第八話 曙
暁斗の元に東城が来たのは電話をして二十分ほどした頃だった。会ってすぐ、彼は暁斗に朔夜との電話の内容を伝えた。
暁斗は当然納得できなかった。
「何でそれで済ませちゃったんですか。今やるべきことは他にあるでしょ!」
しかしそれも東城の前では子供の癇癪にしかならない。
「あいつなりの考えがあってのことだ。君は僕と一緒にあいつが帰ってくるのを待つんだ」
「納得できません」
「できなくていい。君には聞く権利も責める権利もある。しかしまだ子供だ。冷静になりきれていない」
「子供だからって、そんなことで他人事にしないでくださいよ! 俺は当事者なんでしょ。なのに何で何も知らされないんだよ! 何で何も教えてくれないんだよ!」
二人は今暁斗の家のリビングにいた。椅子に座る暇もなく始まった会話は、座る機会を失わせたまま続いていた。
ただひたすら怒鳴り続ける暁斗を前に、東城は聞こえないよう小さくため息を吐いた。
「今だから言うけど、朔夜は君に迷惑をかけないために今まで黙っていた。知ったところで良いことなんてないだろうしね。今回のことはイレギュラーだった」
「なければずっと黙ってたってことですか」
「君が自力で辿り着かなければそうなっていたかもね。ただもう一つ言えることは今まで言わなかったのは君がまだ子供だからだ。子供だって無力じゃないと言うのは本当に自分の力をわかっていない人間の台詞だよ。君たち子供は君たち自身が思っている以上に無力なんだ」
「そんなの」
「そんなの大人の傲慢だって言いたいかい? それはまだ君が大人になってないから言えることだ。君も大人になればわかる。ただ、子供の無力さや愚かさが一生ものの罪になることもある。世の中子供だからって許される問題ばかりじゃない。その愚直が罪となることもあるんだ」
暁斗は初めて眼の前のこの人が自分とは違う世界の人間なのだと感じた。
身近にいたから気付かなかった。この人も父も、自分とは違う『大人』なのだ。大人と子供では住む世界が違う。その思考も、道徳も、何もかもが違う。この人達は今の自分達の何倍も先を進んでいる人たちだ。
だからといって、それで納得できる問題ではない。どうあっても、子供から見れば大人の傲慢ほど許し難いものはない。自分だって一人の人間なのに、それを認めてもらえない。子供だからって大人にすべて劣っているとは思わない。子供にだってできることはある。無力だなんて言わさない。
「やっぱりそれは大人の傲慢ですよ。大人だからって万能とは限らないでしょ。子供だからって無力とは限らないはずだ。俺達だってできることはあるんです」
「やって、それでどうするんだい?」
東城の口調がいつの間にか厳しいものとなっていた。その視線も、暁斗が今まで見たことがない真剣なものだ。
「確かに君たちはやろうと思えばある程度のことはできるだろう。だけどその後どうするんだい? それでもし何か起こったら、君はその責任を取れるのか?」
「取れますよ」
「それは親と一緒に謝罪すること? それとも親に弁償してもらうことか?」
東城の言葉はすべての子供を断罪するかのように響く。
「結局君たち子供は親の庇護下にある存在でしかない。自分で自分を養うこともできない。子供の自由なんて親の庇護下にしかないんだよ。その庇護を受けられずに自由を得られない子供だっている。結局君たちの言い分は恵まれた人間の無知でしかないんだよ」
自分の世界を作っていける子供などフィクションの中にしか存在しない。どんなに勇敢な少年も、彼らが起こす奇跡の物語も、最後には『この物語はフィクションであり、実在の人物・事象とは何も関係がありません』との注意書きで夢を否定されてしまう。
どんなに窓を開けて毎夜待っても、ピーターパンはやってこない。世界を救う勇者も、戦うべき悪者も存在しない。すべて夢の世界の住人。
大人には夢がないと言うのは、彼らがかつて持った夢を否定されてきたからだろう。だから世間の冷たさも、人間一人の無力さも知っている。何も知らずに夢を語ることは誰にだってできる。しかし叶えることは難しい。
結局子供は親の翼の中でぬくぬくと育つしかない。そこを勝手に飛び出てこんな筈がないと文句を言うのは子供である証拠だ。
暁斗の両目に涙があふれてきた。泣くつもりなどなかったのに、あまりにも冷たい言葉に身体が先に泣いてしまった。東城もそれを見て言い過ぎたことを認めた。
「すまなかった。言い過ぎた。何も君たち子供が悪いわけじゃないのに。ただ知っておいてほしかった。僕たち大人は君たちが思っている以上に子供のことを想っているんだということ。そして夢だけではやっていけない世界があるんだということを」
ただ知って欲しかっただけなんだ。いつか飛び立つ世界の冷たさと厳しさを。その時になって傷ついてほしくないから。
子供だって人を救える。だけどそれよりも簡単に罪を犯せる。無知と無計画、愚直がたやすく罪を生んでしまうのだ。
それを僕らはあの時知った。
涙をこぼすまいと袖で荒く涙をぬぐう暁斗に、幼い頃の親友の姿を見た。彼は泣きもしなかったけど。泣くことすら許されなかったけど。
「……十五の時だ」
それはあまりにも静かに始められた。暁斗は始め東城が何を言おうとしているのかがわからなかった。
「朔夜は十五の時に罪を犯した。そしてその始まりは十四の時。ちょうど今の君と同じ歳の時だ」
それはまるで懺悔するかのように。罪人はここにいないのに、なぜか彼が懺悔しようとしているように見えた。
「教えてあげよう、君が知りたがっていることを」
あれだけ責めるように言った彼が、あっけなくその話を始める。まるで最初から決まっていたかのように。
長い話になると言って、東城はソファに座り、暁斗もその向かいに座らせた。喫煙者ならここで煙草を一服するかもしれないが、残念ながら東城は煙草を吸わない。代わりに彼は一回深呼吸をした。
眼の前のテーブルの上にはグシャグシャにつぶされた朔夜の置き手紙が。飲み物でも用意するべきだったかもしれないが、二人ともその考えには行き着かなかった。
そして懺悔の物語が始まる。物語という名の過去が語られる。
「常磐夕夏さんは朔夜の家庭教師だった人だ」
海が見える展望公園。朔夜の姿はそこにあった。一人で考え事をするとき、海を見るのは決して悪くない選択だと思ったからだ。
夕方になれば海に沈む夕日が見られるらしい。その為その瞬間をカメラに納めるべくやってくるカメラマンも少なくないらしい。
しかし今いるのはせいぜい旅行中に立ち寄った家族やカップルぐらいのものだ。
朔夜はぼんやりと柵にもたれながらも、時折後ろを走り去る子供やベンチに座るカップルの姿に視線を向けた。
一般的な家族や恋人にあこがれを感じたことがないと言えば嘘になる。両親と旅行をしたことなど一度もない。共働きでそれなりに忙しい人たちだったのだから仕方がない。いつの間にか自分自身、そういうものなのだとあきらめがついていた。
しかしいつか自分に恋人ができて、家庭を持って、あのように楽しく日常を過ごす日がいつか来るのではないかと子供の時には思っていた。現状を諦めた分、未来への期待があった。子供じみた夢だと今なら笑える。それが永遠に来ないことを知らなかったあの頃だからこそ、夢が持てた。
立ち続けるのも疲れ、朔夜は背後にあったベンチに腰を下ろす。新しくしたばかりなのかもしれないそのベンチはそれほど汚れていなかった。
ぼんやりと海を眺めながら、ここで煙草が吸えたら格好がつくのにと思い笑った。あいにく肺を冒す煙を吸う趣味はない。ただ今は手が暇だ。本を読めば良いかもしれないが、それでは考え事などできない。結局ぼんやりとしているしかないのだ。
なるほど、煙草はこういう時には役に立つのかもしれない。それでも吸ってみたいとは思わないのだが。
珈琲でも買ってこれば良かったかなと思ったが、今更買いに行く気にもなれない。いくら考えても最終的な答えは変わらないのだ。
考え事と言っても、実際は気持ちの整理だ。押し入れの奥に仕舞いっぱなしだった荷物を引きずり出すように。一度引っ張り出すと余計なものまでどんどんあふれてしまうのだが、それもまとめて整理しようと思う。
さて、どこから始めようか。まずは始まりを見つけなければならない。
物書きの性なのか、記憶が形式ぶった文章になっていく。いっそのこと文章にしてしまえば整理が楽なのかもしれない。しかしこんなつまらない物語、本にはできないな。誰も買いはしないだろう。
まあ、まずは始めよう。最初の文章はどう打とうか。回りくどい方法も悪くはないが、今は率直に書くのが適切だろう。
常磐夕夏は――――。
平凡だった。少なくともその容姿や学力に於いては。
常磐夕夏という人は学力や容姿で言えばそれほど目立つものではなかった。平凡かそれより少し上。しかし彼女の父は一企業の社長で、それも日本でも名の知られた会社だった。だから彼女の環境がとても裕福で、住んでいる家も豪邸であったことは何も驚きはしない。いわるゆ社長令嬢だった。
そんな彼女が家庭教師のバイトをしていたのかは理解しづらい。社会勉強だと言っていた気がする。最初は金持ちの道楽にしか聞こえなかった。その経歴を聞いただけであまり印象を持たなかった。だから彼女に魅力を感じることなどないと思っていた。初めて彼女に会い、その姿を見たときまでは。
既に立派な不登校児となっていた俺の成績はひたすら底辺を走っていた。当然と言えば当然だ。勉学に励んだことなど一度もないのだから。
親が無関心なことを良いことに俺は好き勝手やった。と言っても犯罪行為や不良の真似事をしたわけではない。ただ学校をサボり、近所の図書館やゲームセンター、映画館に行っていたくらいだ。それ以外は家で本を読んだりパソコンをいじって時間をつぶした。補導員に見つからないよう、彼らが来る時間を把握した。店員はわざわざ通報してまで客をつぶしたくはないので黙っていてくれた。
何がしたかったわけでもない。強いて言うならしたいことがなかったのだ。補導員を避けたのは面倒ごとを回避するためであって、それで学校や親に知られても問題はなかった。親は困るかもしれないが、それを申し訳ないと感じることはなかった。
この世に生まれた以上、自分は自由に生きる権利がある。親であろうと束縛する権利はない。まるで自分一人で生きていけるかのような子供っぽい勘違いをしていた。自分が親に庇護されなきゃ生きていけない子供だということさえ自覚していなかった。
まあ、この年頃ならそう思う子供も多かっただろう。大人と子供の中間。中途半端に社会に出て社会なんてこんなものなのかと軽視していた。
だから親がいなくても自分一人ぐらいどうにかなると、すべての責任を取れるのだと思ってしまったのだ。
それを後悔するのは、恥じるのは大人の第一歩。自分が子供であったことを自覚することが子供を卒業する始まり。
まだ子供の殻すら破っていない、大人に近づいているのは身体だけ。そんな青臭く、愚直だった十四の年。生まれて初めて家庭教師がつけられた。
正直な所、両親がそんなことをするなど思ってなかった。子供など養えばそれで良いと思っているような大人だった。いや、そう思っていた。
この時の両親が何を考えて俺に家庭教師をつけたのかは未だにわかっていない。あの親にも親らしい感情があったのか、それとも世間体のためなのか。それを考察するほど俺は両親を理解していない。互いが無関心だったのか、それともそれは俺の一方的なものだったのか、何もかもがわからずじまいだ。自分も親になれば何かわかるかもしてないと思ったが、結局わかっていない。
同じ親という立場でも、その思考や教育は人それぞれなのだということだけがわかったことだ。親も一人の人間なのだと。そして親になってもなかなか人というものは変われないのだと。その根っこは変わらないのだ。親になってそれを改めて理解した。
自分が良い親になれたとは思わない。しかし親になったからわかること、成長することもあるのだと初めて知った。その意味ではあの人達にも信念や愛情があったのかもしれない。ただそれを俺が感じ取れなかっただけで。
話を戻そう。理由はともかく、ある日両親が俺に家庭教師をつけた。俺はもちろん断った。しかしそれは既に決定事項で、俺に選択権はなかった。
そのことに憤りを感じていなかったと言えば嘘になる。しかしそれ以上に驚きがあった。親から学業について何かを言われたことがなかった。家族らしい会話など久しかった。そんな彼らから息子の学業を心配する態度が見られたのだから。
最終的に親の意向を受け入れたのは俺だった。珍しい親らしい行動に親孝行してみる気になった。どうせ中学を卒業するまでの短い時間だと思って、新たな暇つぶしにしてみるのもいいかと思ったのだ。
俺自身、勉強が嫌いであったわけではない。たぶん普通に勉強すればそれなりの成績も取れることも自覚していた。ただ強制的な学生生活や、偉そうな教師が気に入らなかっただけだ。クラスメイトと何を話せば良いのかもわからない。愛想を振りまくことが嫌いだった。自由にならない環境が嫌いだった。それを強制する大人が嫌いだった。
大人なんて皆同じだと思っていた。傲慢で、子供を見下す。カワイイ、愛してるなんて言ってる腹の中では、その優越感に浸っている。そんな生き物なのだと。
しかしそんなことを思っている自分自身が彼らを見下しているのだと気付いていなかった。いや、気付きながらもそれに気付ける自分の方が優れているのだと感じていた。
夢を語ることなど子供の仕事だと見下していた。子供の人生を決めつける大人を批判した。そして自分は優れた大人だと優越に浸っていた。
今考えれば恥ずかしい青春の汚点でしかない。しかしその頃の自分は大まじめだった。本気でそう思っていて、それが正しいのだと信じていた。
親にある程度付き合うのも子供の義務かと思って付き合ってみた。それが自分のそれまでを完全に塗り替えるとは知らずに―――。
子供なりの理論と大人なりの理論。どっちが正しい正しくないとは言いません。しかし大人にはそれに至った経緯があるのです。大人に反抗したがるのはまだ子供の証拠かもしれません。どうすれば大人になるか。それは我慢強く、寛容になることが一つの道なのだと私は思います。反抗する前に大人のことも考え、大人も子供のことを考えてみてはどうでしょうか。




