は?結婚したいとか思っていた?」
「いや、どうだろう?」
「好きな女の子はいたのよね?」
「それを持ち出す?」
「・・・ゴメンね」
「確かにいきなり結婚してって言った気がするけれど」
「そうなのね」
「でも、結婚する事を真剣に考えたのは、ラーラが初めてだ」
「バル」
「信じてくれる?」
「うん。意地悪な事を訊いて、ゴメンね」
「いいや。信じてくれて嬉しいよ」
二人はソファの上で手を重ねた。
「それにラーラとミリと一緒に暮らせているのは、本当に嬉しい」
「私もよ。幸せになれないなんて言っていたけれど、バルとミリと一緒にいると、キロとミリの事を忘れて笑っている時があるの」
「・・・そうか」
「ええ・・・」
「キロもミリも、ラーラが笑っているのは、嬉しいだろうな」
「・・・そうかしら」
「きっとそうさ」
「そうだと、良いな」
「二人に取って、大切な大切な妹だもの。ラーラが嬉しければ二人も喜んでくれているさ」
「・・・そうね・・・そうだと良いな」
「ああ。きっとそうさ」
二人は寂しさを含む微笑みを見せ合って、指を絡めた。
「私、バルが結婚してくれて、本当に良かったと思っているの」
「俺もだよ。俺もラーラと結婚出来て、本当に良かった」
「バル。あの時、私との結婚を諦めないでくれてありがとう」
「どういたしまして。でも俺はただ、ラーラとの結婚を諦めるなんて出来なかっただけだよ」
「ううん。たとえそうでも、バルには感謝しているわ」
「俺もだよ、ラーラ。結婚してくれてありがとう」
二人は微笑みながら見詰め合った。
ラーラが真剣な表情に切り替える。
「ねえバル?」
「なんだい?」
「ミリに結婚させないって言っているのは、あの子の父親が分からないからよね?」
「はあ?ミリの父親は俺だよ」
バルは憮然として答える。
「そうだけれどそうではなくて、父親の事が原因でミリにプロポーズする男性が現れない時の為に、バルがミリを結婚させないって事にしているのではないの?」
「違うよ。ミリが可愛いから、嫁に出したくないだけだ。なにせミリは大きくなるにつれて、ますますラーラそっくりになって来たからな。ラーラそっくりのミリを他の男に渡すなんて、とても抵抗がある。俺には考えられないよ」
「でもね?あんな事があった私でも、バルと結婚出来て、とても嬉しかったわ。キロとミリには申し訳ないけれど、今、私はとても幸せだと思う」
「ラーラ」
「パノを見ていると、結婚だけが幸せじゃないって言葉も本当だとは思う。けれど、好きな人と一緒に暮らせるのも幸せな事だと思うし、家族が増えるのも嬉しいと思うの」
「ラーラ」
ラーラはテーブル上のグラスを少し傾けて、酒の表面を眺めた。
「ミリが今日、バルも私もパノも面倒見るって言っていたでしょう?」
「うん?ああ、あの時か。言っていたね」
「私もバルもパノも死んだ後、ミリはどうするんだろう」
心細そうなラーラのその声に、バルは慌てた。
「いや、大丈夫だよ?ミリの事は姉上や兄上達にも頼むし」
「私達が死んでいるなら、みなさんも亡くなっているかもよ?私の兄さん達もそう」
「あ、いや、でも、ジゴ達もいるし、みんなに良く頼んでおくから大丈夫。心配しなくても良い様にしておくから」
「そう・・・」
ラーラはテーブル上でグラスを左右に揺らし、酒の表面に波を作る。
「私、もしあの時家を飛び出して、バルとも結婚していなくて、ミリも生まれていなかったら、どうしていたろう・・・」
「・・・ラーラ」
名を呼ぶ声に応える様に、ミリは視線をバルに向けた。
「バル。ミリの父親の事、いつかはミリに言おうと思うの」
「ラーラ」
「だって他の人から聞くより、私の口から伝えた方が良いよね?」
「そうか・・・そうだね。広く知られているから、いつまでも隠し通せないだろうし、それなら俺達が教えるべきだね」
「辱めを受けた事、公表しない方が良かったのかな?」
「俺はミリの本当の父親だと思っているし、本音では、そうだね、ミリには教えたくないかな」
「でも、事実は変わらないし、過去も変えられないわ」
「事実がどうでも、本当の父親としてミリを愛している事が伝わる様に接して行くよ。まあ、今とやる事は変わらないけれど、ミリが不安に思わない様にね」
「ありがとう、バル」
「いいや。俺の可愛いミリの為だもの。それに何より、ミリに父親扱いされなくなったら、俺の方が耐えられない」
「ふふ。でも、ありがとう」
「そう?それなら、どういたしまして」
二人は微笑みを見せ合いながら、グラスを捧げ合った。




