良かった、悪くない
自宅に帰ったミリをまず玄関で迎えたのは、母親のラーラだった。
「お帰りなさい、ミリ。早かったのね?良かったわ」
そう言うとラーラはミリの体を抱き寄せる。
「ただいま戻りました、お母様」
そう応えて抱き返すけれど、ミリの心には諦めの気持ちが浮かぶ。
ミリが出掛けた日はいつも、帰宅してから寝るまでずっと、ラーラはミリから離れない。ベッタリとくっついている。
貴族の母子も平民の母子も、そんな家は他にないと知ってから、ミリは徐々に息苦しさを感じる様になっていた。
レントには、ミリは大切に守られて育てられていると言われた。今の状況を見れば、確かに大切にされていると言うだろう。
「お帰り、ミリ」
「ただいま、パノ姉様」
ラーラと抱き合ったまま、ミリは顔だけ向けてパノに返す。
パノはたまたま通り掛かっただけの様で、書類を持って立ち止まったけれど、ミリの方に歩み寄っては来ない。
「その様子だと大丈夫だったみたいね。明日にでも話を聞かせてね」
「すぐには聞いてくれないの?」
「今日のラーラは特別ポンコツだったから」
「ポンコツって何よ」
「あなたの事よ、ラーラ。まだ後片付けが残っているのよ。ミリはラーラの面倒をよろしくね」
「面倒って何よ」
「お母様・・・分かったわ、パノ姉様」
「ええ、そちらは任せるわね。こちらは任せて」
パノな書類を少し持ち上げてそう言うと、その場を離れて行った。
ミリはパノの姿が見えなくなるまで目で追った。
ラーラはまだ離れない。もうしばらく待ってもそのままだ。
確かにいつもよりポンコツかも知れない、とミリは思った。
「お母様。取り敢えず着替えて参りますから、放して下さい」
「そうね。私も着替えを手伝うわ」
ミリは溜め息が出そうなのを誤魔化す様に、「ありがとうございます」と応えた。
パーティー用の衣装から普段の服装に着替え、ミリはラーラと居室に入る。
ラーラはソファに座ると、自分の膝の上にミリを座らせた。
ミリの歳で、こんな風に親に抱っこされている子は、ミリは他に知らない。
これも大切にされていると言う事ね、とミリは思った。
でも、そろそろ抱っこは卒業させて貰っても良いと思う。
「今日はどうだった?楽しかった?」
ラーラの問い掛けに、ミリは答を一瞬躊躇した。
楽しかったと答えたら何が楽しかったかを訊かれ、レントとの会話の事を話さなくてはならなくなるだろう。けれどそれをラーラに話して良いのだろうか?
帰りにレントを馬車に乗せた事は、ミリが黙っていても使用人からラーラに伝わる筈。
それなので、ここは楽しくなかったと言っておいた方が良いに違いない。
そう考えたけれど、レントとの会話を楽しくなかったと言わなくてはならないと思うと、ミリは胸に小さな痛みを覚えた。
「楽しかったです」
ミリは、ラーラの誘拐も自分の父親が誰か分からない事も知らない事になっているから、コーカデス家の子と話した事が楽しかったとしても、それ自体は文句は言われないと考えた。
ただしお母様の心を傷付けない様に、とミリは注意をする事にする。
「それは良かったわ。サニン殿下には何もされなかった?」
「ええ、大丈夫です」
「他の子達も?」
「大した事はされていません」
「何かされたの?大丈夫?」
「大丈夫です。私より小さい子達ばかりだから、礼儀作法が出来ていない子がいただけです」
「そうなの?でも伯爵家以上の子達なのでしょう?」
「地方に住んでいると、実践の場がないのだと思います。それに今回の様に子供が大勢集まる事も、貴族ならなかなかないでしょう?だからはしゃいでしまったのもあると思います」
「そう。貴族の子もはしゃいだりするのね」
「貴族の子供も、結局は子供ですから」
そう言ってミリは微笑みを作ってラーラに向けた。
このまま話を逸らせば、レントの事は話題にならないかも知れない。
その時、ミリの父親のバルが居室に入って来た。
「ミリ!」
「お帰りなさい、お父様」
ラーラに背中を押されてミリが立ち上がると、バルはミリを抱き上げた。
「ミリ、大丈夫か?」
「大丈夫じゃありません。苦しいです」
バルにギュウギュウと抱き締められて、ミリは声を絞り出してそう言った。
「どうした?!何をされたんだ?!」
「何をって、お父様、力を緩めて下さい。苦しくて息が出来ません」
「え?!あ!すまない!」
「もう、バルったら」
下ろされてケホケホと咳き込むミリをバルは心配そうな表情で覗き込む。その様子を見てラーラは笑みを浮かべていた。
ラーラが横にずれるとバルも同じソファに座った。ミリも促されて二人の間に座る。
いつもの三人のポジションだ。
「ミリ。コーカデスの人間を馬車に乗せたと聞いたけれど、本当かい?」
「え?本当?ミリ?」
「何もされなかったかい?大丈夫かい?」
「大丈夫な訳ないわよね?大丈夫なの?」
「大丈夫ですから。何もされていませんから」
「それなら何で、馬車に乗せたの?」
「向こうが乗り込んで来たのか?」
左右からの両親の勢いに、ミリはレントの事をしっかりと話す事に決めた。ただし両親を傷付けない様に注意して。
話しても怒られたりはしない。怒られたらおかしい。
レントも自分も、何も悪い事はしていないのだから。




