名付け
バルが寝室に入ると、ベッドの上にはラーラと赤ん坊が寝ていた。
横向きになっているラーラはバルを見ると、口角を上げて笑顔を作った。
「バル・・・」
「・・・ラーラ」
バルが足を止め、二人は見詰め合う。
「それが、君の産んだ子?」
「・・・ええ」
「あの、ラーラにソックリだと聞いたけれど?」
「ええ。生まれた時はもっとシワクチャだったけれど、その時からお祖母ちゃんも母さんも、私にソックリだって言っていたわ。ソウサ家の他の皆もこの子の顔を見て、私にソックリって」
「皆さんは?」
「帰ったわ」
「そうか」
「・・・祖母と母は出産の間ずっと私に付いていてくれたので。それはコードナのお義祖母様もお義母様も、コーハナルのお養母様もだけれど、皆様も戻られたの」
「そうか」
「・・・パノもね。パノもずっと付いていてくれて、それなのに今も傍にいてくれているの」
「そうか」
二人の会話が途切れた。
室内にいる侍女達が何か言いたそうにしていたが、パノが人差し指を唇に当てて彼女達を見回して黙らせる。
「その、赤ちゃんの顔を見せて貰っても良い?」
「ええ。もちろん」
バルがベッドに近寄る。
「本当だ。ラーラに似ている」
「そう?」
「ああ。将来美人に、あの、女の子だよな?」
「ええ」
「そうか。将来美人になるな。変な虫が付かない様に気を付けないと」
「今から?」
「もちろん」
二人は微笑みを交わすが、また会話が途切れた。
「抱いてみないの?」
とうとう我慢出来なくて、パノが口を挟む。周りで侍女達が肯いている。
パノを見て困った顔をしたバルは、パノにも肯かれ、一つ唾を飲み込んでラーラに向き直った。
「あの、俺が抱いても、良い?」
「うん。抱いてあげてくれる?」
「ああ。うん」
そう言ってバルは両腕を赤ん坊に伸ばす。しかし、どう抱き上げれば良いか分からない。
確か生まれたばかりは、頭を触ってはダメだった筈。首も据わるまでは支えて上げなければならないらしい。力を入れすぎるのもダメだが、結構重たいから落とさない様にも注意しなくてはならない。
バルが腕を伸ばしたり引っ込めたり、向こう側に手を回したり、こちら側で赤ん坊の下に手を差し込もうとしたりしていたら、またパノが我慢出来なくなった。
「腕をこうやって」
パノがバルに腕の形を作らせる。
「そこに赤ちゃんを乗せるから」
侍女達が椅子を持って来て、バルを座らせた。
パノが赤ん坊を抱き上げて、バルの前に立つ。
「何でパノが俺より先に抱いているんだよ?」
「ゴメン。それは本当にゴメン」
謝りながらパノは、赤ん坊をバルの腕の上に下ろした。
「もっと力を抜いて」
「え?落としちゃうだろう!」
「落とさないくらいによ。腕が硬いと赤ちゃんが痛いでしょう?だから赤ちゃんが乗っている部分は柔らかくして、それ以外の所に力を入れて置くのよ。それと大きな声を出さない。赤ちゃんが起きちゃうでしょう」
「え?声を下げるのは分かったけれど、腕をどうすれば良いのか分からないぞ?」
その様子を見て、ラーラが微笑みながら声を掛けた。
「大丈夫よ、バル。私も力が入っちゃうから」
「そうなのか?」
「ラーラもバルも、それは大丈夫じゃないからね?」
「そう言うパノは出来るのか?」
「私は弟がいるしね」
「あ、そうか。俺もラーラも末っ子だからか」
「私は赤ちゃんを抱っこした事があるわよ?」
「確かにバルよりは良いけれど、でも、ラーラもまだまだよ」
「それはそうだけれど」
「まあ、母親初心者なのだから、仕方ないわよ。この子の成長と一緒に、ラーラも母親になれば良いのだから」
「なんと言うか、お祖母ちゃんみたい。私のお祖母ちゃんと同じ様な事を言ってるわよ、パノ」
そう言ってラーラがクスクスと笑う。
パノは「それは光栄だわ」とラーラに笑い返した。
バルが真剣な顔で「ラーラ」と呼び掛ける。
「この子は俺の子で良いんだよな?」
「良いの?」
「俺はもちろんだ。ラーラもこの子も俺が守る。俺をこの子の父親にさせてくれ」
「バル・・・ありがとう」
「ありがとうは俺の方だ。ラーラ。この子を産んでくれてありがとう」
「バル」
「この子は絶対に幸せにする」
「ありがとう、バル」
「ああ。一緒に頑張ろうな」
「うん。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく」
バルの優しい笑顔に、ラーラは涙ぐんだ。
その顔を見てバルはラーラに触れたくなる。
その気持ちを逸らすために、バルは赤ん坊の顔を覗き込んだ。
確かにラーラに似ている。
目を開けたらどんなだろう?眼差しもやはりラーラに似ているのだろうか?
そう思うと不意に感情が膨れ上がる。赤ん坊が愛おしく感じた。
「ようこそ・・・」
バルはフッと顔を上げて、ラーラを見た。
「この子の名前は?」
赤ん坊に語り掛けようとして、名前を聞いていない事にバルは気付いた。
「名前、私に決めさせて欲しい。良いかな?」
「ラーラが選んで構わないよ。ただし俺が父親だから、決めるのは俺だ。ラーラが選んだ名前に俺が決める」
真面目な顔でそう言うバルに、ラーラは笑顔を向けた。
他の人達は退出して、バルとラーラと赤ん坊の三人だけになった部屋に、ラーラのお父ちゃん事ガロンとお母ちゃん事マイが喚ばれた。
ドアが閉められると、赤ん坊を抱いたラーラが二人に呼び掛ける。
「お父ちゃん、お母ちゃん」
その声にガロンが返す。
「ラーラ様。この度はご出産、おめでとうございます」
「おめでとうございます」
マイも祝いの言葉を告げ、二人揃って頭を下げた。
「今はバルしかいないから、大丈夫よ?」
二人は頭を上げて首を振った。
「そうはいきません」
「昔とは違います」
「でもこの間の時はお父ちゃんは、あたしをラーラって呼んだじゃない?」
「・・・いつですか?」
「学院が襲われた時」
「申し訳ございません」
ガロンはもう一度頭を下げる。
「謝らないでよ。覚えてるでしょ?」
「いいえ、覚えておりません」
頭を下げたまま、ガロンは言った。
「ラーラ。その件はまた今度にしたらどうだ?二人とも俺がいない方がラーラと話し易いだろう」
「そう?そうね」
ラーラは一度バルに向けた顔を、ガロンとマイに戻した。
「あたし、女の子を産んだの。お父ちゃん、お母ちゃん。抱いてあげてくれる?」
抱いている赤ん坊の顔が二人に見える様に、ラーラは腕を傾けた。
「ですが」
そう言ってマイはガロンを見た。ガロンは顔を上げながらチラリとマイの視線を確認し、ラーラを向く。
「血の繋がりがなくとも、その方はコードナ侯爵家のご息女。他の皆様を差し置いて私達の様な者が触れるのは、恐れ多いのでご容赦頂けないでしょうか?」
「お父ちゃん・・・」
ラーラの眉尻が下がる。
「俺は外に出ているよ」
バルの提案に「いえいえ」とガロンが手を左右に振る。
「バル様がいらっしゃらなくても、立場は変わりません」
「なるほど。なるほどね。では命令だ。二人とも赤ん坊を抱きなさい」
バルの言葉にガロンは息を飲み、マイは顔を伏せた。
「・・・分かりました」
「ガロン」
命令を受け入れたガロンをマイが眉尻を下げた顔で見る。ガロンはマイを見返して肯いた。
ガロンがマイの腰に手を当てて、ラーラに近付ける。
ベッドに座ったままのラーラが赤ん坊をマイの方に近付けると、マイは手を出して受け取った。
「ホント、ラーラ様の赤ちゃんの頃にソックリ。ね?ガロン?」
「そうだな」
ガロンがマイの隣で、赤ん坊の顔を覗き込んで肯いた。
少し抱いて、マイがガロンに赤ん坊を渡す。
ガロンの抱く赤ん坊を見るマイは目を細め、微笑んで見えた。
「お父ちゃん、お母ちゃん。お願いがあるの」
ラーラの声にマイはハッとラーラを見る。対照的にガロンはゆっくりと赤ん坊からラーラに視線を動かした。
二人は無言でラーラの言葉を待った。
「この子にミリと名付けたいの」
「何で」
小声で返したマイの腕をガロンが赤ん坊を抱いている肘で突く。
マイはガロンを見たが、ガロンはラーラを見たまま口を開いた。
「亡くなった人間の名を付けるのは、よろしくないのではありませんか?」
「縁起が悪いって言うの?」
「反対されると思います」
「そんな訳ないじゃない」
「ましてやミリは、幸せな死に方ではありませんでした」
「それは!・・・分かってる。それは分かってるわ。だからこそあたしは、お姉ちゃんの代わりにこの子を幸せにしたいの」
「・・・替わりですか」
「ええ。お願い。お父ちゃん、お母ちゃん。お姉ちゃんの名前をこの子にちょうだい」
マイが両手を口に当てて、「そんな」と呟いた。
「ガロンさん、マイさん。俺からもお願いします。この子にミリさんの名前を付けさせて下さい。俺とラーラでこの子を必ず幸せにします。だからお願いします」
「お願いします」
バルとラーラが揃って二人に頭を下げた。
ガロンは赤ん坊を片手で抱き、空けた腕でマイを抱き寄せ、自分の肩にマイの顔を当てさせた。
「マイ。良いな?」
「ガロン」
「大丈夫だ。分かってる」
そう言うとガロンは二人を見た。
「分かりました。頭をお上げ下さい」
顔を上げた二人にガロンは真面目な表情を向ける。
ガロンはマイを放してバルに近寄り、赤ん坊をバルに差し出した。
ぎこちなく受け取るバルの腕の形を何度か直しさせながら、ガロンは赤ん坊をバルの腕に預けた。
「私達の娘の分まで、お嬢様を幸せにして上げて下さい」
「分かった。約束する」
その言葉にガロンは微笑みを浮かべると、マイの隣に立って背中に手を回し、二人してバルとラーラと赤ん坊にお辞儀をした。
ガロンはマイの肩を抱いたまま、マイは手で隠した顔をガロンの肩に付けたまま、宛がわれている使用人用の部屋まで戻った。
部屋に戻るとマイが小さく嗚咽を漏らす。
「良く我慢したな。良く頑張った」
その体を抱き寄せて、ガロンはマイの髪を撫でた。
嗚咽の合間に途切れ途切れに、マイは小さな声を出す。
「キロとミリの、命だけじゃなくて・・・名前まで、奪うなんて・・・」
「ああ。良く耐えたな、マイ」
マイは堪えたけれど、小さな小さな泣き声が漏れる。
ガロンはそっと、マイの髪を撫で続けた。
ラーラの幼い頃を知っている人達は、ラーラの産んだ娘を見て、誰もがラーラにソックリだと言った。
確かに今のラーラにも良く似ている。
実際には違いがあったのかも知れないが、過去の記憶の朧気なラーラの面影は、目の前の鮮やかなラーラの娘の姿で塗り替えられて行った。




