4,つきひろい
陽暮のとこで呑んでから、10日ほど経ったか。
俺はいつもの日々をだらりと送っていた。
「ったく…。お前の会社は俺の事嫌いらしいな。」
「いやぁ……。申し訳ないですぅ………。」
長い濡鴉色の髪を後ろでまとめた女が、
原稿の入った紙袋を持ちながら言う。
「ま、相手が仄冬先生じゃ仕方ないか。」
「上層部のお気に入りですからねぇ!全くぅ!」
ふんすっ、という言葉が似合う格好で、
鳩岡は怒りを露わにする。
「にしたってぇ、〆切当日に『やっぱやめ』はぁ、
流石にナツ先生のことバカにしてますよねぇ!」
こつ、こつと2人並んでビルの中を歩く。
「……俺の〆切当日に狙って原稿持ってくる、
件の大先生もどうかと思うがな。」
「まったくですぅ!
しかも、フユ先生の〆切は先週だったんですよぉ!
この鳩岡 秋!
クビかけて大抗議を敢行してやろうかってぇ!」
「やめとけ。どうせ聞いちゃくれないさ。」
そのまま階段を降りて、地下駐車場に向かう。
「あ、2人とも!」
後ろの方から、不意に声がした。
「あ、編集長じゃないですかぁ。」
「お疲れっす。鵞毛さん。」
「ごめんねぇ、ナツ先生。
今回出してくれた原稿、上に掛け合って、
来週号には必ず載せることにしたから…。」
人の良さそうな白髪混じりの中年の男性が、
こちらに急ぎ足で近付いてくる。
「上のフユ先生贔屓も困ったもんだよねぇ…。
……けど、作品は面白いから腹立つんだよね。」
「いっつも苦労かけてすんません。鵞毛さん。」
鵞毛さんは両手を突き出して左右に振る。
「何言ってるの!迷惑被ってるのは君じゃない!
私の方が謝んなきゃなんない立場だよ!」
申し訳なさそうにする男性の肩を、ぽんと叩く。
「ま、休みできたと思っときますよ。
他に進めてる原稿もないんで。」
「ホントごめんねぇ…。
……お詫びと言っちゃなんだけどさ、
今度ヒマだったら飲みに行かない?
良いおでん出す店、見つけたんだよねぇ。」
鵞毛さんが親指を突き立ててから、
それをぐいと飲み干す仕草をする。
「いいですねぇ!わたしも行きますからねぇ!」
「えぇ…鳩岡ちゃん酔うと面倒臭いからヤダ。」
「いいじゃないですかぁ。美人と呑めるんだから、
ちょっとの面倒なんて安いもんでしょぉ!」
「美人なのは否定しないけどさ…。」
酔ってもいないのに絡まれて、可哀想なもんだ。
……まぁ、酔ったらもっと酷いか。
「ま、今度一緒に行きましょうや。 2人で。」
「うん。行こ行こ。」
「えぇ〜! 連れていってくださいよぉ〜!」
鳩岡が鵞毛さんの腕を引っ張って揺らしている。
「…じゃ、私はまだ仕事残ってるから戻るね。
鳩岡ちゃんも、今日はもう直帰でいいから。」
「ホントですかぁ! 積読、消化できるぅ!」
鳩岡を払い除けて、鵞毛さんが階段の方に振り返る。
「2人とも気を付けて帰ってね。それじゃ。」
「鵞毛さんも、仕事し過ぎないでくださいね。」
「お疲れ様でしたぁ、編集長!」
たったった、と駆け足で戻っていく背広を見送る。
「…じゃ、帰るか。」
「そうですねぇ。」
車を停めた方向に、2人揃って足を進める。
「…車、どこ停めましたっけぇ。」
「確かあっち…っと、あったあった。」
ランドクルーザーと俺の愛車が並んでいた。
「…にしても、お前はデカい車好きだよな。」
「『大きい』は『強い』! ですからぁ!」
自信満々に声を上げてから、鳩岡は車に乗った。
「それじゃぁ、ナツ先生。お元気でぇ〜。」
「お前もな。」
ちょっとした受け答えの後に、
エンジンのかかったランドクルーザーが、
勢いよく発進して行った。
「…さて、と。」
黒ヘルを被り、エンジンを噴かす。
「よし、今日も素直でよろしい。」
愛車を少し撫でてから、丁寧にアクセルをかけた。
新羽出版の本社ビルから、2時間ほど走ってきた。
初夏の爽やかで涼しさを感じる風が、
薄手のジャケットの袖の中に潜り込む。
空が少しづつ紅く染まっていく様が実に綺麗だ。
…今晩は何食べようか。
駅前通りの高校に差し掛かったところで、
赤信号に捕まってしまった。
……ここの赤信号、長いんだよな。
「ごめんなさいっ!」
………よく知った声だ。
「ガーンっ!? ミー…が振られマシた…!?」
「その…友達のままでいよう?」
学校の校門がある左側に顔を向けた。
知った顔と、ブロンドの青年が向き合っていた。
身長は、どっちも同じくらい。
……校門の前とは、気合いの入った告白だな。
周囲の生徒も、2人をじーっと見ている。
「……おい、朔夜。」
「んえっ!?」
なんとなく、助け舟が必要そうだったので、
ヘルメットのシールドを上げて声をかける。
先程までの申し訳なさそうな表情が、
みるみるうちに驚愕のものに変化する。
「お、お兄さん!?」
「……乗ってくか?」
サイドバックからヘルメットを取り出して、
朔夜に向かって軽く投げる。
「うわっととっ! えと、じゃあお願いします!」
「待ってッ! 斜木サンっ!」
名残惜しそうに、青年は手を前に突き出したが、
朔夜は駆け足でシートの後ろ側に乗る。
「えと、それじゃあ、また明日ね!」
信号が、赤から青に変わった。
エンジンの音が校門前に鳴り響く。
「朔夜。しっかり掴まってろよ。」
「う、うす。」
「斜木サン!このネルク・ユーテッド・シュトラウス!!
アナタのコト!諦めまセンからね!!」
思いっきり、アクセルをかけて発進した。
その日、俺の夜は月を捕まえた。
あれから5分程走らせた。
そろそろ、斜木家に着くはずだ。
朔夜も、しっかりと俺に掴まっている。
風に吹けば飛びそうなほど華奢なのだが、
ちゃんとくっ付いているらしい。
この路地を真っ直ぐ行けば、斜木家に着く。
ばるるんっというエンジン音が、
少しずつ、少しずつ静まっていく。
…よし、着いた。
シールドを上げて後ろに声をかける。
「ほら。着いたぞ。」
「…。 ……。」
もが、もが、と低い振動音が鳴る。
「……あー…シールド上げないと声聞こえねぇぞ。」
「…!!」
恐らく驚いたのであろう振動音の後に、
シールドがパッと上がる。
「あ、ありがとうございました! お兄さん!」
「別にいいさ。帰りの途中だったしな。」
ギアを入れて、ハンドルを左に切ってから、
サイドスタンドを立てて愛車から降りる。
「あ、ヘルメットどうすればいいっすかね?」
「あぁ、ほら。寄越せ。」
受け取ったヘルメットを、サイドバッグに仕舞う。
それから朔夜を降ろして、玄関まで見送る。
「じゃ、お兄さん!ありがとうございました!」
「おう。またな。」
また愛車にまたがって、スタンドを上げた。
「あっ!?」
静かな街並みに、一人の少女の叫び声が上がった。
「……どうした?」
「………家の鍵、忘れたっす。」
「…………どこに?」
「……………家の中…っす。」
「………………は?」
「…インキー……っすね。」
その告白は、2人の時間を止めるには十分過ぎた。
俺はまた、愛車の背中に跨っていた。
そしてまだ、後ろには朔夜が乗っていた。
「……よし、着いたぞ。」
とあるアパートに入ってから、
エンジン音は止まった。
「うす! ありがとうございます!」
「にしたって…本気かよお前。」
金属製の階段をかん、かんっと2人揃って上がる。
「人に見られて嫌な部屋はして無さそっすもん。
別にいいじゃないっすか。何がある訳でもなし。」
「普通に事案なんだよな…。」
俺は今、自分の家に帰って来ていた。
人を招くのは久し振りだ。
キィ、と目の前の扉が急に開く。
「あら、モノちゃん。」
「うす。」
真っ白な髪の上品そうな老婦人が、声をかけてくる。
「あらぁ? モノちゃん、彼女出来たの?」
「か、彼女!?」
俺の後ろから、少し大きな声が聞こえる。
「…コイツは陽暮の妹っすよ。 彼女じゃないです。」
「えー、そうなの?」
老婦人が、興味深そうに朔夜の顔を覗く。
「美人さんねぇ。
大家の蟻ヶ崎よ。よろしくね。」
「こ、こんにちは!」
大家さんはドアをパタンと閉めて、鍵をかけた。
「それじゃあまたね。モノちゃん、彼女さん。」
そう言うと、かつんかつんと階段を下りていった。
「……ったく………あのばーさん。」
「…。」
はぁ、とため息をついてからまた歩き始めた。
「………今日は随分静かなんだな?」
「…いやまぁ、お家にお邪魔するなんて、
流石のボクでも多少は緊張するっすよ。」
そんな事を言いながら、205号室の前に着く。
「…だったらやっぱり、
黒兎行った方が良かったんじゃねぇか。」
「嫌っす! 鍵忘れたから来たなんて言ったら、
絶対絶対、店長に笑われるっす!」
カラビナに付いた鍵を取る。
「………中平…。」
「ん? あぁ、表札か。」
「そんな苗字だったんすね、お兄さん。」
がちゃりと鍵を解いて、扉を開く。
「ただいまー。」
「お、おじゃましまーす!」
中にはもちろん、誰もいない。
「……だ、誰も居ないんすね。」
「まぁ一人暮らしだからな。」
靴を乱雑に脱いでから、段差を上がる。
「……ほら、中入れ。」
「う、うすっ!」
変に気合いの入った声を出してから、
朔夜はそろりそろりと部屋に入って来た。
「…やっぱ、綺麗っすね。姉貴とは違うっすわ。」
「まぁ、ある程度掃除してるからな。」
数日間誰もいなかったので、少し埃っぽい。
窓を全開にして、換気をする。
初夏の新鮮な空気が部屋に澄み渡る
「……にしても、お前帰りはどうするんだ?」
「姉貴にLINEしといたんで、
仕事終わりに迎えに来てもらうっす。」
後ろに振り向くと、お行儀よく正座して、
ちゃぶ台の前で固まっている朔夜が居た。
「…そんなに緊張しなくていいぞ。座布団出すわ。」
「あ、うす。」
テレビ台から座布団を2枚取り出す。
「……そこにしまってるんすか。座布団。」
「ちゃぶ台から近いからな。」
ちゃぶ台の対面に、1つずつ座布団を置く。
「ほら。座んな。」
「あ、あざっす。」
座布団の上に移動して、朔夜は丁寧に正座した。
「……あ、姉貴からLINE…。 ……げ。」
スマホの画面を見て、朔夜が固まる。
「どうした?」
「今晩は仕事長引きそうだから、
迎えに行くとしたら9時頃になるって…。」
少しだけ震えた声でそう言った。
「……晩メシは?」
「………抜きっすかね…。」
遠い目をして、朔夜がそう呟いた。
「……はぁ。 ウチで食ってくか?」
「…………いいんすか……!」
虚ろだった朔夜の目が、輝きを取り戻した。
「……肉と魚、どっちがいい?」
「………んー…肉で!」
「おう。」
開いた窓のサッシに腰を下ろした。
「……1本吸っていいか?」
「そういえばお兄さん、喫煙者っしたね。
どーぞどーぞ。ボクのことはお気になさらず。」
テレビ台の上から灰皿を持ってきて、
アルミサッシの上に置く。
胸ポケットからローストとマッチを取り出す。
「うお、なんすかそのかっこいいマッチ。」
「…知らんか?ブックマッチ。」
箱からタバコを1本取り出して、口に咥える。
「…ほら、こうやって点けるんだよ。」
片手でブックマッチの火を点ける。
「わ、なんかえっち。」
「意味がわからん。」
そのまま火をタバコの先に移す。
苦味と香ばしさが肺の中を支配する。
……美味い。
ブックマッチを指で弾いて火を消す。
「……絵になるっすね。お兄さん。」
「あん?」
「………なんでもないっす。」
右手の人差し指と中指でタバコを持ち直してから、
ふぅっ、と紫煙を外に向かって吐き出す。
窓の外は、もうとっくに夕焼けている。
「……お兄さんって、何歳から吸ってるんすか?」
「初めて吸ったのは11のときだったかな。」
不意に時計を見る。時刻は18時30分。
「じゅういちっ!? 小5じゃないすか!?」
「あぁ…。そうだな。
まぁ、ガキの頃は格好付けたいもんさ。」
「いやいや…だいぶ問題発言してるっすよ。」
「……そんな問題発言出来る位には、
お前のこと信用してるのさ。」
灰皿に、タバコの灰を落とす。
「銘柄は何なんすか?」
「キャビンのロースト。
お前の兄さんと同じ銘柄だよ。」
もう一度、タバコのフィルタを口に含む。
「…にしても、お前も物好きだな。
あんな人の良さそうな坊ちゃん振るなんて。
ネルクとか言ってたか?」
「いやぁ…ネルくんとは、
なんかそういう感じじゃないんすよね…。」
「仲良い友達として居たい感じか。」
じっくり、じっくりと口の中に残る香りを楽しむ。
「お兄さんは何の用事で外出てたんすか?」
「ん? 仕事だよ。仕事。」
タバコの煙を、外に吐く。
「なんの仕事やってるんすか?」
「ニート。」
「……前もこのやり取りしませんでしたっけ。」
沈んでいく太陽を、穏やかな気持ちで眺める。
タバコがこの景色にエッセンスを加えてくれる。
…こういう日も、悪くはないかもしれない。
「………したっけか。」
「しましたよ。黒兎で。」
「あー……。忘れた。」
すぱーっ、と口から白煙を捨てる。
「…………お兄さん。」
「……ん?」
「…つまんないこと愚痴っても、いいっすか?」
「……聞いてやるよ。」
吸いかけのタバコを、灰皿の底に押し付ける。
「…ボク、このままでいいのかなって……。
いや、友達といる時は楽しいっすよ?
……けど、それって友達騙してるだけであって、
ホントの自分じゃない訳で…………。」
「……。」
灰皿をテレビ台の上に戻す。
「……だから、今の友達とボクが一緒にいるのって、
なんか、凄い罪悪感あるんすよね……。」
「…。」
開け放っていた窓を閉めて、鍵をかける。
「…ネルくんが告白してくれたのも、
あれは素のボクに対してじゃなくて、
学校にいる時のボクへの告白なんで、
ボクに受ける資格なんて無いんすよね……。」
「……ふーん…。」
「………いやまぁ、資格あっても受けませんけど。」
「可哀想に。」
異性として認識されていないんだろうな。あの青年。
まぁ、中性的な子だったしな。
「……素を出せる相手が限られてるってのは、
まぁ間違いないんすけど……。
家族とお兄さんくらいなもんなんで…。」
「そこに俺がいるのが謎だがな。」
窓辺から立ち上がり、朔夜に近付く。
「…………なんでその、素を出せる相手が居るって、
すげー楽なんすよ。気分的に。」
「……ふーん?」
もうひとつ敷かれた座布団に胡座をかく。
ちゃぶ台に頬杖をついて、少し下がった顔を覗き込む。
「……ま、なんで。これからも仲良くしてくれると、
ボクとしてはすごくありがたいっす。
…………お兄さんが嫌じゃなければ、っすけど。」
「…………愚痴じゃねぇじゃねぇか。」
「……確かに。」
くすっ、と少女に笑顔が戻る。
「……ま、笑えるんならいいんじゃねぇの?」
「………え?」
真正面から、少女の瞳を見つめる。
「自分を偽ってるだのなんだの、
そんなん誰でもやってるだろ。絶対。
だから、笑えりゃいいんだよ。笑えりゃ。」
鮮やかな碧色の瞳孔が、少しだけ縮んだ。
「…………笑えりゃ、いい。」
2人の時間は、少しだけ止まっていた。
「……ふふっ、あははっ!」
凍った時間を溶かす、元気な笑い声が聞こえてきた。
「………なんか、その言葉好きっすわ。
…ボクはボクで、いいんすかね?」
「…………そういうこった。」
ちゃぶ台に手のひらをついて立ち上がる。
「よし。とりあえず米だけ先炊くか。」
「あ! 料理はボクも手伝うっす!」
「……お前は客人なんだから座ってろよ。」
「嫌っす! じっとしてたくないんす!」
「………じゃ、後でちょっとだけ手伝ってくれ。」
「うっす!どんとこいっす!」
少女の声は、すっかり元に戻っていた。
「とん、とん、とん〜っと。」
「お前は料理中に声出るタイプか。」
朔夜にキャベツを千切りしてもらっている間に、
豚バラのブロック肉を厚切りにしていく。
「で、何作るんすか?」
「豚肉の生姜焼き。」
「え。分厚くないすか?」
「これが美味いんだ。」
「ほぇ〜。」
気の抜けた声を出した朔夜を傍目に、
肉をジップロックに入れ、
醤油、みりん、酒、生姜、ニンニク、白だし、酢。
それと砂糖を適当に入れていく。
「よく作るんすか?生姜焼き。」
「まー、簡単だしな。」
肉の入った袋を揉み込んで、味を染み込ませる。
こうすれば、漬け込む時間はそれほどかからない。
「…よし、お兄さん! 切り終わりました!」
「……そうか。」
漬けた肉を一旦置いて、小鍋を取り出す。
「他にやること無いっすか?」
「…あー……無いな。」
冷蔵庫からネギと豆腐を取り出す。
「………ネギ、切るっすか?」
鍋に水を入れて、火にかける。
「…じゃ、頼むわ。」
「うす!」
水で洗ったネギを朔夜に渡す。
「……あ、斜め薄切りで頼むぞ。」
「え。輪切りじゃないんすか?」
「わかってねぇなぁ。斜め薄切りが一番美味い。」
「はぇ~…。まぁ、お兄さんを信じるっす。」
豆腐を取り出して手に乗せ、賽の目切りにする。
「ネギ、こんなもんでいいっすか?」
「…もうちょっと多めに頼むわ。」
「え。エグくならないっすか?」
「大丈夫。俺を信頼しろ。」
「う、うす。」
煮立ってきたお湯の中に、豆腐と白だしを入れる。
「お兄さん!切れました!」
「…よし。そのまま置いといてくれ。」
「おす。」
沸騰したお湯に、白味噌を入れる。
「白味噌派っすか。お兄さん。」
「どっちも好きだな。合わせても美味いし。」
今日はたまたま、白味噌の気分だっただけ。
味噌を溶いた後に、乾燥ワカメを入れる。
「水で戻さないんすか?」
「使ってるの、減塩味噌だからな。
この方が美味いし、何より手間と洗い物が減る。」
水で戻すと風味も抜ける気がする。
塩分を気にするのは解るが、俺はこの方が好きだ。
火を止めてから、薄切りのネギを入れる。
蓋を閉めたら、味噌汁の完成。
「お、お味噌汁完成っすか?」
「ああ。」
朔夜が後ろから、ひょこっと顔を出す。
「なんか他に手伝うことないっすか?」
「無い。そこら辺座ってろ。」
「え〜。」
肉の入ったジップロックを手に取る。
次は、いよいよメインディッシュだ。
フライパンを火にかけて、ごま油を引く。
「…あ。皿だけ出してくれるか。2枚。」
「うす。お任せっす。」
フライパンが温まったら、
ジップロックの中身をあけて火にかける。
火力は弱火。じっくり中に火を通す。
「おおっ…! いい匂い……!」
「すぐ出来るから待ってな。」
いきなり高火力で焼くと、少し肉が固くなる。
それはそれで良いものだが、
生姜焼きは柔らかい方がいいだろう。
生姜焼き、とは言うものの。
俺の作り方はほとんど煮込みに近い。
「ご飯盛っちゃってもいいっすか?お兄さん?」
「あー。頼むわ。茶碗は食器棚の1番下だから。」
「うす。」
ある程度、熱が通ったら、火を止めて蓋を閉める。
中まで火を通すにはこれが一番だ。
「茶碗、どれ使うんすか?」
「好きなの使え。俺は一番左のやつ。」
「あ、これっすか。でかっ。」
「今日は腹減ったからな。」
まぁ、いっつもその茶碗使ってるんだけど。
そんなに大きいかな。
いっぱしに健康に気を使って、
少し米の量を減らした方がいいだろうか。
いや、やめだな。
好きに飯を食えない人生なぞ、何が楽しいか。
「…あ、ボクはこの茶碗借りるっすわ。」
「………………あー。うん。好きに使え。」
「うす。」
白に水玉の、陶器の茶碗。
……よりによって、それか。
「……米盛ってる間に仕上げるわ。」
「りょーかいっす!」
止めてた火をつける。今度は強火。
焦げ目が軽く付くくらい焼く。
こうすれば、柔らかいまま香ばしさが出せる。
よし、完成。
「出来たぞ。」
「待ってましたぁっ!」
ちゃぶ台に茶碗と平皿を2つずつ運んだ朔夜が、
とたたっとこちらに近付いてきた。
「ん〜っ……美味そうっすねぇ…。」
「……いい表情するよなぁ、お前。」
大皿にフライパンの中身を移し替える。
……我ながら、そこそこの出来だ。
「………食うか。飯。」
「もちろんっす!」
「お兄さんの嘘つき!」
俺は、何故か怒鳴られていた。
「おつまみ以外も作るの上手いじゃないすか!」
「…まー、実家離れて長いしな。」
生姜焼きの味に不満は無さそうだ。良かった。
「美味っ!肉やわらかっ!」
「好きなだけ食え。」
自分も、キャベツと生姜焼きを平皿に取り分ける。
誰かと自分が作った飯を食べるなど、いつぶりか。
……3年か4年か、それくらいだろうか。
「うちの姉貴にも見習って欲しいっすよ全く…。
……お味噌汁も美味っ!味の濃さもバッチリっ!」
「そんなに喜んでくれて…料理人冥利に尽きるな。」
朔夜の反応を一通り楽しんでから、
自分の料理に手をつける。
まずは、味噌汁。
ネギ、豆腐、ワカメ。不味い訳が無い。
誰でも飲んだことのある、テンプレのような具。
だが、それだけ長く愛されてきた組み合わせ。
出汁の濃さや塩味も程よい。
自分で言うのもなんだが、ほっとする味。
「……はぁ。美味いな。」
「いつもよりリラックスしてるっすね。お兄さん。」
「まぁ、自分の家だしな。」
次は、いよいよメインディッシュ。生姜焼き。
まずは厚切りの肉に、何も考えず食らいつく。
暑さの割にすんなり噛み切れた肉から、
肉汁とタレが勢いよく飛び出し、
瞬く間に口中を支配し尽くしてしまう。
味はしっかりしているが、脂っこくは無い。
このタイミングで、白米を掻っ込む。
肉の脂と白米が合わぬという話は、
古今東西において聞いたことがない。
タレなどかかっていようものなら尚更だ。
「…美味いなぁ。俺の飯。」
「なんか、しみじみっすね。」
「最近料理してなかったからな。」
色々と、料理するのさえ面倒になってたが、
やっぱり出来たてのご飯が不味い訳が無い。
口の中の生姜焼きを飲み込んだ後に、
千切りキャベツを思いっきり頬張る。
キャベツが口に残る脂を絡め取り、
甘く、爽やかに、サッパリとさせる。
やはり、生姜焼きにはキャベツだろう。
「……美味いか?」
「もちろんっす!」
「そうか。良かった。」
「どこにでも嫁げますよ!お兄さん!」
「行くなら婿だが。」
つまらない冗談をほざきながら、
それでも残酷に夜は更けていく。
「ふぅ〜…ごちそーさまでした! お兄さん!」
「…俺の言えた事じゃないが、お前もよく食うよな。」
「自分の食器は全部下げといてくれ。後で洗う。」
「そんな! ボクが食器全部洗いますよ!
ご馳走になっちゃったんだし!」
「いーんだよ。少しは甘えろ。」
鍋と食器をシンクに下げながら、そんな話をする。
「いいっす!やらせてください!」
「…お前もきかん坊だな。だが、これは譲らん。」
朔夜の持つ食器を奪い取って、シンクに並べる。
「あぅっ!お兄さんに奪われたっ!」
「…誤解されるような言い方すんじゃねぇよ。」
蛇口から水を出して、鍋と食器を水に付ける。
「さ、戻れ戻れ。飯の後はのんびりしようや。」
「わっわ、押さないでくださいよお兄さん!」
割と強引に朔夜をちゃぶ台の前まで押し戻す。
「そういえば陽暮から連絡あったのか?」
タバコを吸うために窓を開ける。
時間は20時半。外は真っ暗だ。
「あ、全然見てなかったっす。LINE確認しよ。」
窓の前に腰かけて、右腕をサッシに投げ出す。
左のポケットからタバコを出して、口に咥える。
マッチで火を付けたら、もう完璧。
「……お兄さん、この住所送ってもいいっすか?」
「…別にいいけど。」
……陽暮、うちの場所知らない訳は無いはずだが。
まぁ、さほど気にすることでもない。
タバコを手に持ち直す。
「……どうでもいいっすけど、
お兄さんの吸い方、なんかカッコイイっすよね。」
「ん? どのあたりがだ?」
「……なんか、顔を手で覆ってる感じ?」
はぁ、とため息と一緒に煙を吐き出す。
「……ま、格好いいと思うのは勝手だが………。
吸わない方がいいぞ。タバコは。」
「…吸いながら言われても説得力無いっす。」
「んはは、違ぇ無ぇ。」
実際、俺はタバコをやめるつもりは一切無い。
そんな奴が言ったところで意味もなし、か。
「…いつ頃、迎え来れそうなんだ?」
「もうあと10分くらいっすかねぇ。」
壁掛け時計の針をじっと見つめる。
短針の指している時間は8の文字だ。
「………ずいぶん遅くなったな。」
「いやぁ…なんか姉貴、呑み行ってるみたいで…。」
あいつは自分の妹をなんだと思ってるんだ。
男一人の部屋に置いといて心配にならないのか。
……ん? 呑み?
「待て、陽暮は何で迎えに来る気だよ。
酒飲んだら車動かせないだろ。」
「あ、いや。迎えは兄貴が来るんすよ。
店終いの後で迎えに来てくれるらしいっすよ。」
「……はーん。」
朔夜の兄貴、ってなると朝真さんか。
最近は忙しくて会っていないが、元気だろうか。
「…じゃ、俺は酒開けるけど、いいな?」
「うす。大丈夫っす。」
タバコを口に咥えたまま、冷蔵庫に足を進める。
「お前もなんか飲むか?」
「えっ、ボク未成年っすけど!?」
「…はぁ……。 ……ジュース、なんか飲むか?」
「あ、えと。何あるっすか?」
朔夜がとたとたっ、と小走りで背後に来る。
「どいてやるから、自分で選べ。」
「うす。」
三百缶を片手に、また窓辺に腰を下ろす。
暖房の効いた部屋で鍋を食べ、程よく火照った体に、
秋の夜風が優しく肌にかかる。
「あ、ジンジャーエール……。 …あれ、こっちも?
…ん? ジンジャーエールだけ種類多くないすか?」
「好きなんだよな。ジンジャーエール。」
ガツンとくる炭酸とその喉越し、主張し過ぎない甘み、
ジンジャーエールはどれをとっても最高だ。
「……じゃ、ボクはサイダーを…………。」
「好きに飲め。」
缶をパシュッと開けて、中の液体をグイッとのむ。
疲れた体に、一日の終わりを知らせる。
「…旨い。」
「……お疲れ様っした。お兄さん。」
「………あー…お前もな。」
「んー、まぁボクはほとんど自業自得っすからね…。
…それに……。」
ずいっと朔夜が近づいてくる。
「お兄さんに拾ってもらったし、
すっっごく!美味い飯も食えたし!
なーんにも、不満なんてないっすよ!」
「…そっか。ならいいんだが。」
一度、缶を置いて左手を口に近づける。
キャビンの煙が、俺の体を更に休ませる。
「…俺もまぁ、悪い日ではなかったかな…。」
「え? なんすか?」
「…なんでも、ない。」
顔を天井に向けて、いつもより強く煙を吐く。
「……朔夜。」
「んー? なーんすか?お兄さん?」
「…あの坊ちゃんはホントにいいやつだぞ。
今のうちにちゃんと捕まえとけよ…。」
「………飯食う前の話、聞いてなかったんすか?」
「……聞いた上で、言ってんだよ。」
ばっと顔を正面にまで戻し、碧色を脳にしっかりと刻む。
「…なぁ、朔夜。」
こいつは、こいつだけは。
「……きゅ、急に改まって…なんすか?」
…こうなっちゃ、だめなんだ。
「…お前は、お前だけはこうなるなよ。頼むから。」
鮮やかな碧色の瞳孔が、少しだけ縮んだ。
「……おにい、さん……っ…?」
『ピンポーン』
凍り付いた時間は、来訪者が叩き壊してくれた。
「んぁっ!?」
「…フフッ、来たみたいだな。ほら準備準備。」
タバコを灰皿に押し付けて立ち上がる。
「んぇーとっ!? 忘れ物はぁ~!?」
「あー、おい。サイダー、ちゃんと持ってけ。」
「あ! 忘れてたっす!」
二割ほど減ったサイダーを手渡してから、
小走りで玄関に向かう朔夜の後ろをついていく。
「…それじゃ!お兄さん、また今度!」
「あぁ、またな。」
朔夜がドアを開けると男性が立っていた。
誰かさんによく似た純黒の髪で、糸目の男性。
「全く…姉妹そろって守華くんに迷惑かけて…。」
「兄貴ぃ~…ごめんよぉ~…。」
「お久しぶりです、朝真さん。」
朝真さんがこっちに顔を向ける。
「守華くんも、いっつも迷惑かけて済まんね…。」
「いえいえ。楽しかったですよ。」
「あんまりこの子たち、甘やかしちゃダメだよ?
優しすぎるとつけ込まれるからね。」
「慣れっこですから。」
朔夜が一段降りて、靴を履く。
「……まぁ、たまにはウチの店おいで。
今回のこともあるし、サービスするから。」
「お気遣いなく。」
「…じゃ、朔夜。先に車のってるからね。」
「おっけー!」
「………守華くん。またね。」
「えぇ。また。」
朝真さんを見送る。
「…いやぁ、ホント!ありがとうございました!」
「気にすんな。」
靴を履き終わったらしい朔夜が、
勢いをつけて立ち上がった。
「あ、その。さっきの事なんですけど。」
「おう。」
「………いや、やっぱいいっすわ!」
不意に首元を見たら、黒い紐がかかっていた。
……学校にまで付けてってるのかな。アレ。
「なんだよ。」
「なんでもないっすってば!」
少しだけ、焦る少女の背中に手を振った。
「それじゃお邪魔しまし……!?」
振り向いた少女の動きが、急に固まる。
「………ん? どうした、朔夜。」
「…………い、いや…っ…。なんでも、ないっす…。」
「…そうか。気を付けてな。」
少女はとたとたっと家から出て、優しく扉を閉めた。
…騒がしい一日だったな。
……お陰様で悪い気分は吹き飛んでくれたが。
………妙な事、言っちまった、な。
ここまで読んでくださった方。
もしいらっしゃるのでしたら。
マジで、感謝以外ございません。
今回のお話はお兄さんの職場が出てきたり、
朔夜のクラスメイトが出てきたり。
結構色んな人が登場しましたが、如何でしょう。
一応、ちゃんとこれからの物語に関わります。
この人が好き、とかあったらいいですね。
回数は言いませんが、ちゃんと出てきます。
そのうち、それぞれを掘り下げる小説も書きます。
良ければご期待ください。
それでは改めまして、
ここまで読んでくださった皆様。
本当に、恐悦至極、感謝の極みって感じです。
これからも、あなたの素晴らしいストーリライフを
心からお祈りしております。
いだすけさんでした。