12,告解
中平 守華
-ボクのお兄さん。
斜木 朔夜
-ボク。
斜木 陽暮
-姉貴。
「……おはざす。」
「…0時だが。」
「いいっす、目ぇ覚めたっす。」
とぼとぼと朔夜が歩いて、座椅子に座る。
「………頭、痛いっす。」
「んはは、二日酔いか。」
「まだ一日目っすけどね…。」
「……ま、これに懲りたらいい。」
「…っす。」
ビール片手に、朔夜に何の説得力もない説教をする。
「………おにーさん。」
「お?」
「……ボク、変なことしませんでした?」
「……………別に。」
目線を朔夜からテレビに移しつつ、受け答える。
「嘘だ!絶対なんかやらかした!」
「………別に。」
「変な間があるの、怪しすぎるっすよ!」
「別に。」
「即答しても今更遅いっす!」
今日に限ってやたら勘のいい朔夜に、
やたらと詰め寄られている。そんな現状。
「…あ、お前のアクセサリー、そっち置いてるから。」
「んぇ?」
朔夜は俺が指した方に、素直に顔を向ける。
「……あ、あざす。」
「おう。」
ちょろい。
「…で、ボク何したんすか?」
「……。」
ちょろくなかった。
「………うーん。俺に寄りかかって寝たかなぁ。」
「……だけっすか?」
「だけ。」
ビールの缶を口に近づける。
「……ちゅー、したような気がするんすけどね。」
「えほっ。」
思わずむせる。……まだ飲んでなくてよかった。
「………お兄さん。」
「はい?」
「…………ボク、ちゅーしませんでした?」
「してません。」
「…じゃ、夢かぁ……。」
朔夜が、がっくりと肩を落としてから、
背もたれに全体重をかける。
「……お兄さん。」
「お?」
「…ぶっちゃけ、ボクのこと、どう思ってるすか?」
「………。」
朔夜のこと。どう思っているのか。
妹分。違う。
相棒。それも違う。
友達。遠くは無いが、ドンピシャじゃない。
恋人。多分、違う。
俺たちは、漢字2文字で表せる簡単な関係なのか?
もっと複雑な、そんな存在なのか?
それも、違う気がする。
「……わからん。」
「えー…わからん、じゃ困るっすよ……。」
「仕方ねぇだろ。ホントに分かんないんだから。」
昔、恋愛した時の気持ちとは違う。
だからといって、友人にも家族にも、誰にも。
こんな言い表せない気持ちを抱いたことは、無い。
「……あー、けどな。」
「え?」
言うんだとしたら。
こうかな。
「……それなりにお前のこと大事だし、
それなりにお前のこと好きだと思うぞ。」
「………どーゆー、好きっすか?」
「わからん。」
「なぁんでそこがわからないんすか!
そこがいっちばん大事な部分でしょ!」
「そうかな。」
まぁ、でも。
「…これからも、遊びに来いよ。」
「……え?」
お前さえいれば、どうでもいいかって気もする。
例え、我を忘れるほどに怒り狂っていたとして。
お前が笑えば、それだけで救われるような。
単純明快なような、唯一解なような。
「………で、お前は俺のことどう思ってんだ?」
「はいっ!?」
途端、焦り始める朔夜。
基本的に、話題を打ち返されるのが苦手らしい。
「…………あー、そっすねぇ…。」
返ってきた質問に、やたら長考している。
まぁ、言葉を選んでいるんだろう。
「…とりあえず、お兄さんのことは好きっす。」
「そか。ありがと。」
軽く返した俺に、何やら不満そうな朔夜。
そんな日常は、素晴らしく輝いている。
「……お兄さん。」
「ん?」
「お兄さんって、元カノさんと何があったんすか。」
ぴく、とお兄さんの動きが止まる。
優しく微笑んでいた目元は、暗く落ちる。
ほんの1°だけ上がっていた口角は、
ほんの2°だけ、緩やかに下がっていく。
「………お前は知らなくていい。」
投げ捨てるように、お兄さんは言い放つ。
「いや、でも…。」
『ピンポーン。』
唐突に、チャイムが鳴る。
深夜1時近くに。
「…はーい?」
お兄さんが逃げるように玄関に向かう。
ボクも、その後ろについて行く。
「おぉ〜い、遊びん来たぞぉ〜?」
「あ、姉貴!?」
「…出来上がってんな、陽暮。」
お兄さんに倒れ込むように抱きついた姉貴に、
なんとも言えない感情を抱いてしまう。
「…ま、丁度いいや。朔夜の話し相手になってやれ。」
「んぁ〜?朔夜のぉ〜?」
お兄さんに引きずられるようにして、
姉貴はリビングまで通される。
「……じゃ、朔夜。陽暮の面倒頼むわ。」
「お兄さんは?」
「…俺は、風呂入ってくる。」
「……っす。」
お兄さんは、こっちに振り向きもせず、
そのまま、脱衣所の引き戸の中に消えていった。
「………姉貴。」
「んぁ〜?」
姉貴は寝ぼけたような声を出す。
「…お兄さんと元カノさん、何があったの?」
「ん。」
気持ちよさそうな姉貴の顔が、急に険しくなる。
「……何が、聞きてェんだ?」
姉貴は、睨むようにしてこっちを注視する。
「…知りたいの、何があったか。
お兄さんが語りたくないのは、分かってる。
けど、どうしても知りたいんだ。」
姉貴は少し押し黙ってから、こう告げた。
「…わかった。後悔、するなよ。」
「しない。絶対。」
すぅ、と姉貴は大きく呼吸をする。
「…アイツの彼女……あー、元カノか。
そいつは、多分お前でも名前を知ってる有名人だ。」
「え?」
「……鹿島 凛って、知ってるか?」
姉貴の口から飛び出したのは、意外な名詞だった。
「…えっと、女優の、鹿島 凛?」
「まぁ、女優は兼業で、本職は剣道家だな。」
姉貴は天を見上げながら、言葉を出し続ける。
「確か、ガンで亡くなったんだよね。」
「……表向き、な。」
ボクと姉貴の目線が、バチバチっと交わる。
「………アイツの死因は、エイズの合併症だ。」
「…え?」
はぁ、と大きなため息の音が聞こえる。
「…随分おしゃべりだな、陽暮。」
「………お兄さん…!?」
「……ンだよ、聞いてたのか?」
お兄さんは見たところ、お風呂なんかに入ってない。
さっきと同じ格好のまま、出てきた。
…ボクが、姉貴に質問するって、気付いてたんだ。
「………凛は、浮気性って言うよりは、
一種の破滅願望に似たもんを持っててな。」
お兄さんがリビングに戻ってくる。
……なんでだろう。
………怖い。
「……とにかく多人数でヤるのが好きだったらしい。
俺と出会った時からそうだったのかは、知らんが。」
お兄さんが、目の前に座り込む。
少しだけ、後ろに身じろぎをしてしまう。
「…俺と凛は中坊の時に出会ってな。
そりゃまぁ、長い時間かけて惚れたさ。」
ちゃぶ台に頬杖をついて、こっちを見てる。
不誠実なボクじゃ、その目を見れない。
「……高校に上がる前に、告白してな。
OK貰った時は、そりゃまぁ嬉しかったさ。」
いつもは広々と感じるこのアパートの一室が、
今日だけはやたら狭く、息苦しく感じる。
「…けど、違和感を抱いたのも、その日だった。」
ピーンと、空気が張り詰める。
「……俺はその晩、凛とヤった。回数は忘れた。
ファーストキスも、なし崩し的に奪われたかな。」
フッ、と嘲笑いながら、言葉を捨てていく。
「…まぁ、妙だろ。付き合い長いとはいえ。
恋人0日目で交尾まで行っちまった訳だ。」
チラッと、お兄さんを見る。
口元は、笑っている。
目元は、笑ってない。
「……その日から、毎晩のようにしまくったさ。
ほとんど、向こうから誘われて半強引にだが。」
怖い。
やだ、怖い。
「………けど、だからこそだろうなぁ。気付いたの。」
真実が怖いんじゃない。
お兄さんが、怖い。
「毎晩毎晩、なんつーか、感じが違うんだよ。
上手く表現出来ねぇんだけど。
他の雄の匂いがする、とでも言えばいいのかね。」
ただ、淡々と真実を語る姿が怖い。
「…怪しく思って、自分で調べた。
そしたら、真っ黒。専門の店?クラブ?
そんなのもあるんだな。あん時初めて知ったよ。」
「…あの。」
ボクの声は、もはやお兄さんに届かない。
「…それでも、しばらく我慢してたんだ。
そうさな、気付いてから2年くらい我慢してたか。」
そりゃそうだ。裏切り者の声が届くわけが無い。
「…20歳の時、物書きの仕事が軌道に乗りかけた時、
とうとう男を数人、俺の家に連れ込んでてな。
出版社から帰ってきたところに鉢合わせた。」
本来なら、酔っぱらいの戯言だろう。
有名人が恋人で、その上に浮気者だって話なんて。
「……我慢、出来なくなってな。流石に。
向こうの親御さんまで呼んで、正式に別れたよ。」
けど、何がタチ悪いのかって言えば、ひとつ。
「…俺と別れたあと、アイツの男癖は更に悪化した。
ゴシップ記事になりかけたこともあるみたいだが、
鹿島本家の方で、情報を引き潰したらしい。」
それを話しているのは、お兄さんなのだ。
「……で、誰彼問わずヤッてりゃ、
そりゃ性病持ちと交わることもあるんだろうな。」
言葉は並び立てるものだとばかり思っていた。
「…もし、俺がアイツと別れてなかったら、
俺がストッパーになれていたら…。
そんなことにはならなかったかもしれねぇ。」
乱雑に散った言葉が、これほど恐ろしいとは。
「………そんな、顛末だ。」
お兄さんと、目線が交錯する。
その目は、諦めたような、疲れたような。
ボクが人生で初めて見るのには違いない、
ぞっとするような、強く、弱々しい目だった。
「……何か質問あるか?」
「………あの。」
「なんで、お兄さんが苦しんでるんすか。」
真っ向から飛んでくる、
ただ意外性のある言葉に殴られる。
「おい、朔夜…。」
「おかしいじゃないっすか。
自分が浮気されてたっていうのに、
その相手が死んだからって、自分のせいって。」
涙袋に水を貯めながら、朔夜は言葉を紡ぐ。
「もっともっと、自分勝手になったって、
素直になったって、いいんじゃないすか!」
一際大きくなる声に、圧倒される。
「だってだって、お兄さんは悪くない、のにっ!
悪いのは、お兄さんを裏切った、相手なのにっ!」
目の前で震える、小さな体に圧倒される。
「バッカみたいじゃないすか、縛られて!
全部が全部、相手の思う通りみたいで!」
乱雑に組み立てられた言葉が、嫌に刺さる。
「朔夜ッ!落ち着けッて!」
「だって、お兄さんはいっぱい、良い人なのに!
お兄さんが苦しまなきゃ、ならないんすか!」
朔夜が、俺の両目を睨む。
泣きながら、俺の胸ぐらを掴む。
「……朔夜。」
きっ、と鋭い目をした少女を見る。
……本当に。
ぽん、と頭に手がのる。
「…ありがとな。」
お兄さんの瞳が、いつも通りに戻る。
優しく、微笑むような。
「……え。」
「………なんか、ちょっとだけ…。」
あの日もそうだった。
また、救われた。
「……どうでも良くなった気がするな。」
「…えと。」
いつも通りなのに、今初めて見たような気がする。
違和感はない。ただ、優しい。
いつも感じる、ホットミルクみたいな優しい空気。
それさえ越える、これはなんだろう。
最上のシルクに、包まれたかのような。
綺麗な羽毛の中に、迷い込んだかのような。
それでも、足りない。
これは、何?
「んッん"ーッ!げほっげほっげほッ!!」
あまりにわざとらしすぎる咳き込みの音が、
ゆったり流れていた時間を、一気にぶち壊す。
「……あのさァ、オレも居るのにイチャつくなよな。
居心地悪いったらありャしねェぞ?」
「…だな、すまん。」
陽暮の咳の音と同時に、朔夜が俺の胸に顔を埋める。
顔は、やたら熱い。
「……あねきぃ。」
「お?」
「………ボク、泊まってくから、先帰って。」
「おう。妹ンこと頼むぜ、守華。」
立ち上がった陽暮について行こうと、立ち上がる。
「おう、見送ってやるよ…。」
「やだ。」
朔夜の力が、少しだけ強くなる。
振り払おうと思えば、片手で払える程度。
だが、その少しだけの力が愛おしくなる。
「…いや。いかないで。」
「……おう。」
「…げほげほ。」
わざとらしく咳をしながら、陽暮は玄関に行く。
「……じゃ、座りながらですまんな。また来いよ。」
「ん。おめェも好きに来いや。」
がちゃ、とドアの開く音が聞こえる。
「………ほんじゃな。守華。」
「おう。」
ばたーん、と勢いよく扉が閉まる。
「……………で、いつまでくっついてんだ?」
「んー。」
朔夜が顔を擦り付ける。
離れる気は、無いようだ。
「…はぁ。ま、いいけどな。気が済むようにしな。」
「んー。」
何を言っているのかは分からないが、
何が言いたいかはだいたい分かる。
どん詰まり、動けもしない。
「……気分は、悪くねぇしな。」
俺の夜に、月が甘える。
次回、ちょっと形式が変わります。
乞うご期待。
いだすけさんでした。