下働きの子供
王都に残った貴族家に身を寄せる事になった子供達は、下働きをしながら礼儀作法や読み書き計算を習う。まだ働かせる事の出来ない幼い子供達も一緒に習った。
子供達の中には、年下の子達の面倒を良く見る子供もいる。
そう言う子達には下の子の面倒を見る事が仕事として与えられた。そして習った事を下の子達に教える事も仕事に含まれ、教えるのが得意な子には評価が加点される。
具体的にはオヤツにオマケがされたのだが、それらは年下の子供達に分けて一緒に食べていた。
ミリの所にも、赤ん坊の面倒を見るのが上手い子が回されて来た。
夜間にミリの面倒を見るのは大人が行い、日中は子供に任せられる所は任せた。
子供達の中には、ミリの抱き方がラーラより上手い子もいる。みんなバルよりは上手かった。
「ルモはミリの抱き方が上手よね」
一人の男の子がミリを抱く様子を眺めて、ラーラは微笑みながらラーラのお母ちゃん事マイに話し掛けた。
「そうですね。子供達の中ではルモが一番上手です。小さい子の面倒も良く見ていますし、弟か妹がいたのかも知れません」
マイの言葉から、今のルモが弟妹とは一緒では無い事を悟り、ラーラの返した「そう」の言葉は低く沈む。
「両親も頼れる人もいないから、ここに来たのよね」
「そうですね」
マイの返しも沈みがちになった。
「他の子達もそうですが、最近神殿から来た子供達が精神的に立ち直るには、時間が掛かりそうです」
「そうなの?」
「はい。信徒の暴動が下火になって直ぐにコードナ侯爵家に身を寄せた子達は、最初は火事や暴力を恐れたり家族を失った事で情緒不安定でしたが」
「そうよね。暴れる子もいたって聞いたわ。夜泣きする子もいたって」
「ええ。ですがどの子も感情を表していましたから、こちらが子供達の気持ちに寄り添う事は上手く出来たと思います」
「そうなのね」
「はい。でも、最近神殿から来た子供達は、感情をほとんど表しませんので、好き嫌いさえ良く掴めなくて」
「ルモも単に仕事としてミリの世話を淡々と熟しているものね」
「前からいた子供達が喜んでミリ様の世話をするのに比べると、つまらなそうにやっている様に見えますよね」
「詰まらなそうとまでは思わないけれど」
「でもあれで多分、ルモはミリ様の世話が好きですよ」
「そうなの?」
「はい。ミリ様のお世話を頼む時は、他の仕事を頼む時と少し様子が違います。貴族令嬢のお相手なので緊張する事はあるとは思いますけれど、気合いを入れているみたいですよ?」
「その言い方だと、他の仕事は気合いが抜けているみたい」
「そうは思いませんけれど、他の仕事には気負いはなさそうですね。でも初めてミリ様に会わせた時の様子もいつもとかなり違いましたから、ミリ様を特別に思っている部分はありそうです」
ミルクを飲ませ終えたミリを乳母から受け取り、ミリにゲップをさせるルモの様子を見ながら、マイの言葉にラーラが微笑んで言った「そうなのね」の声はしっとりと温かかった。
ソウサ家主催のミリの誕生を祝う催しの後、王都には幾つかの噂が流れた。
一つはコードナ侯爵家がミリの誕生を歓迎していないと言うものだ。
コードナ侯爵家がラーラの妊娠を残念な事として公表した事が、王都民に思い出されていた。
祝いの会場にコードナ侯爵家の姿も名前もないのも、ミリがコードナ姓を名乗るのを認めていないからだと噂された。
それからバルとラーラの不仲説だ。
夫婦なのに、妻が余所の男性の子供を産んだのだから、夫はやはり許せなかったのだろうと噂された。
それの根拠とされたのが、ミリが生まれた時にバルがラーラの傍にいなかった事だ。
学院襲撃事件の事は触れられずに、夫不在での出産だけが強調された。
ミリの誕生祝いがソウサ家主催だった事で、バルとラーラの離婚が近いとの噂も立った。近いうちにソウサ家が、ラーラとミリを引き取るのだとの憶測が語られる。
バルとラーラの邸に修理の気配が無い事が、その話に説得力を持たせていた。
そしてソウサ家が、ミリの父親を探しているとの噂が流れる。
そこでは父親の具体的な容姿が述べられていた。
王都民としてはバルがミリの父親でいるよりも、本当の父親が名乗り出て罪を償い、本当の親子三人で暮らす方が心情的に納得出来た。
そしてミリの父親を名乗る男がソウサ家を訪れる。
その事をソウサ家は直ぐに公表し、その男がソウサ家で好待遇を受けているとの噂が流れた。
すると二人目、三人目が現れて、自分こそミリの本当の父親だと主張した。
この三人目は本当にラーラを強姦した犯人だった。
一人目と二人目は帰されて、三人目だけが好待遇を受け続けた。
そして三人目の証言から、他の強姦犯二人の居所が判明し、コードナ侯爵家の護衛が二人を取り押さえた。
こうして新たに三人の強姦犯が逮捕された。
ミリの父親像を流して父親を名乗る男達を好待遇で迎え、強姦犯を吊り上げるのはラーラの父ダンのアイデアだった。
王都に広がった、バルとラーラの不仲説を利用したのだ。
ラーラを襲った強姦犯で、捕らえられていないのは後二人になった。
夫以外の、それも犯罪者の血を引くと思われる子供を産むかも知れないとの話が広まった時、ラーラの人気は急速に落ちた。バルも同様だ。
二人とも王都民から共感を得られず、忌避感を持たれた為だ。
王都民にラーラは嫌われたし、バルは陰で馬鹿にされていた。
しかしその時に、同じ様に人気のあったキロとミリは、人気が落ちた訳ではない。
あるいは、命を懸けてラーラを守ったとされたキロとミリが気の毒だ、浮かばれないと思われたから余計に、ラーラが嫌われたのかも知れなかった。
生まれた赤ん坊に付けられたミリの名前が、ラーラを守って亡くなったメイドのものだとの話が広がると、メイドの人気を利用してラーラと娘の評判を上げようとしている、との批判が広がる。
それによってラーラの評判は更に下がり、正直に名乗り出た強姦犯への同情を口にする者さえ現れた。
ラーラの評判が下がるのと対照的に、思い出されたミリとキロの人気は上がっていった。
ミリ・コードナの誕生祝いと、酔っ払いと信徒のケンカでの逮捕者と、その後のラーラの評判悪化と、更に強姦犯の逮捕に、王宮は警戒を強めた。
また何かが起こると予想したからだ。
本当ならミリの誕生祝いも止めさせたかった。
ソロン王子の結婚でさえ自粛して、お祝いらしい事を行わなかったのだ。それなのに色々な曰く付きのミリの誕生を祝ったりすれば、王家の面子を潰す事になるし、必ずろくでもない事が起こる。
それは王宮に勤める誰もが思った。
しかし王家の命令無くラーラに関わる事は国王から禁止されている。
更に下手な事をして、コーハナル侯爵家等から来ている応援の文官達に手を退かれては、王宮の仕事が回らなくなる。コーハナル侯爵家はラーラの養家だ。機嫌を損ねられない。
王宮の文官達は心の隅に不安を覚えながらも、目の前の仕事に集中する事で、不吉な予感から目を逸らした。
学院側は護衛をどうするか悩んでいた。
護衛を付けさせる事を制限したいが、襲撃事件の後で生徒に護衛を付ける事を止めさせる提案に、納得する保護者はいないだろう。
逆にこれまで護衛申請していなかった生徒にも、護衛を付けさせる事を望む筈だ。
襲撃犯は逮捕されたし、襲撃犯を護衛として雇用していた民間護衛会社も閉鎖された。
それでも新たに雇われて学院の生徒に付けられる護衛が、同じ様に襲撃側に回らないとは言えない。
護衛を依頼した保護者や護衛の雇用者に責任を負わせるとしても、今回の様な事件が起こってからでは遅い。生徒達を守る事には役立たない。
襲撃犯を護衛として雇っていた保護者達に、どの様な責任を取らせるかは王宮で審議中だ。
取り敢えず王宮からは、学院の対応には瑕疵がなかったとの判断が伝えられた。
しかし襲撃犯を雇っていない保護者達からは、学院の責任を追及する声が上がっている。貴族家からも今後の対応の説明が求められている。
そこで、学院側は丸投げをする事を選んだ。
学院に子息令嬢を通わせる貴族家に、護衛選定を依頼したのだ。
貴族家が選んだ護衛なら間違いが無いだろうし、間違いがあっても貴族家に後始末を任せられる。
現在学院に登校している貴族の子息令嬢は王都に残った貴族家の子供達だけであり、生徒達には各家の護衛が付いている。
そして他家の平民の生徒に、貴族家が自分の家の護衛を貸し出す事など、あり得ない。
それなので護衛選定の依頼を受けた貴族家は、ソウサ商会の護衛を学院に推薦した。
今回の襲撃事件でソウサ商会の護衛は評判を上げていたし、王都に残った貴族家はソウサ商会とも懇意にする様になっていたからだ。
そして推薦を受けたソウサ商会は、学院生徒の護衛を引き受けた。
学院側はソウサ商会一社に護衛を独占させる事を危惧した。色々と文句を付けて来る保護者もいるだろう。
それなので貴族家の推薦があれば他の護衛会社も増やして行く事にして、取り敢えずはソウサ商会の護衛なら生徒の護衛に付ける事を認めると発表した。
こうして、学院の授業が再開された。
コードナ侯爵邸の離れの前に付けられた馬車に、ラーラとバルとパノが乗り込む。ラーラのお父ちゃん事ガロンも一緒だ。
離れの玄関ドアは開かれたままで、ドアの内側ではルモに抱かれたミリが、ラーラ達の見送りをさせられていた。
「ミリ~、行ってくるね~、良~子にしてるのよ~」
「ミリはいつも良い子だよ」
パノの言葉にバルが反論する。
「ラーラと離れたら寂しがるかも知れないじゃない」
「それを言われると心配だけど・・・やっぱり俺が残ろうか?」
「それなら母親の私が残るべきじゃない?大丈夫よ。皆がいてくれるし」
「それはそうだけれど」
「それより早く出発しないと。いつまでもミリを玄関にいさせたら、風邪を引くわ」
「そうよね。じゃあね~、ミリ~、行って来ま~す」
「行ってくるね、ミリ~」
「皆、ミリをよろしくお願いしますね」
ラーラの言葉にミリを抱いているルモは肯き、他の使用人達は腰を折った。
馬車の扉が閉められて門に向かい、門の外に待っていた他家の馬車や護衛と共に、ラーラ達は学院に向かった。
使用人達はそれぞれの仕事に戻る。
ミリとルモの姿が見えない事に離れの使用人が気付いたのは、しばらく経ってからだった。




