11 ピクニック
バルとラーラは草原の中の見晴らしの良い丘にいた。
丘の頂上付近は雑木林になっている。
木の陰にシートを広げて、ピクニックだ。
今日は馬車ではなく、二人も護衛達も馬に乗って来た。ソウサ家のいつものメイドもだ。
「良い所ですね」
ラーラはシートに直に、いつもの様にバルとは少し離れて座り、お茶を飲みながらホッと息を吐いた。
傍らのテーブルにはケーキもある。もちろんバルお薦めの逸品。
コードナ侯爵家の侍従が用意したものだが、騎馬で運んでも崩さないのはさすがだった。
「ここには来たことないのか?」
「はい、ありません」
「そうなのか。ラーラは馬に乗れるんだし、ここまですぐだろう?」
「行くのはいつも海側ばかりなので、こっちの方にこんな所があるのは知りませんでした」
「そんなものか」
「商家の娘なので、誰かと行くのはどうしても人気の多い場所になりますから」
「なるほどな。それもそうか」
「バルは良くここに来るんですか?」
「子供の頃は良く連れて来て貰ったな。兄上達が一人で馬に乗れる様になったらリリとかも一緒に、結構大勢の子供達と来たよ」
「子供達とって、自分も子供だったんですよね?」
バルの他人事の様な言葉の響きに、ラーラは少し引っ掛かる。
「そうだけれど、なんで?」
「いえ、なんでも。みんなで遊んだんですね。どんな事をしたんです?」
「鬼ごっことか、ボール蹴りとか、木登りとかだな」
「え?コーカデス様も?」
「ああ。いや?リリはやらなかったかな?虫取りは確かやらなかったけれど、他はどうだろう?そう言えば、人形を持って来ていたな」
「貴族様のご令嬢が木登りとか、なさらなそうですよね」
「平民の少女はやるのか?」
「私はやったけど、普通はどうでしょう?私は兄さん達の真似ばかりしていたから虫取りもやりましたけど、普通はボール蹴りもやらないかな?町中ではボールは蹴れないか。私は砂浜でやったけど」
「木登り、するか?」
バルは後の林を指差した。
馬に乗って来たので、今日のラーラのボトムスはズボンだ。
「バルは?」
「俺は止めておく。今やると枝を折りそうだ」
「それなりの太さがある枝は、飛びつくのも簡単そうですね」
「ああ。どうして大人は木登りしないのか子供の頃は不思議だったけれど、面白くなくなっていたんだな」
「子供の頃に思う存分木登りしたから、きっとみんな充分満足して、大人になるんですよ」
「はは。その考え、良いな」
「他国にはとっても高くて真っ直ぐな木があって、それは大人も登るそうです。知っていますか?」
「いや、知らない」
「腰に付けたロープを木の幹に回して、抱き付いたり、足や手で突っ張ったりしながら登るんですって」
「ロープ上りって訓練があるけれど、あんな感じかな?登り棒ってのもあったな」
「木登りよりは近いけど、ちょっと違うみたい。手を出して下さい」
ラーラはバルに近寄って、バルが差し出した腕を曲げて垂直に立てさせて、ハンカチをロープに見立てて腕に回し、登る様子を少しずつ再現してみせた。
「なるほどな」
「地域によってはお祭りの時に上ったり、高いところの木の実を採ったりする時にこうするんですって」
バルにハンカチを貸したまま、元の位置に戻りながらラーラが説明する。
バルは片手だけで器用にハンカチを使って、自分の腕に登る真似を再現していた。
「これも本で読んだのか?」
「これは港で船員達に聞きました」
「なるほど。生きた知識か」
「船のマストでやらせて貰った事があるから、まさに生きた知識ですね」
「登れた?」
「体は少し上に上がったけど、ロープを上に送るのが上手く出来なくて、それでも諦めなかったら最後は後ろ回りして逆さまになって、お尻と背中をマストに打つけて」
「え?怪我は?」
「大丈夫です。船員達から拍手喝采を浴びました。ふふ、大ウケでしたよ」
「それは見てみたかったな」
「今度、親しい船が入って来たら行ってみます?見るだけじゃなくて、やらせて貰えると思いますよ?」
「是非やりたいから頼むよ。でもうまく出来たら、ラーラに嫉妬されそうだな」
「私だってあの頃より腕は伸びたし筋肉も付いたから、バルよりは先に出来ます。なにせ経験者だし」
「確かに乗馬姿勢も良いし、良い筋肉が付いていそうだ」
「ありがとうございます。騎士志望の方にそう言って頂けて光栄です」
「いや、冗談ではなくホントだぞ?俺は筋肉に関しては嘘も冗談も言わないから」
「ふふ、なんですそれ?ご令嬢達の筋肉は誉めたりしたら駄目ですよ?」
「あ、いや、ゴメン」
「私のは誉めて良いから、誉めたくなったら私の筋肉を誉めて下さい。マスト登りに負けた時の言い訳も必要でしょう?」
「なんでそんなに自信満々なんだ?前は失敗したんだろう?」
「私は失敗の原因を克服したもの。後は成功あるのみですから」
「なるほど。でも俺との勝負なんじゃないのか?成功しても負けるかも知れないぞ?」
「そうですね。その時はバルの筋肉を私が讃えます」
「いや、俺自身を誉めろよ」
「ふふ。分かりました。バルも誉めます。でも侯爵令孫が怪我をしたらいけませんよね?」
「なんでいきなり貴族子弟扱いが始まったんだ?今更だろう?」
「いえいえ、万が一に備えて頭や背中を守る為に、コードナ侯爵様にはバルに甲冑を着せて頂けてる様にお伝えして置かないと」
「甲冑着て勝負しろって?」
「ええ。勝負は岸壁からスタートですからね?」
「船に乗り込む時に甲冑着て渡し板を上れって言うのか?」
「いいえ、船長に縄梯子を下ろして貰う積もりなので」
「港に停まっていても揺れる船の縄梯子なんて、身軽な格好でも上るのが大変じゃないか」
「あれ?ご存知でしたか」
「こんなにあからさまにズルを企む人間、初めて見るぞ?ラーラは宰相より腹黒いんじゃないか?」
ラーラは驚いて目を大きく見開いた。口も少し開いてしまっている。
慌てて辺りを見回すけれど、コードナ侯爵家とソウサ家の使用人以外の人影はなかった。
ホッと息を吐いてから、ラーラはバルを睨んだ。
「そんな事言って、大丈夫なんですか?」
「何が?」
「宰相様が腹黒なんてですよ」
声を潜めたラーラの真剣な表情を見て、バルはニヤリと笑った。
「俺は宰相を腹黒なんて言ってないから大丈夫だ」
「え?腹黒って言ったじゃないですか?」
「俺はラーラが腹黒いって言ったんだ。ラーラより腹黒くない宰相の腹は真っ白かもな」
「なんですって?」
「ラーラ、宰相を腹黒なんて言ったら危険だぞ?」
「ひどい!」
「まあ、ラーラの心掛けによっては黙っていてやる」
「バルが腹黒です」
「そうか?ラーラの薫陶の賜物だな」
そう言って笑うバルをラーラはもっと睨む。
バルは前を向いてラーラから視線を遠くに移すと、ニヤつきの代わりに微笑みを顔に浮かべた。
「でも、ラーラのお陰で変わったのは本当だな」
「そうですか?自覚があります?」
「ああ」
「私ではなくて、交際練習のお陰ですけど。でもバルの変化が良い方にだったら嬉しいですね。バルのお腹もだんだん白くなるでしょうし」
「ふふ、そうだな」
バルの表情に苦笑が混ざる。
「でも今日はここで良かったのですか?のんびり出来て嬉しいけど、余り交際練習にはなりませんよね」
「普通は婚約者と、こうやってピクニックとかするんじゃないか?」
「するでしょうけど、今日のデートには特に課題になりそうな事も見付けられないですし、このままだとただぼ~っとしてしまいそう」
「じゃあ、黙っている練習は?」
「もしかしてうるさかったですか?」
「そんな訳ないって。俺が楽しんでいるの、分かっているだろう?」
「ええ。そうですよね」
雑木林には小鳥が来ていて、何種類かの鳴き声が二人の耳に届いた。
目の前の草原を風が渡って来て、シートの縁を捲りラーラの髪を揺らし馬のたてがみを踊らせ、後の雑木林で葉擦れの音を立てる。
しばらく二人はそのまま黙って、視線は草原に向けていた。




