第三十一話 小さなマーリン
低くなった視界に、魔力への変換と魔力の変化がうまくいったことを理解した。服はいつものスーツを脱いで、魔法のローブに着替えてある。スーツには体格に合わせた自動調節機能とかないからね。
「どうですか? 成功したと思うんですが」
「完璧ですわ。小さくて可愛らしい前のマスターの姿ですわよ」
「わぷっ! ちょっ」
小さいマーリンの身長は130センチメートルもない。そうすると、頭の位置がちょうどフィーネの胸の位置にくる。この状態でフィーネに抱き着かれると? そうだね、顔が胸に埋まるね。
「むぐっ、くるしっ!」
「一度やってみたかったんですの。腕の中にぴったり納まって、うふふ、良い感じですわ」
空気、空気! エアーコントロール! ぷはぁっ! あ、危なかった。気管の中の空気を調整することで、なんとか窒息の危機から逃れられた。この世界に来てから一番の脅威が、フィーネの抱擁だとは。
「ちょっとフィーネ! マーリンがぐったりしているわよ! すぐに離れなさい!」
「あら?」
「失礼。マーリン様、お気を確かに」
「ふぅ。大丈夫ですよ。魔法で酸素を確保していたので、酸欠にならずに済みました」
「ああ、人間には酸素が必要でしたわね。それでしたら、後ろからなら問題ありませんわね」
するりと後ろに回ったフィーネが抱き着くと、後頭部がほわにょんと包まれる。すごい、驚くべき拘束能力だ。これを振り払える者はそうそういないだろう。
「消えた体積はどこに行ったんですか? 魔力と肉体は等価? この手触りは間違いなく本物ですね」
フィーネに拘束された俺の前には、興奮したカエデが迫っていた。ぺたぺたと俺の体をまさぐり、変化した体の秘密を探ろうとしている。
前門のカエデ、後門のフィーネ。2人の――、否、4つのほわにょんが前後から俺を攻める。
「マーリン、研究所の規則」
「はい!」
もしかしたら、ワン!だったかもしれない。
リリーナ様の冷たい一言を受けて、即座にショートテレポートで脱出した。
「ほら、さっさと座りなさい」
「わかりました」
「今のマーリン様の身長では少し不便でしょう。ここは専属侍女である私の膝にお座りください」
ん?
「セレナ、あなた……」
同じく低身長であるカエデも、ほぼ専属護衛となったエミリさんの膝の上にたまに座っていたりする。だからと言って、俺がセレナさんの膝の上に座るのは、問題だと思うんだけど。
「あら、ここは召喚体の私の方が適任でしてよ。マスター、私の膝へどうぞ?」
フィーネ、参戦! いや話がややこしくなるからやめよう?
「いえ、お世話をするのは侍女の役目です」
「体の変化には私の方が詳しくてよ。万が一のために、私の膝の上が安全ですわ」
「どちらの膝にも座りませんよ」
「マーリン君、こっちに予備の私の椅子があるから、こっちに座ろ?」
「マーリン様、失礼しますね」
セレナさんとフィーネがやり合っている間に、カエデ用の座面が高い椅子が準備され、ひょいとエミリさんに持ち上げられて座らされた。カエデで慣れているのか、とてもスムーズで気付いたら椅子に座っていた。
「ありがとうございます、エミリさん」
「いえいえ。大変可愛らしいです」
「そ、そうですか」
魔法研究所の皆は可愛いもの好きが多いのか? カエデのことも暖かい目で見ていたし、小動物タイプの召喚体にも大はしゃぎしていたしな。
「さあマーリン君、手をよく見せてください。ふむふむ、指紋がありますね。静脈パターンも含めて大きいマーリン君との相似点があります。DNAはあとで調べましょう」
「ちょっとカエデ、くすぐったいですよ」
「……子供がじゃれ合ってる姿って癒されるわよね」
「リリーナ様、私は子供じゃありませんよ」
「私も子供じゃないよ!」
「やっぱり癒されるわね」
カエデはともかく、俺は単に見た目が小さくなっただけで、子供というわけじゃない。年齢だって、カエデの次に高い。あれ? 何かおかしいぞ? 俺たち2人は年長者のはずだ。
「ですがお嬢様。マーリン様の服装がローブというのは、いささか可愛さに欠けるのではありませんか?」
「あら。マスターはローブ姿でも可愛らしくってよ」
「安心して、抜かりはないわ」
「お嬢様、準備が整いました」
「ちょうどいいタイミングよ、マリー」
席を外していたマリーさんが大量の衣装と共に戻ってきた。
サイズから男児用と思われる衣装を、一体いつの間に用意していたんだろうか。長袖、半袖と色々な種類があるのに、どうしてズボンは半ズボンしかないの? あと、隙間からちらちらと見えるスカートが恐怖を掻き立てる。
「まずはオーソドックスな物からにしましょう。マーリン、自分で着替えるのと、着替えさせられるのと、どちらがいい?」
断る選択肢はないんですね。
「わかりました。自分で着替えます。この服ですね」
渡された衣装は、襟付きのシャツに半ズボンとサスペンダーという、ごく一般的(?)なものだ。
部屋の隅に衝立が用意され、そこで着替える。陰にこっそり配置されたライトスクリーンには脱いだローブをかけておいた。
「はい、着替えましたよ」
「やっぱり王道は王道の良さがあるわね」
「まあ! 可愛らしいマスターが、もっと可愛らしくなりましたわ」
「少しサスペンダーの長さがずれております。私が直してあげますね」
「どうして私もマーリン君とお揃いの服に着替えてるの?」
「大変可愛らしいです」
「小さなマーリン様も素晴らしい、あとで教義に追加しなくては」
やんややんや。俺と、何故か一緒に着替えていたカエデを囲んではしゃいでいる。頭を撫でるのはやめなさい! 違う、頭以外を撫でろということではありません!
「以前と同様、タッチは2回までです。後ろと入れ替わってください」
前に装備のお披露目をした時にも思ったけど、そうじゃないんだよセレナさん。
「次は何がいいかしら」
「マスターが可愛らしいのがいいわ」
「セイラー服はどうでしょう。同じデザインの帽子もセットです」
「カエデ様用にスカートはありますか? ああ、それですね」
やんややんや、やんややんや。次の衣装を決めるのに、持ってきては体にあてがって、持ってきては体にあてがって騒いでいる。
「マーリン君、私が巻き添えになってるのっておかしくない?」
「諦めましょう。こうなっては何を言っても無駄です」
俺はすでに諦めの境地だ。セイラー服に着替えて、カエデと並んで敬礼のポーズをとっていても、俺の心は揺るがないぞ。
「なんだかんだ言ってはいても、ちゃんと付き合ってくれるのね」
「マスターはツンデレというのですわ。マーガリン魔法大国でも、"ママ"と呼ばれて皆から慕われていたんですのよ」
「ママ……?」
「マーリン・マーガリンですからママですわ。誰が呼び始めたのか、魔法大国では有名でしたの」
「ママ、そういうのもあるのね」
「いえ、ありませんから。フィーネもテキトーな事を言うのをやめなさい」
「ママー、私もう疲れたよー!」
「こらカエデ、悪ノリしない」
「ママが怒ったー! パパ助けてー!」
ふざけたカエデが抱き着いたのはエミリさんだ。嫌な顔もせずに受け入れているエミリさんは、本当のパパーー性別的にはママか、のようだ。
「マスター、いえ、ママー私のことも抱きしめてくださいまし」
「私はフィーネのママじゃありませんよ。仕方ないですね」
同じくふざけたフィーネが横で頭を差し出してきた。こんな風にフィーネと接することになるとはMFOのときには思いもしなかったな。
話をしたがったことや、抱き着いてきたことなど、意外とさみしがり屋なのかもしれない。
「ほら、これでいいですか?」
「もっと撫でてくださいまし」
「仕様がないですね」
「これはママね」
「はい。間違いありません」
「マーリン様は聖母でもあったのですね」
ママじゃないです。でも嬉しそうなフィーネに免じて、今は許しましょう。
その後、満足したフィーネに続いて、頭を撫でてと皆が列をなしてきた。1人だけを特別扱いするわけにもいかず、ひたすらなでなでを繰り返し、俺の右手はボロボロだ。
二巡目に行こうとしたフィーネをなんとかなだめて、俺とカエデを着せ替える作業に戻ってもらった。着せ替えも有耶無耶にするべきだったと気づいたのは、開始から2時間は経ってからだったよ。
「ようやく終わったんだね、マーリン君……」
「ええ、終わりました……」
終了したのは、有耶無耶にすべきと気づいてから、さらに1時間が経過してからだった。
後半は、羞恥よりも疲れが先に来て、カエデと一緒にされるがままに着せ替え人形と化していた。皆のあのバイタリティはどこから来ているんだ。
え? フィーネが回復魔法をかけていた? いやそれは卑怯でしょ……。
回復魔法の存在を思い出し、俺とカエデを回復させてようやく人心地ついた。
今の俺とカエデの服は、最初の方に来ていたセイラー服に戻っている。どれを普段着にするかという投票の結果、圧倒的得票数を獲得し、決定された。
これは標準服になるので、場合によっては眼鏡やその他のアクセサリーが追加される。眼鏡強硬派が一定数いたのだ。フルリム派とハーフリム派の争いは激しかった。
「皆さん満足しましたね? そろそろ元の姿に戻りますよ」
「あら。ずっと小さいままでもよろしくてよ?」
「大きいマーリンがいなくなるのは少し問題ね。たまに小さくなるくらいでちょうどいいわ」
「魔法研究所では小さくなっていれば良いのではないでしょうか。それならば事情を知る者しかおりませんし。ですが眼鏡は普段からかけていても良いですね」
「そんなにぴこぴこ大きくなったり小さくなったりしませんからね。たまにで我慢してください」
「まあ立場の問題もあるものね。あら? 珍しいわね。お父様から連絡があったわ。マーリンと一緒に来てくれですって」
「何の用でしょうか。すぐに元の姿に戻りますね」




